第四章「うちは子供じゃないぞな!(五)」
(五)
「なんで俺がいかなあかんねん。香さんでもええやろが……」
桔平が、今日五度目の愚痴を言った。
「俺、二日酔いやねん」
「仕方ないぞな。飲み過ぎた桔平兄ぃが悪いんじゃ」
美柑は桔平の背中をさすりながら、
《まるで夫婦みたいぞなもし》
と、文句を言いながらも、内心の嬉しさを隠しきれない表情で歩いた。
昨日、浦波権蔵が「こんなら、うち来て飯でも食うていきんさい」と、しつこく言うので、勝平と柑奈、その娘の朋香。桔平と神楽、香。そして美柑ときうい、母の華蓮、父の権蔵。合計十人という、かなりの大人数の宴会になった。
ただ、浦波家は旧家で広間があり、十人ぐらいは余裕で座れるスペースがあった。
瀬戸田PAで、権蔵はスマホを手に取り、美柑たちの母親の華蓮に連絡を入れた。
「おお、わしじゃ。いましがた美柑ちゃんや勝平君と瀬戸田で会うてな、今日うちで飯でも食うていきんさいとなった訳じゃ。ほいでな、近所の吉野のところへ行って、魚を揃えてもろうてくれ。それと、酒屋の美代に言うて、日本酒と冷えたビールを用意しといてつかぁさい」
と、一気に捲し立てた。
「さすがお義父さん。亭主関白ですねぇ」
勝平が、感心しながら権蔵に言うと、
「当たり前じゃ。男が嫁にペコペコしとったら、世も末じゃけえの」
《甘い!いなかっぺ。甘いぞな》
美柑はこのあとの展開が目に見えている。
どうやら、通話はまだ切れていなかったらしい。権蔵の声の大きさが災いして華蓮の逆鱗に触れたのか、「ちょっと待っとってつかあさい」と、勝平達に言って、少し離れたところへと行って、スマホに向かって頭をペコペコ下げながら話していた。
「はは、世も末やで」
美柑の横で、桔平が楽しそうに言った。
「叔父さん相変わらず豪快やな」
桔平が、昨日の宴会を思い出して話した。
「けどうちをいつまでも子供扱いしてくるけん、困るぞな」
「はは、五つ違いやったっけ?」
「そうじゃ……あ、ここぞな」
と、指定された喫茶店の前で美柑は時間を確認した。
「うん、九時五十分。間に合って良かったぞな。桔平兄ぃが、行きたくないなんてごねるからじゃ」と、美柑が桔平に文句を言った。
「大丈夫や。俺は時間を守る男や」
「何を何を訳の分からんこと言うとるん。ほら、入るぞなもし」
と桔平を促して、喫茶店の扉を開けた。
ここは、愛媛県松山市南齋院町にある「喫茶まとり」で、凪沙の同級生、磯島佐奈(旧姓山本)と会って事情を聞くことになっている。
店はこぢんまりとしていて、、カウンターが6席と四人がけテーブルが三つ。
カウンターの角に水槽があり、金魚が泳いでいた。雰囲気は、どことなく昭和を感じさせる落ち着いた感じだった。棚には週刊誌や新聞・漫画雑誌が所狭しと置いてある。
その一番奥のテーブルに、女性がすわっていた。ぽっちゃりとした身体に、上品な服をまとっている。ショートカットの髪には白髪が目立っていたが、大きな目の輝き失せていない。女性の近くに行くと、淡い香水の香りがした。女性も美柑たちに気づいた様子で、お辞儀をしてきた。
「すんません。磯島佐奈さんで間違いありませんか?」
桔平が、その女性に声をかけた。
《さっきまでごねとったくせに、こういう時だけ切り替えが早いんじゃけん》
と、心の中で美柑は突っ込んだ。
「はい」
佐奈は一言だけ言った。
「失礼します」
と言い、桔平は、美柑を壁側の席に座らせた
佐奈はすでにアイスコーヒーを頼んでいたので、桔平は、
「では、アイスコーヒーを二つください」と、店員に声をかけた。
《うちはオレンジジュースぞな》
美柑はふくれて桔平を睨んだ。
着席の後、桔平はこの聴取の録音の可否を佐奈に訊いた。
「どうぞ」
佐奈が言ってくれたので、桔平は録音のボタンを押し、テーブルの中央にスマホを置いた。
「凪沙ちゃんのこと、今になって警察の方が聞きに来るとは思わんかったです」
佐奈は、昔を懐かしむように微笑んだ。
「佐奈さんは、凪沙さんと、高校三年生の時の同級生と聞きましたが、間違いないですか」
桔平は、単刀直入に佐奈に訊いた。
「はい。凪ちゃん……すみません。あの子のこと、いつもそう呼んどったもんですけん……凪ちゃんとは、同じテニス部やったけん、一年生の頃から、仲が良うて、いつも一緒に行動しとりました」
「凪沙さんは、高校の頃、どがいな人やったんですか」
美柑が佐奈に訊いた。
「ありきたりな言い方かもしれませんけど、明るくて、よう笑う子でした」
遠い目をして、佐奈は当時の凪沙を思い出していた。
「二つ下の弟さんがおってね。やんちゃで手がつけられんって、ようこぼしとりました。でも、文句を言いながらも、いつも弟さんのことを気にしとったんです」
明るくて、よう笑う子――。
凪沙の未来を知っているだけに、この言葉は美柑の胸を締め付けた。
美柑たちが追っているのは、海で死んだ瀬戸凪沙の人生である。
けれど佐奈の記憶の中にいる凪沙は、弟のことで悩み、笑い、友達と肩を並べて歩いていた、ただの高校生の彼女だった。
「凪ちゃんから聞いた話ですけんど……話してもええですか?」
「どうぞ。何でも言うてください」
桔平が、佐奈に優しく言った。
「凪ちゃんは、大のお父ちゃん子だったみたいで、お父さんは、宇和島で漁師じゃったそうです。でも六歳の頃に事故で亡くなったそうです。そのあとに、母親の実家に身を寄せて松山で暮らしとったんじゃそうです」
佐奈は、これは凪沙から聞いたとして、ゆっくりと語り始めた。
それは美柑も調べて分かってはいた。だが、実際に同級生から訊くと、生々しく聞こえてくる。
父も母もいる美柑には、その寂しさを本当の意味では想像しきれなかった。
「ほやけど、三年の夏休みぐらいから、凪ちゃんは変わっていった気がするんぞなもし」
佐奈が不意に顔を歪めた。「それは、どがいなことなんぞな?」と美柑は訊いた。
「彼氏ができたみたいでなあ……。そりゃ、それ自体はええことぞなもし。ほやけど、相手がようなかったんじゃろうと思うんよ」
「それは、相手が担任の先生、下根田雄三やったけんですか?」
美柑が担任の名前を出した。警察が調べたところでも、下根田の評判は良くなかった。『生徒を妊娠させた』とか、『依怙贔屓が激しい先生だった』など訊くに堪えないものばかりが掘り起こされていた。
「いいえ。凪ちゃんは、親友やと思っとったうちにさえ、相手のことは言うてくれんかったんよ。何度か聞いたんやけど、そのたびに、困ったように笑うだけやったんぞなもし」
「ほやけど……」
と佐奈は、と何か思い当たる節があったみたいで、美柑の目を見た。
「下根田先生は、当時から奥さんのおる人やったんぞなもし」
佐奈の声が、少し低くなった。
「うちらが卒業してからの話なんやけど、後輩の子らの間で、下根田先生が生徒を妊娠させたいうて、問題になったことがあったんよ」
美柑は、黙って佐奈の言葉を待った。
「その時に、何人かの子が、『うちも先生と関係があった』言うて、名乗り出たらしいんよ」
《いまじゃ、逮捕案件ぞな》
このことは、柑奈の調べで分かっていた。当時学校側は、これは常習性が高いと判断して、下根田を問い詰めた。すると、卒業生の名前が八人も出てきたという。そこに瀬戸凪沙の名前も出ていたと、保護者の間にまで噂が広がった。
その後下根田は、生徒や保護者。また学校側の冷たい視線に耐えられず、嫁と離婚して自主退職をしていったと言う。嫁も教え子だったらしい。
「うちは、東京の大学に進学したんよ。凪ちゃんは地元の会社に就職してなあ。最初のうちは、電話で話したり、手紙のやり取りもしよったんよ。ほやけど、ある時から、ぷっつり連絡が途絶えてしもうて……大学を卒業して、地元に帰ってきた時には、もう凪ちゃんは町を出てしもうとったんよ」
佐奈の指が、膝の上で小さく握られた。




