第四章「うちは子供じゃないぞな!(三)」
(三)
翌日の午前十時に、倉敷市内の病院へ美柑達は到着した。
児島誠司が入院している病院は、美柑達が昨夜泊まったホテルから、県道沿いに車で少し行ったところにあり、正面玄関には外来患者や見舞客の姿があった。
入口には、児島誠司の妻・恵美と長男の克英が待ってくれていた。
「お待たせして、申し訳ありません」
と、香が頭を下げた。
恵美と克英に連れられ、児島誠司のいる病室に入った。五人は香から美柑まで順番に警察手帳を見せ挨拶をして、香と柑奈が椅子に座って話し出した。
児島誠司は岡山県警の他に、京都府警と愛媛県警の刑事がやってきたことに、ぶすっとした態度で、五人を見ていた。
意識が戻ったばかりで、顔色は悪い。一人部屋の窓際に、ベッドが置かれていた。
左手には点滴が左手には点滴の管がつながれている。
桔平と美柑は窓際に移動した。
「昨日、上松吾郎を逮捕しとります」
香が話し出す。
「……」
児島は、返答をしなかった。
「上松に、なんぼ貸しとったんですか?」
「……」
「上松吾郎の自宅を家宅捜索したところ、あんたのスマホと財布が出てきとります」
香は、透明な証拠品袋を取り出して、スマホと財布を見せた。
「こりゃあ、あんたのもんで間違いありませんか」
「ああ、わしのじゃ。間違いねぇ」
児島が初めて口を開いた。
「申し訳ありませんが、裁判所の令状に基づいて、スマホの中身を確認させてもろうとります」
その言葉に、児島誠司の眉がわずかに動いた。
「京都駅の防犯カメラに、あんたの姿が残っとります」
香が、静かに言う。
「五月二十七日までに、『黒田』いう人物と何度か通話しとる履歴が残っとります。どがいな話をしよぉったんですか」
児島は、またぶすっとして黙って窓の外を見る。
「ほんで五月二十八日、あんたは京都へ行っとります。この『黒田』いう人物は、京都の弁護士、黒田啓輔で間違いないんじゃな?」
香が、児島の顔色を気にせず、単刀直入に訊いていく。
「……」
「児島さん、話してもらえませんか」
黙る児島に、柑奈が声を少し和らげた。
「ほんなら、話を変えましょう。瀬戸凪沙さんのことで、伺いてぇことがあります」
「凪沙?」
不意に瀬戸凪沙の名前が出たので、児島は目を剝いて香を見た。
「今さら凪沙のことをほじくり返して、何を聞き出すつもりなら」
「児島さん、落ち着いてつかぁさい。まだ話は終わっとらんのです」
香がにこやかに児島誠司を諭した。
「凪沙さんとは、どこでどう知り合うたんですか」
児島は横に立っている恵美の顔を見る。
「四十年も前の話じゃろうが。なんで嫁の前で、そんな話をせにゃならんのじゃ」
《確かに。昔の浮気話を嫁の前でする話じゃないぞな》
美柑は、窓の壁にもたれながら苦笑いをした。
「京都で、凪沙さんに関係しとった人物が殺されとるんです。うちらは、その事件が凪沙さんの過去と繋がっとるんじゃねぇかと見とります」
「それがわしと何の関係があるんじゃ」
一瞬、児島の声が震えた。
「凪沙さんの人生が歪んだ最初のところに、あんたがおったんじゃねぇか。うちらは、そう見とります」
香の言葉に恵美は児島を冷たい目で見ている。
「そんなもん、あいつが勝手にこっちに来ただけじゃ」
凪沙にすべての責任を押しつけるように、児島は首を振った。
「でも、あんたは結婚しとった。それでも松山で凪沙さんに手ぇ出した。そこは逃げられんじゃろ」
児島は、香の冷たい視線に耐えられなかったのか、窓の外に視線を移した。
「そんなもん。若い頃には誰にでもある話じゃろがい」
美柑は、隣でずっと窓の外を見ている桔平が気になった。
《桔平兄ぃは、何を考えよるんぞな》
その時、桔平のスマホに、きういから着信が入った。
「こら、病院おるときにかけてくんなや」
と桔平は、無理な文句を言った。
「ああ?知らんがな……」
きういのキーキー声が、美柑にも聞こえる。
「桔平兄ぃ。外におるもんに、こっちの事情は分からんぞな」
美柑が桔平の袖を掴み、病院の外へ出た。
「あ、もしもし。きうい姉ぇ、どがぁしたぞな」
美柑が桔平のスマホから、きういへ折り返した。
「ちょっと煙草吸うてくるわ」
と、スマホを美柑に渡して敷地の外に出て行った。
「桔平は?」
「いま、喫煙所じゃ」
「あのぼけ、一回いわさな気が済まんねん」
「まあまあ落ち着いてぞな」
「せっかくうちが……『神楽様にぃ頼まれたぁことをぉ連絡だけなのにぃ、神楽様がぁ出なかったのぉ』……それで仕方なくあのボケに電話入れたのに、なんでうちが怒られなあかんねん」
「は、はあ……」
神楽の話をするときは、ぶりっ子なのに、桔平の時は声が低くなる。
妹ながら、きういのこの変わり身に、ついて行けない時があった。
「しかもあのボケ、いきなり電話を切りよってん!」
きういの怒りが収まりそうにないので、美柑が、
「それで、用事はなんぞなもし」
「そや。あんな、凪沙さんの高校三年の時の同級生と連絡が取れてん」
「きうい姉ぇ、それほんまぞな」
美柑は、さすがきうい姉ぇだと、感心した。
桔平が敷地外の喫煙所から戻ってきたので、美柑は周囲に人がいないことを確かめてから、通話をスピーカーにした。
「はあ?うちがお前に嘘ついてどないすんねん」
「はい?」
美柑には、少し意味が分からなかった。
桔平が美柑の肩をトントンと叩き、代われ、という合図を送った。
そして、スマホを受け取ると、スピーカーを切って、
「俺や。『嘘ついてどないすんねん』やなくて、そこは『知らんがな』か『知らんけど』が正解や」
と、訳の分からないことを言い出した。
美柑は、このあとのことが想像できたので、きういにはあとで詳しく聞くことにして、病室へ戻った。
美柑が病室の扉を開けると同時に、恵美の平手が児島誠司の頬を叩いた。
「あんたなんかが、女を語るんじゃねぇわ」
その声は震えていた。
長男の克英も驚いて恵美を止めた。
これは、児島誠司の発言に対する、恵美の単なる怒りだけではない。
それは長い年月、飲み込んできたものが、ようやく外へ出たような声だった。
《何があったんぞなもし》
あまりの衝撃に、一瞬身動きができなかった。
「離婚じゃ。あんたとは、もう終わりじゃけぇ」
「まあまあ、奥さん。落ち着いてつかぁさい」
香が慌てて恵美を引き離した。
それから、香は児島誠司へ向き直る。
「児島さん。あんたのええ加減さが、瀬戸凪沙さんの人生を狂わせた」
児島誠司が、何も言えず目を閉じた。
「その事実は、変わりゃせんのです」
香は、冷たく言い放った。
柑奈が香の肩に手を置き、「冷静に」と小さく言った。
突然のことで、何が起きたのか、まだ飲み込めていない美柑にも、
《香さん、本気で怒っとるぞな》
それだけは分かった。
――その頃、桔平は、
「だから何やて訊いとるやろが……ああ……知らんがな……」
と、病院の敷地の外で、きういと揉めていた。




