第四章「うちは子供じゃないぞな!(一)」
(一)
六月九日・午前十一時二十五分頃。
岡山駅の新幹線改札を抜けたところで、声が飛んできた。
「美柑!」
声の方を振り向くと、そこに姉の柑奈が小走りでこちらに向かって来た。
《げげっ。伊予柑ぞなもし》
咄嗟に美柑は身体を硬直させた。
柑奈は、がしっと美柑を抱きしめた。
「何もなくてよかった」
「大丈夫ぞな」
美柑が素っ気なく言うには訳があった。
なぜなら……このあと、絶対に柑奈から怒られるからだ。
小さい頃から柑奈はそうだった。
怒る前にはこうして愛情表現をしてくる。
いかにも、
「こんなにあなたの事を、愛してますよ~」
という事を、妹に見せておく。
そして数秒後には、
「ちょっと来なさい」
と言って、ちくちく小言を連発する。
強いて言えば、柑奈のこの一連の、
「愛してるわぁ」
アピールは、学生時代に聞いた、
「三年二組の浦波、今すぐ職員室まで来んかい」
と言う呼び出しと同じように、このあとの展開は容易に美柑には想像できた。
しかし、この日は「このあと」は無かった。
「いやぁ、お疲れ様ぁ。久しぶりですねぇ。美柑ちゃん」
と、愛媛県警捜査一課長の伊予勝平も一緒に来ていた。
「いな……勝平兄ぃも何故、岡山におるぞな」
「いやぁ、いろいろあったって山口県警の桂さんから聞いてねぇ。それで柑奈が心配しだしてさぁ。君が岡山の署長にもお世話になったお礼もかねて、さっき着いたんだよねぇ」
「ほうなんぞな」
美柑は頷いた。
「それとさっき、いなかっぺと言おうとしてたよねぇ」
「いや、しちょらん」
「まあ、いいけどさぁ」
勝平は、いつものように間延びした声で笑った。
「疲れているとこ申し訳ないんだけどさぁ、次は君に京都へ行って貰おうかと考えてるんだよねぇ」
「京都ぞな?」
美柑に拒否の理由はない。
「うん、ただねぇ、柑奈がうるさくて困っちゃってるんだよねぇ」
「うるさいとは何よ」
柑奈のぴきっと音がした気がした。
「桔平の京都府警に、可愛い妹を一人で行かせられないわ」
「ああ、そこさぁ。前にも言った気がするんだけど、桔平の京都府警じゃなくて、京都府警の桔平だよねぇ」
勝平は少しうんざりした表情を見せた。
「そうじゃ。うちはもう子供じゃないぞな。れっきとした愛媛県警・松山西署の……」
松山西署の浦波美柑じゃ、と言うつもりが、勝平にかぶせられた。
「そのことなんだけどさぁ」
勝平は、いつもの間延びした声で言った。美柑はぷうっとふくれた。
「君、今日から本部なんだよねぇ」
「……は?」
美柑の口から、伊予弁ですらない声が漏れた。
「良かったじゃない。出世だよ」
さっきから兄弟の会話に気を遣っていた香が喜んだ。
「……は?」
美柑はもう一度同じ言葉を繰り返した。
《い……嫌ぞな。事件も少なく、書類もそこそこで、たまに鍋焼きうどん食べに行ける、あの平和な所轄生活は捨てられんぞな!》
「松山西署からも推薦が上がってたんだよねぇ」
がーん!
《ポッタァに、う……売られたぞなもし》
松山西署長の堀田嵐山の顔を思い出して、ピキる。
「しばらくは、松山西署刑事課強行犯係のまま、本部刑事部捜査一課・未解決重要事件専従係と併任。まあ、分かりやすく言うと、本部案件にも正式に引っ張れるようになったってことだねぇ」
「勝平兄ちゃん。異動は分かったぞな」。
「いや、異動じゃなくて併任――」
「だったら京都府警がいいぞな」
美柑は恋する乙女の目を輝かせて言った。
「だめよ」
「おお、さすが警部補です。美柑ちゃんに言ってあげてくださいよぉ」
「桔平の京都府警に、可愛い妹はやれないわ」
「はぁ……普段は冷静にキレる君も、美柑ちゃんのことになるとズレてますねぇ」
「いいえ。ズレてなどいません」
「あのね、京都府警は、県警の異動希望先じゃないんだよねぇ」
「うちのお母ちゃんも言ってたけん、警察はひとつぞなもし」
「その理屈でいくのは無理があるんだよねぇ」
その時、後ろから控えめな声がした。
「あの……到着したんですけど」
振り向くと、そこに神楽が立っていた。
「神楽ちゃんぞな!」
美柑はぱっと顔を輝かせ、神楽に抱きついた。
「桔平兄ぃは?」
「陰口が耳に入って、いじけています」
美柑が神楽の後ろを見ると、そこには明らかに落ち込んでいる桔平がいた。
「桔平兄ぃ。後で話があるけん、時間つくってくれぞな」
と、美柑は桔平の傍にいき、話かける。
「美柑。何が言いたいか知らんけど、俺、京都へ帰るわ。後は神楽と旨いことやっといてや」
桔平は帰ろうとした。
「だめぞな」
美柑がそう言うと、神楽が無言で桔平の袖をつかんだ。
桔平は、露骨に肩を落とした。
「それじゃあ、うちは一度本部に戻って、報告してきますけぇ」
と言って、香は先に動き出した。
「ああ、それなら、一緒に向かいましょう」
と、柑奈が引き留めた。
岡山へ来る際、勝平は自家用のワンボックスでやってきたらしい。
そのため美柑、桔平神楽、香の四人は、後部座席にゆったりと座ることができた。
「なんか、すみません。うちまで乗せてもろうて」
と、香は頭を下げた。
「何を言ってるんですかぁ。こちらこそうちの義妹がお世話になりました」
勝平が、いつもの間延びした声で答えた。
「大変だったんじゃないですか?なんせきかん気の強い子なので」
「いえ。山口県でお世話になった高杉晋子巡査部長もうちも、妹ができたみたいで、でぇれぇ楽しかったです」
《うちを魚に盛り上がっておるぞな》
岡山県岡山市北区内山下にある岡山県警本部に到着後、美柑達五人は香に案内されて捜査一課長・百聞万次郎警視(五十五歳)に挨拶をした。
「おお、ようおこし下された。伊予君の噂は、この岡山まで届いてますぞ」
万次郎の大きい声に、美柑は辟易した。
「いえ、とんでもない。私なんぞ、百聞課長に比べれば、ひよっこも同然です」
勝平が謙遜をした。
そして、風呂敷を広げて、
「お口に合うか分かりませんが、仁喜多津という松山の「水」ですが、うちの課員がお世話になったお礼として、お納めいただければ光栄です」
と言って、百聞に渡した。
《何で、いちいち水言うんぞな?酒でようないかの?》
と、美柑は素朴な疑問を抱いた。
「おお、これはありがたく頂戴させてもらおうかの」
このあと、勝平が全員を紹介していった。
大月神楽警部の名前は知れ渡っているらしい。
美柑は自分の事のように嬉しかった。
ただ、桔平のあだ名「ウガンダ」は、どこかで妙な伝わり方をしたらしい。
「おお、君が京都で有名なウカツダ君かあ」
百聞がそう言った瞬間、美柑は思わず吹き出しそうになる。
桔平だけが、静かに傷ついていた。
挨拶を終えると、勝平は百聞と残って話をすることになった。
美柑たちは香に案内され、別の会議室で待つ間に今後の捜査を整理していた。
そこで花吹雪の話になる。
美柑が、弥生の言葉を桔平が録音をしていた事を、神楽に話した。
「そうですね」
神楽は目を閉じ、静かに一言だけ返した。
「ん?神楽姉ぇは知っとったんかの?」
「いえ、でもあのとき美柑ちゃんから聞いた話で薄々感じていました」
神楽は、眼を開けて寝ている桔平を見ながらそう言った。
「ほんとにこいつは、昔からそういう所あるよね」
柑奈が桔平を睨みながらそう言う。
「はい。昔からそうでした」
神楽が、なぜか嬉しそうに笑う。
《そうじゃ。桔平兄ぃは遣るときにはやる男ぞな》
美柑は恋する乙女の特徴で、桔平を過大評価した。
その時、ノックがして会議室の扉が開いた。
「お待たせしました。まずは皆さんをホテルに案内して、それから児島誠司のいる病院に向かいます」
香が会議室に入るやいなや言った。
「ではお願いします」
神楽が言うと、皆が立ち上がる。
ただ一人、椅子に座ったままだった桔平に、柑奈が近づいた。
「こら桔平、起きろ!」
と言って、柑奈が蹴りを入れた。
「痛っ。寝てへん、寝てへん。ちゃんと話しは、聞いとったで」
寝言のように桔平は無罪を主張した。




