第三章「死んだ女が、海から呼びよる(五)」
(五)
湯田個室酒房「磯乃蔵」の掘りごたつ個室には、刺身の盛り合わせと、瓦そば風の熱い鉄板料理、それから山口の地酒が並んでいた。
旅館の料理でも問題はなかったが、
「せっかく山口まで来たんじゃけぇ、今日はちゃんと食べて帰ってもらわんにゃいけんっちゃ」
と晋子が言うので、急きょ外での女子会が始まった。
当当初は、料理の話、温泉の話、仕事とは関係のない他愛ない話が飛び交い、場は穏やかだった。
だが、途中からやはり事件の話になりかけた。
それを止めるように、美柑が箸を置いた。
「そうじゃ。お互いの街自慢をするぞな」
と、言った。
これがいけなかった。
この一言が、後のデッドヒートの原因になろうとは、この時の美柑はまだ知らない。
ルールは簡単である。
愛媛、岡山、山口。
それぞれの名所や名物を、一つずつ出し合う。
出せなかったものが酒を呑む。
ただ、それだけのはずだった。
最初は、温泉地だった。
最初に火をつけたのは、美柑だった。
「温泉地なら、愛媛は負けんぞな」
美柑が胸を張る。だが、美柑はこの戦いにおける本質を見失っていた。
質より量である。
「道後温泉ぞなもし。日本最古級の温泉で、坊っちゃんもある。湯上がりに坊っちゃん団子食べて、路面電車見て、松山城まで行ける。これで勝ちぞな」
香が、ままかりを箸でつまみながら鼻で笑った。
「出た。愛媛の人、困ったらすぐ道後出すんじゃけぇ」
「困っとらんぞな。切り札を最初に出しただけぞな」
「それを困っとる言うんじゃ」
香はにやりと笑う。
結局、「温泉地」では決着が付かず、スマホでAIに審判を仰いだ。
その結果、山口県四十一カ所でトップ。二位が愛媛で、三位は岡山だった。
「くそっ、負けたがぁ」
と言って、香がおちょこの酒を煽った。
そして、次は香が、地元の「有名な名産品」を指定した。ただ、あまりにも数が膨大なので、「地域団体商標」の数で勝負した。これは、難しいので、再びAIに訊いた。
その結果、有効登録件数で愛媛が十二件でトップ。山口と岡山が十件で並んだ。
香と晋子は、涙の酒を呑む。
「名産品の数なら、愛媛は地域団体商標が十二あるぞな。岡山と山口は十じゃけん、愛媛の勝ちぞなもし」
この一言で、香と晋子の闘志に火が付いた。
ここで、晋子が苦言を呈した。
「待ちい。ええところばっかり言い合うても、そりゃあ自慢大会で終わるっちゃ。ほんまの地元愛いうんはな、自分の県の駄目なところまで笑えるかどうかなんよ」
晋子は、おちょこを置いた。
「ここはひとつ、お国自慢やのうて、お国下げ大会にせんかね」
美柑と香はゴクリと唾を飲み込んだ。
「ほんなら、まず山口からいくっちゃ」
晋子は真顔になった。
「山口はな、ええところはぶちあるんよ。萩、秋吉台、角島、錦帯橋、下関、湯田温泉。あるんじゃけど……」
晋子は、そこで深いため息をついた。
「全部、離れすぎちょるんよ」
「ああ……」
香が妙に納得した顔で頷く。
「一泊二日で山口を満喫しよう思うたら、まず移動計画で心が折れるっちゃ。観光しよるんか、県内捜査しよるんか、分からんようになるんよ」
「刑事が言うと説得力あるぞな」
美柑がぽつりと言った。
「山口県民はな、名所を自慢する時だけ県内の距離感を忘れるんよ。『萩もあるし、角島もあるし、錦帯橋もあるっちゃ』言うけど、全部一日で回れるみたいな顔して言うたらいけん」
《これは、まじもんのお国下げぞなもし》
美柑の額に汗が滲んだ。
「ほんなら次は岡山じゃな」
香が、おちょこを置いた。
「岡山はな、“晴れの国”言うとるけど、県民がそれを便利に使いすぎなんよ」
「どういうことぞな。年取った方は仕方ないけん、岡山でそんな人あまり見てないぞな」
美柑が真顔で香に訊く。
「美柑ちゃん。何か勘違いしとらん?」
「何がぞなもし」
「“晴れの国”いうんは、お天気の晴れじゃ。頭の話じゃねぇわ」
香は真顔で言った。
晋子が酒を吹き出す。
「そんなこと思うとったら、逮捕案件じゃ」
「えっ、違うんぞな?」
「違うに決まっとるじゃろ!」
香も笑って、
「雨が降らんかったら『さすが晴れの国』。雨が降ったら『今日は珍しいな、晴れの国なのに』。曇りでも『まあ雨よりましじゃけぇ、晴れの国』。もう何があっても晴れの国なんじゃ」
晋子が吹き出した。
「あと岡山はな、桃太郎を働かせすぎなんよ。駅前にもおる、土産にもおる、看板にもおる、マンホールにもおる。あの人、鬼退治終わってからも休ませてもらえんのじゃ」
みな、大いに笑った。
「ほんなら次は愛媛じゃね。美柑ちゃん、どうぞっちゃ」
と、晋子が煽った。
美柑は、先におちょこに酒を汲み、一気に飲み干すと、胸を張って言った。
「ない!」
……と。
もちろん香と晋子は固まった。
「……ない?」
「愛媛に下げるところなんか、一つもないぞな」
美柑は堂々と言い切った。
次の瞬間、香と晋子の目が光った。
「本州に出るだけで一仕事じゃろうが」
「それが旅ぞな」
「みかんに頼りすぎちょるっちゃ」
「道後と松山城とみかんを出したら、だいたい会話が終わるじゃろ」
「伊予柑もあるぞな」
「それも、みかんの仲間じゃろうが」
「違うぞな。伊予柑は伊予柑ぞな!」
「あと、蛇口からみかんジュース出る話、擦られすぎじゃけぇね」
「京都かて、お茶が出る蛇口あるいう話、聞いたことあるぞな!」
美柑は桔平から聞いた話を持ち出して反抗した。
だが、晋子は静かに笑った。
「美柑ちゃん。愛媛、「新幹線」通っちょらんよね?」
晋子の言葉が、美柑の致命傷となった。
「ぐぬぬ……」
美柑がぷうっと頬をふくらませた
香と晋子はそんな美柑を見て、
「かわええなぁ」
「かわええっちゃ」
と言って、笑った。
その後、三人は仕事の話もせずに、楽しく酒を呑んだ。
めでたし、めでたし。
……にはならなかった。




