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専従捜査官-令和の坊ちゃん編-  作者: 北島 将


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第三章「死んだ女が、海から呼びよる(四)」

(四)

 翌日の朝、美柑は洗面所の鏡の前に立っていた。

《あーっ。泣きすぎて顔がむくんでるぞな》

 寝る前に、資料の整理をしたのがいけなかった。

 倉敷の弥生。

 長門屋の千鶴子。

 そして、彼女たちが凪沙に向けていた思い。

 それらにもう一度触れてしまい、美柑は布団に顔をうずめて泣いた。

《そうじゃ。警察官も人間ぞな》

 鏡に映る自分へ向かって、美柑はそう言い聞かせた。

「おはよう。よう眠れた?」

 朝食会場の自分たちのテーブルに来た、晋子が美柑と香に訊いた。

「もちろん。よう眠れたわ」

 香が、アイスコーヒーを一口飲んで、笑いながら言った。

《嘘じゃ。二人とも顔がむくんどるぞな》

 しかし、香も晋子も自分と同じだったことに美柑は嬉しかった。

「ああ、そうじゃ。あれから彼にメールを送ったんよね」

 晋子が突然、桔平の話を持ち出した。

 美柑がオレンジジュースを吹き出した。

「そ……それで……どがいなったんぞな」

「えー、それ見せてぇな」

 香が、興味を示した。

「ほれ」

 と言って、スマホを開いてみせた。

『山口県警の高杉です。少しお話してもいいですか』

 美柑は晋子の積極的な性格が羨ましくなった。

 そして、恐る恐る桔平の返事を見る。


『僕、何も悪いことしてません(泣)』


 一瞬、三人の間に沈黙が流れた。

 次の瞬間、同時に吹き出した。


 山口県警本部は、翌朝になっても所在の掴めない椋梨慎吾について、児島誠司襲撃事件および瀬戸凪沙の過去事件との関連を疑い、椋梨慎吾の自宅に対する捜索差押許可状を取った。

 午前八時、山口県警捜査一課は椋梨慎吾の自宅へ家宅捜索に入った。

 美柑と香も、晋子とともに臨場した。

 捜査一課長・桂小太郎警視の計らいで、凪沙の過去に関係する資料や物品が見つかった場合は、愛媛県警と岡山県警にも確認させるよう、現場の捜査員に指示が入っていた。

 捜索の結果、凪沙関連のものが多く見つかった。恐らく結婚当時のものと思われる古い写真が、四十三枚も見つかった。

「恐らく離婚してから、椋梨慎吾の時間が止まってたんじゃないかな」

 と、写真を見ながら香が言う。

 一枚一枚捲っていくと、長門屋時代の写真が大半で、凪沙が結婚したときに持ち込んだと思われた。

『笑う顔が、ほんに愛らしい子じゃった』

 女将の千鶴子が言っていた通り、仲居姿の凪沙はよく笑っていた。

 その笑顔は、児島誠司との恋に傷ついた過去を振り切ったかのように、明るく、愛らしい。

 しかし、結婚してからの比較的新しい写真になると、凪沙は笑っていない。 

 その温度差に、美柑の背筋がすうっと冷える。

 頭の中に入れていた椋梨慎吾の資料が、自然と浮かんできた。

 椋梨慎吾。二十五年前、三十三歳。

 地元の中学を卒業後、湯田茶屋「だんらん」でアルバイトを始める。

 素行は決して良いとは言えず、何度も補導歴があった。そのたびに両親や店に迷惑をかけている。

 だが、二十歳を過ぎた頃から、少しずつ落ち着きを見せる。

 やがて厨房を任されるまでになり、店の者からも、ようやく一人前として見られ始めた。

 椋梨慎吾の履歴を頭で整理しながら。最後の一枚で、美柑の指が止まる。

 そこに、美柑が知っている顔があった。


 京都で殺された男。

 宇多津亮――。


 当時の使い捨てカメラで撮られたものらしく、輪郭は甘く、目鼻立ちもはっきりしない。

 それでも分かる。

 亮は、凪沙の方を向いていた。

 笑ってはいない。

 ただ、見ている。

《この目つき、忘れるはずがないぞな》

 香に声をかけられるまで、美柑はその写真から目を離せなかった。

「高杉さん。これを……」

 若い刑事が、古びた手帳を差し出した。

 表紙は擦り切れ、角も丸くなっている。中には、手書きの名前と電話番号がびっしりと並んでいた。

 晋子は数ページをめくり、すぐに顔を上げる。

「本部に持って帰って、ここに書いちょる番号に順番に当たってみい」

 そう言って、晋子は手帳を若い刑事に戻した。

「押収品じゃけぇ、現物の写真も残しちょかんにゃいけん。コピー取る前に手順飛ばしたら、いけんっちゃ」

「はい」

《晋子さん。格好いいぞなもし》

 美柑は素直に思った。

 そこに、香の携帯に岡山県警本部から連絡が入る。

「美柑ちゃん、晋子ちゃん。児島誠司、意識が戻ったそうじゃ。本部から連絡が入っとる」

 香が、スマホをミュートにして言った。

 

 長門屋に戻ってきた美柑達に、女将の千鶴子が走ってきて、一人の女性を紹介してきた。「この子は昔、うちで働いちょってくれた子なんよ。凪沙ちゃんとも、ぶち仲が良うてねぇ。森優子もり・ゆうこいう子じゃ」

 と、言った。そして、優子に、

「ほら、この人らぁが、さっき話しよった凪沙ちゃんのことを調べてくれちょる刑事さんらなんよ」

 千鶴子が紹介すると、優子は小さく頭を下げた。

 美柑たちもそれぞれ挨拶を済ませ、詳しい話は美柑の部屋で聞くことになった。

 部屋に入ると、優子は畳の上に正座した。

 警察官三人に囲まれる形になったせいか、その表情にはまだ硬さが残っている。

 晋子がスマホをテーブルの中央に置いた。

「まず確認させてつかぁさい。この話、録音してもええかね?」

「ええよ」

 優子はそう答えたが、膝の上に置いた手は、まだ落ち着きなく動いていた。

 その様子に気づいた香が、すっと立ち上がる。

「ちょっと襖、開けとくけぇな。閉め切っとったら、息が詰まるじゃろ」

 香はそう言って、廊下側の襖を少しだけ開けた。

 外に声が漏れすぎない程度に、けれど密室には見えない程度に。

 それだけで、優子の肩がわずかに下がった。

 晋子が、改めて口を開く。

「森さん。凪沙ちゃんと椋梨慎吾が、どうやって出会うたんか。そこから聞かせてくれんかね」

 優子は少しだけ目を伏せた。

「凪沙の何を聞きたいんかと思うたら……そこからなんじゃね」

優子は、ため息をついてから話し出した。

「凪沙が長門屋に入ったときからの友達じゃった。凪沙たぁ仕事終わりや休みの日に、湯田茶屋「だんらん」に呑みに行っちょった」

 優子は、少し懐かしそうに目を細めた。

「その頃、うちも同じ店で働いちょった今の旦那と付き合いよったけぇね。凪沙とうち、うちの旦那、それに椋梨慎吾。四人でよう遊びに行きよったんじゃ。それが、凪沙と椋梨慎吾のなれそめじゃね」

 優子は、そこでいったん言葉を切った。

「そりゃあ、いつ頃の話か覚えちょるかね」

 晋子が、続けて訊いた。

「確か、凪沙と椋梨が結婚したんが……平成二年の六月じゃけぇ、その前の年の十二月ごろじゃったかね」

《うん、それは資料の通りぞな》

 美柑は、手帳に書きながら優子を見ている。

「優子さんから見て、二人の結婚生活はどねぇなふうに見えちょったかね」

「んー……はじめは仲が良かったと思うんじゃけどね。椋梨慎吾が店を辞めてからが、ぶち大変じゃったみたいなんよ」

 優子が顔をしかめて話す。

「ただ、うちもその頃、入籍して、子どもができて、ぶち大変じゃったけぇ。なかなか凪沙と話す時間が取れんかったんよ」

 優子は、膝の上で指を握り唇を噛んだ。

「今思えば、無理してでも会うちょきゃよかった。今でも後悔しちょる」

「そりゃあ、なんでかね」

 晋子が短く訊く。

「それは……うちがちゃんと話を聞いちょったら、凪沙はあんな変な男に騙されんで済んだかもしれんけぇ」

 優子は眼を閉じて、

「そう思うたら、今でも悔しいんよ」

「それは、この男ぞな?」

 美柑は手帳から一枚の写真を取り出し、優子に見せた。

 優子は写真を見るなり、膝の上の手をぎゅっと握った。

「そうじゃ。この男じゃ」

 美柑が優子に見せた写真は、宇多津亮の写真だった。

「この男が凪沙に近づかんかったら、あんなことにはならんかったんよ」

 優子は、吐き捨てるように言った。

「凪沙は……あんな男に会わんかったら、まだ笑えちょったかもしれんのに」

その声には、宇多津亮への憎しみが、隠しきれずに滲んでいた。

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