第二章「その嘘、綺麗に剥いちゃる!(八)」
(八)
店内は、思ったよりも狭かった。
カウンターが八席ほど。奥に二人掛けの小さなテーブルが二つ。
壁は塗り直され、照明も今風の柔らかいものに替えられている。けれど、カウンターの角の丸みや、鏡張りの棚、天井の低さには、昔のスナックの名残があった。
洋酒の瓶の隣に、岡山の地酒が並んでいる。
古いレコードジャケットを額に入れたものや、昭和の倉敷駅前を写した写真が、壁にいくつか飾られていた。
「結構、年期を感じますね」
桔平がグビッと日本酒を飲み干してから、店を見渡して初老の男に話しかけた。
「それはそうです。この店は私の母親が二十五歳のときに、開いた店ですから」
男は、酒をグラスに注ぎながら言う。
「お母さんは、今おいくつになられたんぞな?」
自分を褒めてくれた女性に美柑が聞いた。
「きゃあ、方言まででぇれぇ可愛いがぁ。お父さん、お婆ちゃんって今いくつじゃったっけ?」
と、男に振った。
「七十五じゃ」
マスターは、先ほどまでの紳士的な口調とは違い、ぽつりと岡山弁で答えた。
《あ、素が出たぞな》
美柑は少し嬉しくなった。だが、聞くべきことは聞かなければならない。
「よかったら、お母様にお話を聞かせてもらえんでしょうか」
美柑は、遠回しにせず直球で聞いた。
女性の笑顔が、ほんの少しだけ止まった。
「あんたら何もんじゃ?」
「警察ですわ。未解決事件を……瀬戸凪沙さんの事件を追うて、ここへ来させてもろたっちゅうわけですわ」
桔平が、さらり警察手帳を見せた。
《桔平兄ぃ、格好いいぞな》
胸の中で美柑の鼓動が高まった。
「うちは……」
「凪沙姉ちゃんの?」
しかし、マスターがその言葉をかぶせてきたので、美柑は手帳を出しそびれた。
むっとして、頬をふくらませる。
「そうでんねん。」
桔平が、何事もなかったように答えた。
《うちも格好よう手帳出したかったんぞな……》
美柑は、飲みかけのオレンジカシスを一気に飲み干した。
「ああ、まだ名乗っとりませんでしたな。わしは、笠岡康平いいます。凪沙姉ちゃんが、どねぇしたんですか」
マスターの顔はこわばっていた。
「うちは笠岡波華、三十歳です。おかわりでええですか?」
グラスを下げながら、波華は美柑に聞いた。
「あ、同じものでお願いします。うちは浦波美柑。愛媛県警松山西署、期待の新星ぞな!」
美柑の自己紹介に、思わず波華は笑ってしまう。
「美柑ちゃんいうんじゃ。名前まででぇれぇ可愛いがぁ」
「こら、警察が笑いとってどないすんねん」
桔平が肘で美柑をつつきながら小声で言った。
「とってないぞな。うちは、ほんとのこと言いよるんじゃけん」
「あほか。普通、サスペンスドラマやったらこういう時は、渋くいかな絵にならんやろ」
「うちはミステリー派じゃけん。しかもアニメぞな」
ぷいっと横を向いて、美柑は必死の抵抗を見せた。
「ほんま、聞いとるだけでこっちまで楽しいなるがぁ」
波華は、あたらしいオレンジカシスを美柑の前に置いた。
「ああ、康平じゃ。今な、警察の方がお見えになっとって……ああ、そうじゃ。凪沙姉ちゃんの件で、婆ちゃんの話を聞きてぇ言うとられるんじゃ……そこまでは知らんがな……ああ、そう伝えりゃええんじゃな」
康平は電話を置くと、二人の方へ向き直った。
「明日の朝九時に、ここへ来る言うとりますわ」
と、美柑と桔平に告げた。
翌日、約束の午前九時前に 美柑と桔平は「花吹雪」に、やってきた。
扉を開けると、店の奥の小さなテーブルに、笠岡弥生(かさおか・やよい、七十五歳)が座っていた。
背筋が伸びていて、「こんにちわ」と言った声に張りがある。白髪の髪をきちっと後ろで纏めて、見た目は七十五歳とは思えない気品を漂わせている。
美柑は緊張で少し気後れをした。
挨拶もそこそこに、桔平が口を開いて、
「一緒に来てる刑事にも聞かせたいんで、会話を録音させて貰ってもええですか?」
と、スマホを目に置いて、弥生に聞いた。
「どうぞ」
と一言だけ返して、
「凪沙ちゃんのことを聞きてぇいう話じゃけど、あの子がどねぇしたんじゃ」
と、コテコテの岡山弁で訊いてきた。
「はい。凪沙さんは、二十五年前の七月に、お亡くなりになっとります」
美柑は、手元のオレンジ色の捜査メモに目を落とした。
「平成十三年七月十五日。松山観光港行きのフェリーから転落したとされとります」
弥生は凪沙が二十五年前に死んだと聞いて、一瞬だけ目を見開いた。そして目を閉じてしばらく無言になる。ただ、指先だけが震えているように見えた。
「誰が殺したんじゃ?あの男か」
弥生が「あの男」という言葉に、美柑が引っかかった。
「いえ。まだ殺人とは断定できとらんのです」
と、事実だけを言った。
《殺されたとも、あの男とも、うちはまだ言うとらんぞな》
美柑は、手帳を握る指に力を込めた。
「弥生さん、あの男というのは、どなたのことですか」
美柑の問いに、少し考えて弥生は、
「たしか、児島……康平、何いうたかのう?」
「児島誠司じゃ」
康平が、横から岡山弁で短く答えた。
「そうじゃ、そうじゃ。そんな名前じゃったわ」
弥生は、いかにも嫌いな男の名を思い出したという顔をした。
「弥生さんは、児島誠司さんのこと、どう思うとったんぞな?」
と美柑は訊いた。
「あの男は、嘘つきじゃ。凪沙がどねぇな気持ちでおったか知っとりながら、手ぇ差し伸べてやらんかった。結局最後は、あの子を捨てたんじゃ」
「弥生さんから見た、当時の凪沙さんのことを教えてもらえんでしょうか」
美柑は、昨日会った児島の妻・恵美が言っていたことと摺り合わせながら訊いた。
弥生は目を閉じて、何かを思い出すように顔を上に向ける。
「そうじゃのう。一言で言やぁ、一途な子じゃった」
と言った。そして、
「ただな、あの子の「好き」は、危ねぇ好きじゃったんよ」
「危ない、いうんは……どういう意味なんでしょうか」
美柑が一瞬、聞き返すのをためらった。
「一途なんは、ええことじゃ。けど、それが過ぎたらおえん。男にも同じだけ想うてほしい……そう願うだけならまだええ。けどあの子は、それを口に出して、相手に背負わせてしまう子じゃったんよ」
『片っぽだけが想いを強うしとったら、その強い方が地獄を見るんじゃ』
と言った恵美の言葉が、美柑の脳裏に甦ってきた。
「それで児島誠司は、どうしたんですか?」
「そんなもん、あの男に限った話じゃねぇ。あそこまで迫られたら、誰じゃって逃げよるわ」
弥生は、寂しそうな笑顔を見せる。
「けどな、逃げた男が正しかったいう話でもねぇんよ」
「それは、どういう意味なんぞな」
美柑が訊ねると、弥生は少しだけ目を伏せた。
「いつじゃったか、凪沙が仕事にならんぐらい、ぼろぼろ泣いて顔を怪我して、うちんとこへ来たことがあったんよ。どねぇしたんじゃ言うても、話そうとせん。あの男が原因じゃいうんは、聞かんでも分かった」
ここまで話して、弥生は一呼吸置いた。
「ほじゃけど、あん時のあの子は、尋常やないぐらい泣き止まんかった」
「それで、その時はどがいされたんでしょうか」
「あの子がようやく落ち着いたところで、訳を聞いたんじゃ。誰に聞いたんか知らんが、児島が結婚しとることを知って、相手の嫁に直談判しに行ったらしい。ほしたら嫁に散々言われて、泣いて帰ってきた。そこへ怒った児島があの子の部屋へ押しかけて、散々あの子を殴りつけた言うんじゃ。ほんま、ろくでもねぇ男じゃ」
「ほんま最低な男じゃ。そがいなもん、即逮捕ぞな、逮捕!」
聞いていた美柑も、なぜか自分のことのように怒り出した。
そんな美柑の姿を見て、弥生の表情が少しだけ和らいだ。
「ありがとうね。今のあんたの言葉を聞いたら、死んだあの子も少しは浮かばれるじゃろ」
弥生が、凪沙に変わって、頭を下げた。
「いえ。自分が悪いくせに、暴力を振るう男なんて最低ぞな」
照れながらも、鼻息を荒くして美柑は言った。
「うちの店で働いとる子らは、みんなうちの娘みてぇなもんじゃ。その可愛い娘を傷つける奴は、許せん」
弥生の声に、静かな怒りが混じった。
「じゃけぇ、うちは児島の会社に電話して、『警察へ行くけぇ、覚悟しとけ』言うて怒鳴ったんじゃ。ほしたら、上司と児島が菓子折り持ってやって来た」
と、弥生は床を指さして、
「ほら、ここじゃ。ここに二人そろって土下座して、泣いて謝っとったんよ」
口を押さえて弥生は笑った。
「そのあと、児島さんはどがいなったんですか?」
「さあ。あんな奴のことなんぞ、興味もねぇわ。……ああ、ほかの件も合わせて解雇になったいうて、上司が言うとったな。ざまあみろ、じゃ」
不意に、弥生が寂しそうな顔をして、
「ただな、凪沙も、しばらくしてうちを辞めていったんじゃ」
《凪沙さんのこと、まだ忘れられとらんのじゃな》
その寂しそうな顔を見て、美柑はこれ以上の聞き取りをやめようと決めた。
「そうですか。今日はお時間をいただき、ありがとうございます」
美柑は、深く頭を下げた。
「また来てつかぁさいな。今度は、あの子がその後どねぇ生きたんか、聞かせてつかぁさい」
と、弥生も静かに頭を下げた。
美柑と桔平の二人が腰を上げたとき、弥生が、
「そういやぁ、あの男が初めてやないって、凪沙ちゃんから聞いたことがあるわ」
美柑と桔平の動きが止まった。
「たしか、高校三年の時じゃったかのう。先生と、そういう関係じゃった言うとった」
二人は顔を見合わせて驚いた。
《高校生に手ぇ出す大人なんぞ、犯罪ぞなもし。条例違反じゃ。懲戒免職レベルの問題になって当然じゃろ》
思ってもみなかった事態に美柑は静かな怒りを覚えた。




