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51.偵察②

 俺は再び森の入り口へとやって来た。

 リーズたちの姿はすでにない。

 残された馬だけが、息を切らし戻ってきた俺を不思議そうに見つめている。

 森の様子も、先ほどとまったく変わらない。

 その不吉な薄暗い口を開き、静かにそびえ立っていた。


 ・・・大丈夫だ。

 緊張してはいるが、さっきほど混乱はしていない。

 俺は森の入り口の一本の木に向かって水、氷、炎の魔法を打つ。

 よし、いつもより時間はかかるが、魔法のイメージもできる。

 軽傷治癒の腕輪だってつけてきてる。

 俺は戦える。

 深い暗闇を睨み付けながら、俺は森の中へと足を踏み入れた。

 


 森に入って一時間ほど経った。

 空を覆う大量の厚い葉により日の光は半減し、さらにうっすらと立ち込める霧のせいで森の中は非常に見通しが悪い。

 森の中にはあまり背の高い植物は生えていなかった。

 巨大な木々のせいで日の光が入ってこないのが原因だろう。

 苔の生えた地面と、カビ臭いじっとりとした空気の中、俺は森を一人進む。

 風で木々の葉がこすれる音を聞くたび、心がざわつく。

 差し込む日の光が揺れるのに過剰に反応してしまう。

 木の後ろにありもしない狼の陰を見てしまう。

 張りつめた心に、だんだんと精神が疲労していく。


 不意に、

 ザッ・・・ザッ・・・

 と葉のこすれる音とも違った、何かが動く音が遠くから聞こえてくる。

 俺はすぐに立ち止まり身構え、音の聞こえてくる方を見つめる。

 ザッ・・ザッ・・ザッザッザッ!

 音は次第に大きくなっていく。

 確実に何かが近づいて来ている。

 地面を踏み走る動物の足音だ。

 (と、とうとう来たな・・・)

 俺はパニックになりそうな頭を、深呼吸をして落ち着けながら、平常心を自分に言いきかせる。

 そして大きな物音とともに、目の前に何かがよろけながら出てきた。

 覚悟していたにも関わらず、飛び出した物陰に一瞬体が固まる。


 しかし、すぐに肩の力は抜けた。

 出てきたのは、一匹の雌鹿だった。

 俺がいることに気が付かなかったのか、雌鹿は出てきた瞬間、驚いたようにこちらを顔を向け動きを止める。

 俺もそんな様子を見て少し安堵し、前方に伸ばしていた腕をいったん下ろした。


 が、次の瞬間、何かが鹿の首筋に飛びつく。

 そして、ガギッ!という鈍い音とともに、鹿の首があらぬ方向に折れ曲がった。

 飛び出してきたのは灰色の巨大な狼。

 この森に住む亜種、アッシュウルフ。

 ライオンと見間違うほどに大きな狼が、一瞬で目の前の雌鹿の息の根を止める。

 そして雌鹿が倒れ込むと同時に、さらに二匹のアッシュウルフが木の陰から飛びだし、雌鹿の胴体を切り裂き、後ろ足に噛みついた。

 後ろ足も一瞬のうちに噛みちぎられ、さらに追いついた二匹を加えた計五匹の巨大な狼が、雌鹿をバラバラに食い荒らしていく。

 

 彼らは俺の存在にも気付いていた。

 鹿の肉を食らい口を血で汚しながら、「次はお前だ」と言うかのように血走った大きな眼で俺をみすえる。


 俺はその場から動けない。

 鼓動は耳障りなほど大きな音をたてて鳴っているのに、呼吸はまるで心臓が止まったかのように詰まり、息が上手く吸えない。

 心を恐怖が覆い始める。

 しかしまだ、今日ここに来た目的までは見失っていなかった。

 骨を砕き、皮を食いちぎり、血と肉を咀嚼する音を聞きながら、俺は無理矢理もう一度深呼吸し、自分に言い聞かせる。

 俺は今日、こいつらを倒す。

 そして今度こそ、俺はリーズたちとともに戦えるようになる。



 やがて、一匹の狼が鹿の死体から口をはなし、ゆっくりと俺の方へ歩み寄る。


「ッくらえ!」


 俺はそんなアッシュウルフに向かって、あらかじめイメージしていた火球を打ち込んだ。

 しかし、当たらない。

 アッシュウルフはその巨体に見合ぬ俊敏さで火球をかわす。

 そして、消えたかと錯覚するほど素早い横へのフェイントの後、俺の顔面めがけて飛びかかった。

 やばいっ!

 そう感じ、俺は振り向くこともできないまま、アッシュウルフが移動したであろう方向に向かって火球を飛ばす。

 ギャヴゥ!

 直後響くアッシュウルフの悲痛な叫び声。

 よし!当たっーーー


「うわっ!」


 腰の辺りに強い衝撃を受け、地面に倒れる。

 目の前にはアッシュウルフの大きな顔と眼。

 濃い獣臭と、毛の焦げた臭いの混じったものが、鼻から体の中に入ってくる。

 俺はアッシュウルフのタックルをくらっていた。

 火球が当たってひるんだおかげで噛みつかれはしなかったが、アッシュウルフは飛び込んできた勢いそのまま、俺の体につっこんできたのだ。


「くっ!ど、どけ!」


 後頭部を地面に打ちつけながらも、魔法でアッシュウルフを突き飛ばすようにどかし、すぐに立ち上がり距離をとる。


 あ、危なかった。

 でも、魔法はちゃんと撃てたぞ!

 覚悟すれば、考えることをやめなければ俺でも戦える!

 あと使う魔法だ。

 火じゃダメだ。

 相手の勢いを殺せない。

 一気に焼き殺す火力も想像できない。

 もっと直接的な攻撃じゃないとーーー


 などと考えながら、俺を取り囲むように移動し始めるアッシュウルフを見渡す。

 すると、少しの違和感と共に、ゾクッ、と不吉な感覚を背後に感じる。

 俺はすぐに氷の壁を背後に出す。

 同時に響く強い衝撃音と唸り声。

 後ろを振り返ると、出した氷の壁には深い牙と爪の跡がつき、その下には怒り狂った凶暴な目付きで俺を睨むアッシュウルフがいた。

 い、いつの間に後ろにーーー


 と、驚く暇もなく、背後から聞こえる足音。

 急いで氷壁を出し振り向くと、二匹のアッシュウルフが同時に飛びかかって来ていた。

 一匹は全速力で俺の出した氷壁に突撃し、もう一匹は牙を立て噛みつく。

 そして、


バキッバキバキバキッ!

「なっ!」


 氷壁は二匹の攻撃により中程で折れ、大きな氷の塊が俺の体目掛けて落ちてきた。

 潰されそうになりながらも、紙一重で転げるように避け、そのまま近くの太い木の根元に移動する。

 木を背にして、再び俺を取り囲むように移動し始めるアッシュウルフ五匹を見渡す。


 や、ヤバい、防戦一方だぞ!

 目を離したらすぐ攻撃される!

 いや、そもそもなんでこんなに後手に回ってるんだ。

 勝つなら、倒すなら、俺から攻撃しなければ!

 と、とにかくまずは魔力を展開するぞ!


 俺は広範囲に魔力を広げようと、腕を横に広げる。

 しかし、それは叶わない。

 魔力を展開するよりも速く、俺を取り囲むアッシュウルフたちは前方、両斜め、左右それぞれから五匹同時に飛びかかる。

 なっ!このままじゃ、死ぬ!!

 俺は広げ始めた魔力を全て氷の壁に変えようと全力でイメージする。

 一瞬で前後左右に厚い氷壁が立つ。


 しかし、


「・・・えっ?」


 一匹のアッシュウルフが、氷壁に突撃した他のアッシュウルフの背を蹴り、高く飛び上がる。

 俺は上を見上げる。

 視界いっぱいに広がる鋭い牙。


「うわぁっ!!」


 間一髪のところで俺は助かっていた。

 アッシュウルフにのしかかられ転倒する際、無意識に相手の口を手で押さえていたのだ。

 狭い氷の檻の中、倒れ込む俺の顔のすぐ前で、大口を開け噛みつこうとするアッシュウルフと、その鼻先と下顎を手で押し返し抵抗する俺。

 俺を捕食しようとアッシュウルフが体に力を入れるのを感じる。

 俺も魔法でさらに強く押し返す。

 しかし力が足りない。

 アッシュウルフの牙が徐々に近づく。

 押し返す魔法を重ね掛けしなければと考えるが、上手くいかない。

 目の前には巨大な口、むき出しの歯茎、鋭い牙と濃い血の臭い。

 死ぬ。

 少しでも魔法を緩めれば死ぬ。

 それがわかっているのに、死の恐怖に思考が埋め尽くされ、魔法が上手く出せない。

 目の前の死に、過去の記憶が重なる。


 俺を追い立てる牙、鋭い爪、切り裂かれる背中、流れ出る血ーーー


 少しづつ、牙が顔に近づく。


 ーーー焼けるような痛み、睨みつけるいくつもの眼、重くなる瞼、冷たくなる体ーーー


 だがそれと共に、もう一つの記憶も蘇る。


 ーーー頬に当たる石畳、眩しい朝日、背中から転がり落ちる何か、涙目で俺に笑いかける少女。


 ・・・そうだ、レミアが待ってる。

 レミアが、屋敷で俺を待ってる!


「くっそおぉぉぉ!!!」


 魔力で満たされた氷の檻の中、俺は叫びながら、何本もの氷の針をむちゃくちゃに生成した。

 そのうちの一本が自分の左太ももを貫通する。

 意識が逸れ、アッシュウルフを押さえていた魔法もとける。

 手で押し返すことができなくなり、両腕ごと頭をアッシュウルフに噛みつかれる。

 両腕に深く牙が刺さる。


 「ぐっうぅ!!」


 腕と足を襲う激痛に声にならない声をあげる。

 そして腕を貫通し頭までかみ砕くであろうアッシュウルフの牙を想像し、俺は強く目をつむる。


 しかし、その未来が訪れることはなかった。

 目をつむる俺の顔に降り注ぐ、なま暖かい液体。

 何かと目を開くと、それはアッシュウルフの体から流れ出た血液だった。

 透明だった氷の檻は、何本もの氷の針に串刺しにされたアッシュウルフの血で、真紅に染まっている。

 魔法で腕に噛みついていた口を外すと、アッシュウルフはどさっと俺の体の上に倒れ込んだ。

 その目からは既に、光は消えている。


 俺はすぐに氷の檻の天井を魔法で塞いだ。

 外にいるアッシュウルフに檻を壊されないよう、氷の壁もさらに厚くする。

 そして、つけてきた軽症治癒の腕輪で足と腕の怪我を治しながら、檻の外に群がるアッシュウルフと、足下の死体を見た。

 倒した・・・

 俺はまだ生きてる・・・

 濃い血の臭いの充満する冷たい氷の檻の中、俺はもう一度深く深呼吸をした。



 その後は一方的だった。

 氷壁に向かってタックルを繰り返すアッシュウルフを横目に、俺は氷壁の隙間から外に魔力を流す。

 そしてまずは近くにいた一匹を、檻の中のアッシュウルフと同じように氷の針で串刺しにした。

 次に、それを見て一瞬動きの止まった一匹の足を氷で拘束し、炎の魔法を繰り返し発動して焼き殺す。

 さらに近くにいたもう一匹は、前後左右あらゆる方向から撃つ無詠唱での「水刃」で息の根を止めた。

 魔法陣のものより切れ味が悪いので、これは思ったより時間がかかった。

 最後の一匹はそんな仲間の様子を見て逃げだそうとしたが、広げていた俺の魔力の範囲内だったので、全身を氷漬けにして殺した。


 アッシュウルフが全滅したのを見て、氷の檻を壊し外に出る。


「・・・帰ろう。

レミアと、遊ぶ約束をしてたんだった・・・」


 俺はもと来た道を、ふらつく足取りで引き返し始めた。


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