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鋼の狂犬  作者: 八咫 日本


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98/101

第98話 戦友との決別

 すべてのシステムが沈黙し、官邸地下の巨大な大回廊は、ひんやりとした静寂と硝煙の匂いに包まれていた。

遠くから、革命軍——今は新政府軍と呼ぶべきか——の大部隊が、制圧のために軍靴を鳴らして迫ってくる音が、残響のように響いている。

戌亥と牡丹は、崩れかけたコンクリートの壁に背を預け、並んで座り込んでいた。

もはや二人に戦う力は残っていない。

戌亥は左腕を失い、右胸部の貫通傷からは人工血液が絶え間なく流れ出している。動力炉は完全に沈黙し、非常用の補助バッテリーだけでかろうじて意識を保っている状態だ。

牡丹もまた、満身創痍だった。二丁の『雷火』の弾倉は空になり、機体の右半分は装甲が剥がれ落ちて火花を散らしている。美しい顔の左半分も人工皮膚が破れ、金属の骨格が痛々しく露出していた。

「……終わったな」

戌亥が、暗闇の中で静かに呟く。

「ホンマやな。えらいドンパチやったわ」

牡丹は、残された右腕で顔の血を適当に拭いながら、いつものように飄々と笑った。

二人が背後で守った市民たちは、システムの完全停止と同時に、アメリカ軍の誘導によってすでに地上へと避難を開始していた。

任務は完了した。誰の命令でもない、自分たち自身で決めた「意地」を、最後まで貫き通したのだ。

「……俺の意地に、最後まで付き合わせて悪かったな」

戌亥は、隣に座る戦友に、顔を向けずに言った。

「アホか。ウチが勝手に暴れただけや。アンタのせいちゃうで」

牡丹は鼻で笑い、そして、少しだけ真面目な声色になった。

「で? アンタ、これからどうすんの」

遠くの軍靴の音が、確実に近づいている。

ここで見つかれば、旧体制の暗部である彼らは確実に処刑されるだろう。

「……俺は……」

戌亥はゆっくりと立ち上がろうとしたが、右足の人工筋肉が軋みを上げ、再び壁に背を打ち付けた。

「無理すんなや。その体じゃ、まともに歩くこともできへんやろ」

牡丹が手を差し伸べようとした。だが、戌亥はその手を残された右腕で軽く制した。

「……牡丹」

戌亥は、赤い単眼レンズで牡丹を真っ直ぐに見据えた。

「ここは俺が引き受ける。お前は行け」

「ハァ? 何寝言ぬかしとんねん。一緒に逃げるんやろが」

「いいから行け」

戌亥の声は低く、しかし有無を言わさぬ迫力があった。

「俺はもう動けない。お前が残っても、道連れになるだけだ」

「……アンタ、ここで死ぬ気か?」

牡丹の目に、初めて微かな怒りのような色が浮かんだ。

「死ぬ気はない。生き延びる道は探す。……だが、俺にはまだ、やるべきことがあるような気がするんだ」

戌亥は、脳裏に響くエイダの「自由」という言葉を反芻しながら言った。

「お前は生きろ。逃げて、新しい時代を……お前の意思で見極めてこい」

それは、かつて「国家の犬」であった彼が、初めて他者に向けて発した、純粋な「願い」だった。

牡丹は、戌亥の目を見つめ返した。

感情の薄い赤い単眼レンズ。だが、そこには確かな「個人の意思」が宿っている。

彼が本気で生き延びるつもりであり、その上で自分を逃がそうとしていることを、牡丹は直感で理解した。

「……しゃあないな」

牡丹は、小さくため息をつき、立ち上がった。

そして、傷だらけの顔に、いつもの不敵な笑みを浮かべる。

「ウチら、自由になってもうたんやもんな。誰の命令も聞かん。……アンタが残るっちゅうなら、勝手にせえ」

彼女は、ボロボロになった二丁の『雷火』を腰のホルスターに収めた。

恋愛感情など微塵もない。ただ同じ地獄を這いずり回り、互いの背中を預け合い、数え切れないほどの死線を潜り抜けてきた、純粋な『戦友』としての信頼だけがそこにあった。

「……ほな、お互い生きようや。またどこかでな、迷い犬」

牡丹は、血まみれの顔で笑うと、驚異的な脚力で崩壊する官邸の壁を蹴り上げた。

彼女の背中が、換気ダクトの巨大な縦穴へと吸い込まれ、たちまち硝煙の舞う上層部へと姿を消していく。

「……ああ。達者でな」

戌亥は、戦友の消えた暗闇に向かって小さく呟き、そして、残された右腕でヤタガラス改を強く握り直した。

四方八方から迫る新政府軍の足音が、すぐそこまで来ている。

孤独な狂犬の、最後の意地を見せる時が来た。

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