第93話 狂犬たちの凱旋(官邸地下の攻防・その1)
第一階層・首相官邸地下。深層データバンクへと続く巨大な大回廊は、勝者たちの狂乱と、敗者たちの悲鳴に支配されていた。
「出てこい! 隠れても無駄だぞ、政府の犬ども!」
小津家高が掲げた「解放」という錦の御旗のもと、官邸になだれ込んだ革命軍の一部は、完全に暴徒と化していた。かつて下層階で虐げられてきた彼らは、勝利という名の美酒と正義感に酔いしれ、降伏を叫んでうずくまる政府の末端職員や、逃げ遅れた非武装の市民たちを次々と引きずり出し、銃床や鉄パイプで容赦なく殴りつけていた。
「こいつらだ! こいつらが酸性雨を降らせて、俺たちの家族を見殺しにしたんだ!」
「革命だ! 正義の鉄槌を下せ!」
血走った目で私刑を行う暴徒たち。そこには、新しい時代を築く崇高な理念などなく、ただ抑圧から解放された憎悪が暴力となって連鎖しているだけの、凄惨な地獄があった。
回廊の入り口を制圧したアメリカ軍の最新鋭パワードスーツ部隊は、その虐殺劇を止めるどころか、冷酷なカメラアイで見下ろしているだけだ。彼らにとってこれは、敗戦国におけるただの「内政問題」に過ぎない。
「や、やめてくれ! 私たちはただの事務員だ、何も知らな——」
初老の職員が命乞いをするが、暴徒の一人がニタニタと笑いながら、その頭に旧式ライフルの銃口を突きつけた。
「うるせぇ。上の階層に住んでたってだけで、お前らも同罪だ。死ね」
暴徒が引き金に指をかけた、その瞬間。
チュイィィィンッ!!
回廊の奥の暗闇から、甲高い発射音と共に高出力のレーザーが閃いた。
一条の熱線が、ライフルの銃身を暴徒の右手首ごと正確に焼き切る。
「ぎゃああああッ!?」
手首を失った暴徒が絶叫を上げてのたうち回る。その場にいた全員の視線が、レーザーの放たれた暗闇へと向けられた。
非常灯の赤い光に照らされ、ズリッ、ズリッ……と、重い足音を立てて『それ』は姿を現した。
「……何の真似だ、お前ら」
左腕を完全に失い、その断面を『ヤタノカガミ』の漆黒のマントで覆い隠した巨漢。
右胸部にはぽっかりと風穴が開き、むき出しになった装甲の隙間から絶望的な黒煙とオイルを噴き出している。右腕に握られた大口径拳銃『ヤタガラス改』だけが、死神の鎌のように鈍く光っていた。
「い、戌亥迅……! 暗部の『鴉』だ!」
暴徒たちが悲鳴のような声を上げる。
「何が正義だ。何が解放だ」
戌亥は、出力5%の限界を迎えている身体を強引に引きずり、怯える市民たちの前に立ちはだかった。
「弱い者から命を奪うのがお前たちの革命なら……俺が、ここで全員叩き潰す」
「ふ、ふざけるな! お前ら治安維持局が今まで俺たちに何をしてきたか……!」
「黙れ」
戌亥の赤い単眼レンズが、暗闇の中で激しく明滅する。
「俺が人殺しのバケモノだということくらい、自分が一番よく知っている。……だからこそ、ここで命を張るんだ」
暴徒たちが一斉に銃を構える。
戌亥は痛覚を完全に遮断し、ヤタガラス改を構えた。もはや光学迷彩を起動する電力すらない。頼れるのは残された右腕と、東雲のチューニングによる右足の瞬発力だけだ。
「撃てェェッ!!」
無数の銃弾が戌亥の巨体に降り注ぐ。
戌亥はヤタノカガミの防弾繊維を盾にしながら、右足で床を踏み砕いて突進した。だが、エイダとの死闘で完全にシステムが崩壊している身体は、かつてのような超加速を許さない。
被弾の衝撃で姿勢が崩れ、膝がガクンと落ちる。
「死に損ないが! そのままくたばれ!」
暴徒の一人が、鉄パイプを戌亥の頭部へ向けて振り下ろした。
(……ここまで、か)
戌亥の視界にノイズが走り、迎撃のパイルバンカーを打ち出す油圧が立ち上がらない。
だが、戌亥の頭蓋が砕かれるよりも早く。
回廊の強固なコンクリートの天井が、凄まじい爆発音と共に吹き飛んだ。
「——どけや、三下どもォォッ!!」
瓦礫の雨と粉塵が舞い散る中。
天井の穴から、一筋の雷光のような軌跡を描いて『彼女』が降下してきた。
両足の踵に内蔵された『壱式・瞬発穿孔脚』の極太の杭が、下で戌亥を囲んでいた暴徒たちを衝撃波ごとまとめて粉砕し、血の華を咲かせる。
ダンッ! と軽快に着地したその背中。
体の半分を覆っていた人工装甲は焼け焦げ、左目付近の人工皮膚は剥がれ落ちて金属の骨格が剥き出しになっている。満身創痍。だが、その唇には、いつものように不敵で飄々とした笑みが浮かんでいた。
「……ったく、どこまで行っても手のかかるポンコツやな、アンタは」
二丁のカスタム・マシンピストル『雷火』をクルクルと回しながら、御堂牡丹が、戌亥の隣に並び立った。
「……牡丹。お前、別の防衛ラインにいたはずだろう」
「アホか。正規軍はアメ公にボコボコにされて全滅や。木下の豚も逃げ出したらしいで。……もう、ウチらが命令聞いて守るべき国なんか、どこにもあらへん」
牡丹は、迫り来る革命軍とアメリカ軍の部隊を前にして、楽しそうに笑った。
「なあ、戌亥。神様も国も死んだのに、ウチらがこんなボロボロになってまで戦う理由、あると思うか?」
「……ないな」
戌亥は、強引に立ち上がり、ヤタガラス改の銃口を前へ向けた。
「ただの、意地だ。……俺たちが今まで奪ってきた命の代わりに、後ろで震えてる連中を守る。それだけだ」
「ホンマ、笑えるわ。狂犬が番犬気取りとはな」
牡丹は『雷火』の安全装置を外し、戌亥と背中合わせになるようにして構えた。
「——でも、最高に胸糞悪くない戦いや。付き合うで、迷い犬。ウチらの意思で、このチンピラどもに噛み付いたろやないか」
理屈などとうの昔に消え失せた。国家のためでも、地下の神のためでもない。
ただ、同じ地獄を這いずり回ってきた戦友としての絆と、旧世代のサイボーグとしての意地。
自由という呪いを背負った二匹の狂犬の、誇り高き最後の死闘が幕を開けた。




