91話 崩落の王冠(革命前夜・前編)
瀬戸内海上に敷かれていた新京の絶対防衛圏。かつていかなる他国の干渉も許さなかったその目に見えない壁が、今、無数の火柱と共に海面へと崩れ落ちていた。
日本亡命政府代表、小津家高が率いる支援艦隊が、ついに新京の海域を完全に制圧したのだ。
『市民たちよ。長く苦しい、偽りの夜が終わる。今こそ自らの手で、この国の扉を開け』
ジャックされた新京の全天候型スピーカーから、小津の静かで力強い声が響き渡る。そのカリスマに満ちた宣言は、酸性雨を生き延びた数十万の市民たちの心に、消えることのない革命の火を点けた。
彼らは亡命政府から密かに供給されていた旧式の銃器や鉄パイプ、あるいは瓦礫を手に、怒涛の波となって第一階層へと続くスロープを駆け上がり始めた。彼らを突き動かしているのは、自分たちを虫ケラのように扱い、無差別に殺そうとした木下政権への、純粋で巨大な憎悪だった。
その無数の群衆を第一階層の入り口で迎え撃つはずだったのが、加藤新国防大臣の下に再編された正規軍と、権藤鉄幹率いる国防省直轄・特殊機甲連隊『金剛』の残存部隊である。
だが、彼らの陣地はすでに、暴徒が到達する前に地獄と化していた。
「撃て! ラインを割らせるな! 相手はたかだか……ッ」
正規軍の指揮官の絶叫は、空から降ってきた圧倒的な質量の前に途切れた。
轟音と共にコンクリートを粉砕して着地したのは、CIA特殊作戦部『ファントム・スレッド』の技術供与を受けた、アメリカ軍の最新鋭外骨格装甲部隊である。
滑らかな流線型のフォルムと、人工筋肉を極限まで強化した漆黒の機体。彼らは着地と同時に、まるで重力を無視したかのような異常な機動力で正規軍の陣地へと突っ込んだ。
「連隊長! 第四小隊、全滅! 敵の装甲を抜けません!」
権藤鉄幹は、酸性雨での暴徒鎮圧戦で失った左腕の断面から火花を散らしながら、残された右腕のウェポンラックから六銃身大型ガトリング砲を引き抜いた。
「慌てるな。所詮は人が着る鎧だ。関節部の駆動系に弾幕を集中させろ」
極めて冷静で論理的な判断。権藤は自らのガトリングを咆哮させ、迫り来るアメリカ軍のパワードスーツへ秒間数十発の徹甲弾を浴びせた。
だが、次の瞬間、権藤の論理的な計算は完全に裏切られる。
パワードスーツの表面に、エイダの流体金属を応用したと思われる電磁防壁が波紋のように展開し、金剛の放つ重機関銃の弾幕をことごとく弾き返したのだ。
「……馬鹿な。歩兵レベルに積める出力の盾ではない」
権藤が驚愕に目を見開いた直後、パワードスーツの一機が瞬時に距離を詰め、その巨大な鋼鉄の拳を金剛部隊の兵士の胴体へと叩き込んだ。
分厚いチタン装甲を誇る日本の第三世代軍用サイボーグが、まるで空き缶のようにひしゃげ、内部の人工臓器を撒き散らしながら真っ二つに引き裂かれる。
そこから先は、戦いではなく一方的な蹂躙だった。
日本の誇る重装甲と火薬に頼った旧式のサイボーグ兵は、アメリカの圧倒的なテクノロジーとエネルギー兵器の前に為す術もなく粉砕されていく。
「これが……次世代の、力か」
権藤の呟きすら、パワードスーツから放たれた高出力のプラズマブレードによって両断された。
冷徹な狂信者として、国家のために戦い続けた権藤鉄幹の首が宙を舞う。
日本の軍事力の象徴であった『金剛』が、アメリカという巨大な新しい時代のうねりによって完全に駆逐された瞬間だった。防衛ラインは紙切れのように突破され、正規軍は完全に瓦解した。
第一階層、首相官邸地下のオペレーションルーム。
防衛ラインを示すモニター群が、次々と真っ赤なエラーコードに染まり、通信が途絶していく。
「……加藤!! どうなっとるんだわ!! ワシの軍隊はどうした!!」
内閣総理大臣、木下英雄の絶叫が、緊急電源の薄暗い室内に響き渡った。
「そ、総理、申し訳ありません! 権藤の金剛部隊も完全に沈黙! アメリカの介入により、我が軍は壊滅状態です! もう、第一階層を守る手立ては……ッ」
顔面を蒼白にさせた加藤国防大臣が、床に這いつくばるようにして震えている。
「ふざけるな! ワシの国だぞ! ワシの玉座に向かって、泥靴で上がり込んでくるなんて許されるわけがないんだて!」
木下は近くの端末を手当たり次第に蹴り飛ばし、血走った目で周囲のオペレーターたちをねめつけた。
彼の頭の中には、国家の未来も市民の命もない。あるのはただ一つ、中卒のチンピラから血反吐を吐いて這い上がり、ついに手に入れた「最高権力」という甘美な舞台を奪われることへの、底知れない恐怖と執着だけだった。
「石田! 石田はどこにおる!」
「は、はいッ!」
内務大臣の石田が、怯えきった顔で姿を現す。
「こうなったら仕方がないわ。連中に、ワシの、新京の本当の力を見せつけてやる」
木下の目が、爬虫類のように細く濁った。
「アマテラスのロックを解除しろ」
その言葉に、オペレーションルームの全員が息を呑んだ。
衛星レーザー兵器『アマテラス』。かつて中国の巨大な軍閥を宇宙空間からの一撃で蒸発させ、何百万という人間を消し飛ばした悪魔の兵器である。
「そ、総理!? アマテラスを使用するにしても、現在新京の空域には、敵の支援艦隊だけでなく、一般市民も多数……」
「だからどうしたと言うんだわ!!」
木下は腰から拳銃を抜き、石田の眉間に突きつけた。
「ワシに逆らう奴らは全員テロリストだ! 海の上の小津の艦隊もろとも、ワシの玉座を狙うアメリカの首都ワシントンD.C.に、直接アマテラスを撃ち込め! ワシの国を奪う気なら、世界中を道連れにして灰にしてやるわ!!」
それは、完全に正気を失った独裁者の、破滅的な狂気だった。
自らの虚構の王冠を守るため、すべてを焼き尽くすことを決断した木下。
オペレーターたちが泣き叫びながら最終パスコードを入力し、宇宙空間に浮かぶ死の衛星が、静かにその矛先を地上へと向け始めた。




