第9話 狂信の証明
上層区のペントハウスで裏切り者の高級官僚を処刑した直後。戌亥の鼓膜が、遥か下方から突き上げてくる重い爆発音を捉えた。
官僚と同じタワーの別フロアに居住していた、データブローカーの部屋からだ。別働隊として動いていた御堂牡丹が、目標の排除を完了した合図だった。
戌亥は血の海と化したペントハウスを後にし、タワーの中層に設けられた空中庭園――今回の合流および回収地点――へと向かった。
硝子張りのエレベーターを降り、非常扉を蹴り開けた先。
そこには、人工芝と美しい観葉植物で彩られていたはずの庭園の見る影もない、凄惨な肉挽き機のような光景が広がっていた。
床に転がる死体の群れは、戌亥がヤタガラスで撃ち抜いたものとは明らかに異なっていた。
首をありえない角度にへし折られた重武装の警備員。巨体にもかかわらず、胸郭を真ん中から完全に陥没させられ、内臓を吐き出して絶命している者。そして庭園の中央には、四肢の関節を逆方向に破壊され、もはや人間の原型を留めていないデータブローカーだった男の肉塊が転がっていた。
銃弾による殺戮ではない。巨大な質量を持つプレス機で無理やり蹂躙されたような、暴力の痕跡。機械の重量と出力を乗せた格闘術、そして近接戦闘による徹底的な破壊行動がもたらした残虐な結果だった。
その地獄の中心に、牡丹は立っていた。
「ふぅーっ」
彼女は血に染まった短い髪を揺らしながら、愛らしい唇を尖らせて、愛用の双銃『雷火』の銃口から立ち昇る硝煙を吹き飛ばした。
黒いライダースーツも、無機質な機械の脚も、そして彼女の白い頬も、べっとりとどす黒い返り血に塗れている。だというのに、彼女の顔にはまるで遊園地で遊び疲れた少女のような、満面の無邪気な笑みが浮かんでいた。
「あ、戌亥。そっちも終わったん?」
死体の山を乗り越えて近づく戌亥に気づき、牡丹は人懐っこい声を上げた。
その足元で、突然、血だまりが波打った。
「……っ、この、バケモノどもめ……」
腰の骨を砕かれ、下半身の感覚を失った護衛の一人が、虫の息で這いずりながら牡丹を睨み上げていた。
「お前らのような狂った犬に……いつか、天罰が……下る……っ!」
肺から血の泡を吹き出しながら放たれた、怨念のこもった呪詛。
普通なら眉をひそめるか、無言でトドメを刺す場面だ。だが、牡丹はその言葉を聞いて、腹の底から楽しそうに笑い声を上げた。
「あははっ! 天罰?」
カシャッ、と。
牡丹の分厚い機械の踵から、極太の鋼鉄の杭がスライドして顔を出した。
「アホやなぁ。うちの神様は、天やのうて地下におるんよ」
彼女の瞳の奥底に、底なしの暗黒が覗いた。
地下の薄暗い整備室で、自身の凄惨な過去をへらへらと笑いながら語っていた姿が、戌亥の電子頭脳にフラッシュバックする。
彼女にとって、親と足を奪ったテロリストを憎み、自分に機械の脚を与えた国家を崇拝することは、もはや絶対的な信仰なのだ。血塗られた顔に浮かぶ無邪気な笑顔は、狂った国家という神への純粋すぎる祈りであり、この無慈悲な殺戮こそが、彼女にとって喜悦に満ちた儀式に他ならない。
御堂牡丹は、単なる陽気な猟犬ではない。感情を焼き切られた戌亥とは全く別のベクトルで完全に壊れきった、恐るべき狂信者だった。
「せやから、天の神様なんか怖ないねん。ほな、おやすみ」
牡丹は小首を傾げて微笑むと、一切の躊躇なく、自身の全体重と機械の出力を乗せた右脚を、護衛の頭部へと高く振り上げた。
壱式・瞬発穿孔脚。
ドゴォッ、という凄まじい破裂音と共に、鋼鉄の踵が護衛の頭部を容赦なく踏み砕いた。
大理石の床ごと粉砕するゼロ距離でのパイルバンカーの射出。もはや悲鳴を上げる間もなく、男の命は完全な沈黙へと帰した。
血飛沫がさらに高く舞い上がり、牡丹の頬を濡らす。彼女は満足そうに目を細め、踵に付着した肉片を乱雑に床へ擦り付けて落とした。
戌亥は、その一部始終を無表情のまま静かに見つめていた。
自分と彼女。どちらがよりバケモノに近いのか。そんな人間らしい感傷は、戌亥の機械脳には浮かばない。ただ、彼女がシステムの一部として完全に機能しているという事実だけを網膜に記録した。
やがて、新京の暗い夜空を引き裂くように、治安維持局の漆黒の回収ヘリが二機、空中庭園のそばへと降下してきた。
強烈なダウンウォッシュが吹き荒れ、血の匂いを空の彼方へと吹き飛ばしていく。
二人は互いが築き上げた死体の山を一瞥した。
「お疲れさん」
牡丹がいつもの軽い口調で手を上げる。
「ああ」
戌亥は短くそれだけを返し、漆黒のコートの裾を翻した。
二体の鉄鋼マシーナリーは、それぞれ別々のヘリのタラップへと足を掛け、狂気の夜の闇の中へと静かに消えていった。




