第87話 流体金属 vs パイルバンカー
揺らぐ蒸気の中で、エイダ・クロムウェルの姿がノイズのようにブレて完全に消失した。
第4世代サイボーグ特有の、ナノマシン制御による完全な光学迷彩。視覚のみならず、熱源探知や音響センサーの波長すらも欺く最先端のステルス技術だ。メイン動力炉の重低音が響く中、戌亥の視界には、吹き出す蒸気と明滅する非常灯の赤い光しか映っていない。
「どこを見ているの?」
全方位から反響するような声と共に、戌亥の背後の虚空から突如として銀色の刃が閃いた。流体金属が硬化して形成された凶刃が、彼の首筋の駆動系を正確に刈り取りにくる。
だが、戌亥は振り返りすらしない。
彼は漆黒のマント『ヤタノカガミ』を翻し、刃の軌道へ自ら当たりに行くように身体を捻った。ナノマシンが編み込まれたマントが衝撃に反応して瞬時に硬化し、エイダの斬撃を激しい火花と共に弾き返す。
「旧式の勘と、泥臭い装甲。いつまでそんなもので持ち堪えられるかしら!」
姿を現したエイダは、両腕の流体金属を無数の棘を持つ鞭へと変化させ、予測不能な軌道で戌亥へと叩きつけた。彼女の流体金属は思考のままに形状を変え、ある時は鞭、ある時は刃、ある時は防御の盾となる。まさに変幻自在、最先端技術の結晶である。
対する戌亥は、極限まで研ぎ澄まされた純粋な物理的暴力だけでそれに抗っていた。
右腕に握られた『ヤタガラス改』が咆哮を上げる。
実弾モードによる20ミリ徹甲弾の連射。エイダは流体金属を即座にシールドへと変化させ、波紋のように物理的衝撃を分散・吸収する。
だが、戌亥の狙いはそこではない。
チュイィィィンッ!!
引き金を引いたまま、瞬時にレーザーモードへと切り替える。実弾の衝撃を相殺するために密度を増していた流体金属の盾に、今度は極限まで圧縮された高出力の熱線が直撃する。
「……ッ!」
急激な温度変化の連続に、流体金属の分子結合が一瞬だけ乱れ、シールドの表面に微かな綻びが生じた。
戌亥はそのコンマ数秒の隙を見逃さない。
リミッターを完全に解除された右足の人工筋肉が、限界を超えた爆発的な推進力を生み出し、コンクリートの床を粉砕してエイダの懐へと飛び込んだ。
「速い……!」
エイダが驚愕に目を見開く中、戌亥は自らの重装甲を犠牲にして肉薄した。エイダが咄嗟に放った流体金属の槍が戌亥の右肩を深く貫き、黒いオイルが噴出する。しかし、戌亥は一切の表情を変えることなく、痛覚を意志の力でねじ伏せて一歩も退かない。
戌亥はヤタガラス改をホルスターへ滑り込ませ、空いた右腕の巨大な機構を、エイダの腹部へと真っ直ぐに突き出した。
最新鋭の兵器群の中で、それはあまりにも旧式な遺物。火薬と油圧の力だけで鋼鉄の杭を射出する、極めて原始的で野蛮な質量兵器だ。
「零式・重圧粉砕腕……ッ!!」
ズガァァァァァァンッ!!
至近距離で炸裂したパイルバンカーの超圧力が、エイダが多重展開した流体金属シールドに激突した。
スマートな最先端技術と、無骨な物理的暴力の真っ向勝負。
流体金属は凄まじい衝撃を分散しようと波打つが、東雲のチューニングによって限界点を超えたパイルバンカーが放つ桁違いの運動エネルギーは、流体金属の許容量を完全に超越していた。
メシャァァァァッ!!
物理的な悲鳴を上げてシールドが砕け散り、極太の鋼鉄の杭がエイダの第4世代ボディに深く食い込む。
「こんな……ただの質量兵器で、私の装甲が……!」
エイダの表情が初めて苦痛に歪み、その身がブリッジの床を削りながら大きく後方へと吹き飛ばされた。
流体金属を周囲に撒き散らしながら、メインピラーの基部に激突して崩れ落ちる。
吹き上がる蒸気の中、ヤタノカガミを死神のように靡かせながら、戌亥はゆっくりと歩み寄る。
純粋な殺意と、極限まで磨き上げられた闘争本能。最先端の技術すら凌駕する狂犬の執念が、絶対的優位を誇っていたはずの侵入者を確実に追い詰めていた。




