第84話 『鴉』の崩壊と孤絶(後編)
第一階層から最下層へ至る幹線ルート。
そこは、酸性雨で溶け落ちた瓦礫と、炎上する車両で完全に封鎖されていた。
木下による『全市民への無差別攻撃命令』が下されたことで、上層階へ逃れようとする暴徒と一般市民の群れに対し、軍の残存部隊が重火器で容赦のない弾幕を浴びせ続けている。
「撃て! ラインを越える者はすべてテロリストだ! 一歩も通すな!」
正規軍の指揮官が狂気じみた声を張り上げる。
ズドドドドドドッ!
対人機関銃の掃射が、無抵抗の市民たちを次々と薙ぎ払っていく。
その血みどろの防衛ラインに、漆黒の装甲バイク『黒王』が単機で突入してきた。
「……所属不明機! 止まれ! 止まらなければ撃つ!」
軍のセンサーが接近を感知し、無数の銃口が黒王へと向けられる。
だが、搭乗している戌亥迅は、アクセルを緩めるどころかさらに捻り込んだ。
「……邪魔だ」
戌亥は黒王のフロントを強引に持ち上げ、炎上する車両をジャンプ台にして、軍の防衛ラインの頭上へと跳躍した。
「撃てェェェッ!」
対空砲火が一斉に火を噴く。
しかし、戌亥の左肩から羽織られた漆黒のマント『ヤタノカガミ』が、その真価を発揮した。
マントに織り込まれたナノマシンが瞬時に光学迷彩を展開し、空中の戌亥と黒王の姿が、ノイズのように景色に溶け込んで完全に消失する。
「なッ!? ターゲットロスト! どこへ消えた!?」
パニックに陥る正規軍。
次の瞬間、彼らの背後の空間が歪み、死神が姿を現した。
ダンッ!!
凄まじい着地音と共に、リミッターを解除された戌亥の右足がアスファルトを粉砕する。
これまでの150%の出力。それはもはや、人間の動体視力では捉えきれない超加速だった。
「……排除する」
戌亥が右腕を振り抜く。
その手には、試作型大口径拳銃『ヤタガラス改』。
これまでの無骨な実弾の発射音ではなく、極限まで圧縮された高出力レーザーの、空気を焼き切るような「チュイィィィンッ!」という甲高い発射音が鳴り響いた。
閃光。
レーザーの光線が、軍の重装甲車をまるで豆腐のように横薙ぎに両断し、内部の弾薬を誘爆させて巨大な火柱を上げた。
「ば、バケモノ……ッ!」
残された兵士たちが恐怖で腰を抜かす。
戌亥は、彼らに一瞥もくれず、ヤタガラス改のモードをレーザーから実弾へと瞬時に切り替えながら、再び黒王のアクセルを開けた。
「……俺は、こんな下っ端の相手をしている暇はない」
戌亥は、光学迷彩による隠密起動と、ヤタガラス改の圧倒的な破壊力を駆使し、軍の防衛ラインを単独で完全に突破した。
***
ナビゲートするオペレーターはいない。
背中を預ける相棒もいない。
新京の最下層・人工地盤ブロックへと続く、暗く、冷たいコンクリートの通路を、戌亥は一人で下っていく。
(……東雲。お前の組んだプログラム、最高だ)
自身の人工脳内で、動力炉の臨界を告げる赤いエラーコードが明滅し始めている。
活動限界まで、残り2時間半。
このまま戦闘を続ければ、確実にシステムはメルトダウンを起こし、自分はただの鉄屑になる。
それでも、彼の胸の中に、かつて抱いていたような「バグ(罪悪感)」による苦痛は微塵もなかった。
今、彼を突き動かしているのは、国家の命令でも、狂った神への忠誠でもない。
ただ、自らが流してきた血の代償として、この国を終わらせようとするエイダ・クロムウェルを叩き潰すという、純粋で強烈な「個人の意志」だけだった。
「……来い、エイダ。神の心中劇の結末は、俺が書き換えてやる」
ヤタノカガミを翻し、左腕の欠損を隠す漆黒の死神。
完全な単独となった戌亥迅の目は、かつてないほどに澄み切った、狂犬の赤い光を放っていた。




