第83話 『鴉』の崩壊と孤絶(中編)
第三階層の地下深く、放棄された『鴉』の予備本部。
薄暗いガレージの中で、東雲による狂気じみたチューニングが完了しようとしていた。
「……よし。動力炉のリミッター解除、完了。右膝の人工関節への強制バイパスも繋いだ」
東雲は、オイルに塗れた手で汗を拭い、大きく息を吐いた。
作業台から身を起こした戌亥迅の姿は、以前の無骨な装甲兵のそれとは完全に異なっていた。
欠損した左腕は修復できず、肩口から先がない。だが、その痛々しい欠損部を覆い隠すように、漆黒の戦闘用マント『ヤタノカガミ』が羽織られている。一見するとただの黒いレザーマントだが、ナノマシンが織り込まれたこの生地は、あらゆる環境兵器を無効化し、光学迷彩によるステルス戦闘を可能にする。
そして、残された右腕のホルスターには、鈍く光る試作型大口径拳銃『ヤタガラス改』。
「……どうだ、調子は」
東雲が、工具を片付けながら背を向けたまま尋ねる。
戌亥は、右足で床を強く踏み込んだ。
ダンッ!!
凄まじい反発力。ただの一歩で、コンクリートの床にクレーターのようなひび割れが走った。左腕のシステムを完全にオミットし、その余剰電力を全て右足と動力炉に回した結果、機体の運動性能は以前の150%にまで引き上げられている。
「……軽すぎるくらいだ。機体が限界を超えるまで、あとどれくらい持つ?」
「もって3時間だ」
東雲は、振り返らずに冷酷な数字を口にした。
「それ以上リミッターを外したまま戦闘を継続すれば、お前の人工動力炉は間違いなくメルトダウンを起こす。……お前はもう、帰還を前提としていない兵器だ」
「3時間あれば、神様の心中劇に幕を引くには十分だ」
戌亥は、ヤタガラス改を抜き放ち、その重さを確かめるように弄んだ。実弾とレーザーの切り替え機能。これまでの物理破壊に特化していた戌亥の戦闘スタイルに、新たな選択肢をもたらす死神の銃。
「……東雲」
戌亥は、ヤタガラス改をホルスターに収め、東雲の背中に向けて静かに呼びかけた。
「修理の代金は、木下の口座にでもツケておけ。……お前は人間だ。こんな棺桶みたいな地下室で、俺たち機械の真似事をして死ぬな。さっさと逃げろ」
それは、戌亥迅という男が、長年連れ添った戦友に対して見せた、最初で最後の明確な「気遣い」だった。
彼が冷徹な言葉を選ぶのは、東雲にこれ以上自分という死神に関わらせないためだ。
「……逃げるさ」
東雲は、ようやく振り返り、自嘲気味に笑った。
「お前らみたいな狂った連中と一緒に、心中してやる義理はない。私は適当に地上へ出て、この国の残骸の中でしぶとく生きてやるさ」
「ああ。そうしろ」
戌亥は、マントを翻し、ガレージの出口へと向かって歩き出した。
「……戌亥」
背後から、東雲の微かに震える声が響いた。
戌亥は足を止め、振り返らずに耳を傾ける。
「牡丹も、お前も……本当に、手のかかるポンコツどもだったよ。……死ぬなよ、迷い犬」
それは、ただの整備班長から執行官への言葉ではない。
血塗られた地獄を共に歩んできた、不器用な男同士の、永遠の別れの言葉だった。
「……ああ。お前もな、親父」
戌亥は、初めて東雲をそう呼び、ガレージの暗闇へと姿を消した。
***
地上。
新京は、酸性雨の爪痕と、三つ巴の戦闘によって、完全に廃墟と化していた。
戌亥は、装甲バイク『黒王』を走らせながら、単眼レンズのマップデータを確認する。
通信回線は完全に遮断されており、東雲からのナビゲートも、牡丹からの軽口もない。
文字通りの、完全な「単独」。
補給線は断たれ、味方は一人もいない。
全市民を敵に回した木下の軍隊も、国を壊そうとする反乱軍も、そしてこの国の心臓を止めようとするアメリカのサイボーグ・エイダも。
戌亥の視界に映る動くものすべてが、彼を殺そうとする「敵」だ。
(……悪くない)
戌亥は、ヤタノカガミのマントを風に靡かせながら、冷たく笑った。
誰の命令でもない。誰の大義でもない。
ただ、自分が殺してきた命の重さに報いるためだけに、この狂った世界で最後に暴れ回る。
「……エイダ・クロムウェル。神の心中劇は、俺が叩き潰す」
漆黒の死神と化した狂犬は、エイダが潜伏していると目される、新京の最下層・人工地盤ブロックへと向けて、黒王のアクセルを全開にした。
孤絶の果てに人間性を取り戻したサイボーグの、最後の進軍が始まった。




