第81話 狂犬・木下の意志(後編)
第一階層・首相官邸。
地下の緊急オペレーションルームには、木下英雄の狂気に満ちた命令に翻弄されるオペレーターたちの悲鳴が響き続けていた。
「総理! 第四階層の地下鉄構内にて、防衛ドローン部隊が何者かと交戦中! 識別信号……『鴉』の執行官・戌亥迅です! 彼が、反逆者(市民)を庇って無人機部隊と戦闘を繰り広げています!」
その報告を聞いた木下の目が、爬虫類のように細く濁った。
「……あの野良犬が」
木下は、ギリリと奥歯を噛み締めた。
「ワシがせっかく『好きに生きろ』と情けをかけてやったのに。最後までワシの舞台を荒らし回らんと気が済まんのか」
「そ、総理、戌亥執行官への攻撃命令はどうしますか? 彼は一応、我々の……」
「アホか! ワシの命令に逆らう奴は、全員テロリストだと言っただろうが!」
木下はコンソールを叩き割りそうな勢いで拳を振り下ろした。
「ワシの玉座を脅かす奴は、かつての身内だろうが容赦せん! ドローン部隊の火器管制システムのリミッターを外せ! 第四階層ごと、あの狂犬とネズミどもを完全に消し飛ばせ!」
木下の瞳には、もはや国家の未来や市民の命への配慮は一切ない。
彼にあるのは、「自分が犬養先生から引き継いだこの権力を、何があっても死守する」という、どす黒く、狂信的な執着だけだった。
彼は、自らの権力を守るためならば、どれほど多くの血を流そうとも、どれほどこの国が壊れようとも構わない。それが、中卒のチンピラから頂点へと這い上がった、木下英雄という男の「戦い方」だった。
***
第四階層・地下鉄旧構内。
ズガァァァァァンッ!!
凄まじい爆発音が構内を揺るがし、コンクリートの粉塵が舞い散る。
「ガハッ……!」
戌亥迅の巨体が、爆風によって大きく吹き飛ばされ、瓦礫の山に叩きつけられた。
右肩の装甲は完全に吹き飛び、内部の人工脊髄と動力炉が剥き出しになっている。黒いオイルが滝のように流れ落ち、単眼レンズの赤い光は今にも消え入りそうに明滅していた。
「……警告、警告。動力炉の出力低下。システム、致命的なダメージ。直ちに退避行動を推奨します」
無機質な警告音が、戌亥の脳内で虚しく響く。
だが、戌亥は退かない。
彼は残された右腕を地面に突き立て、ギシギシと軋む体を強引に起こした。
その視線の先には、リミッターを解除され、完全に殺戮兵器と化した数十機のドローン部隊が、無慈悲な銃口を向けて迫っている。
「……戌亥! もうええ! 市民の誘導は完了した! アンタも早く退け!」
奥のシェルターの入り口から、牡丹が悲痛な声を張り上げる。
「……まだだ」
戌亥は、口から黒いオイルを吐き出しながら、低く唸った。
かつて、彼は木下と同じだった。
国家という舞台の裏で、命令されるがままに手を血に染め、権力者のエゴを支えることでしか自分の存在を証明できなかった。
だが、今の彼は違う。
(……俺は、ワシの玉座を守るために戦う)
木下の狂気じみた声が、通信機越しに響いたのを思い出す。
(なら……俺は、アンタが切り捨てた『命』を守るために戦う)
戌亥は、破損したパイルバンカーを構え直し、ドローンの群れを見据えた。
「……俺が今まで殺してきた奴らに、俺の存在をどうやって証明すればいいか……ずっと考えていた」
彼の単眼レンズが、最期の炎のように眩く、赤く発光した。
「答えは、一つだ。……俺の命を、俺の意志で、誰かのために使い切ることだけだ!」
戌亥の咆哮と共に、彼の人工動力炉がリミッターを無視して限界を超えた駆動を開始した。
全身の装甲から高熱の蒸気が吹き出し、オーバーヒートによるシステム崩壊が迫る。
「零式・重圧粉砕腕……限界突破ッ!!」
ズドドドドドドッ!!
ドローン部隊の弾幕が戌亥の体を貫き、人工筋肉を引き裂く。
だが、戌亥はその痛みを意志の力で完全にねじ伏せ、弾丸の雨の中を猛然と突撃した。
ギガァァァァァァンッ!!
戌亥の右拳から放たれた、火薬と油圧のすべてを乗せた最後の一撃。
それは、単なる物理的な破壊力を超えた、狂犬の意地の塊だった。
極太の杭が先頭のドローンを粉砕し、その凄まじい衝撃波が後続のドローン部隊を次々と巻き込んでいく。装甲が砕け、基盤がショートし、地下鉄構内は巨大な爆炎に包まれた。
「……ハァ、ハァ……」
爆炎が晴れた後。
そこには、全滅したドローン部隊の残骸と、機能停止寸前の状態で膝をつく、戌亥迅の姿があった。
「戌亥ッ!」
牡丹が駆け寄り、その崩れ落ちそうな巨体を支える。
「……終わったぞ、牡丹」
戌亥は、単眼レンズの光を消し、静かに目を閉じた。
「俺の……番犬としての、初仕事だ。……どうだ、様になっていたか」
「……アホ。泥だらけで、ボロボロで……最高にカッコええ番犬や」
牡丹は、泣き笑いのような表情で、戌亥の体を強く抱きしめた。
第一階層で、自らの権力を守るために狂気を振りかざす木下英雄。
第四階層で、自らの意志で市民を守り抜き、機能停止を受け入れた戌亥迅。
かつて同じ狂った国家の犬として生きた二人は、今や全く別の生き様を証明し、それぞれの結末へと歩みを進めていた。
物語は、いよいよ最終局面。




