第77話 虚構で生きる犬たち(2)
第四階層・気象制御プラント。
致死性の酸性雨と有毒ガスが充満するその区画へ突入した木下の決死隊は、暴走した防衛ドローンのレーザーに焼かれ、酸に防毒服を溶かされながらも、死体の山を築いて制御ブロックの最深部へと到達した。
ドガァァァァァァンッ!!
数十分後。彼らが仕掛けた大質量のプラスチック爆薬が、天候コントロールシステムのメインケーブルを物理的に切断・粉砕した。
その代償として、突入した数十名の隊員たちは有毒ガスと爆発の巻き添えにより全滅した。しかし、彼らの命と引き換えに、新京の空を覆っていた人工の暗雲は急速にその厚みを失い、ついに都市を融解させていた酸性雨が停止したのだ。
***
同時刻、第四階層・地下鉄旧構内。
「……雨、止んだみたいやな。通信インフラも、一部の非常用回線が復旧しとるわ」
御堂牡丹は、瓦礫の上に腰を下ろし、自身の人工動力炉から戌亥迅へと繋いでいた電力供給ケーブルを外しながら、小さく息を吐いた。
「……ああ」
戌亥は、壁に背を預けながら短く応えた。
機体のダメージは致命的であり、左腕と右足は失われたままだ。それでも、彼は残された右腕と牡丹の肩を借りて、数百人規模の一般市民をこの安全な地下構内へと誘導し終えていた。
牡丹もまた、別ルートから逃げてきた市民を誘導し、暴徒やドローンの襲撃からこの拠点を防衛し抜いた。
市民たちは、恐怖に身を寄せ合いながらも、自分たちを守ってくれた二人の傷ついたサイボーグに、怯えと深い感謝の入り混じった視線を向けている。
「……ウチら、すっかり『正義の味方』みたいなツラになっとるな」
牡丹が自嘲気味に笑う。
「『鴉』の仕事は反逆者の暗殺や。暴徒から市民を守るなんて、完全に管轄外の……ただの番犬やで」
「……それでいい」
戌亥は、赤い単眼レンズで市民たちを見つめながら、静かに答えた。
「システムは死んだ。俺たちに命令を下す飼い主はもういない。……なら、俺は俺の意思で、この国の残骸の中で生きる人間を守る。それが、俺たちが奪ってきた命への、唯一のけじめだ」
命令によって動く「国家の犬」から、自らの意思で市民を守る「番犬」へ。
狂った神の心中劇の果てに、二人のサイボーグは初めて己の存在意義を自ら選び取っていた。
だが、その時。
復旧したばかりの非常用通信回線が、強制的に一本の音声データを傍受・展開した。
最高権力者だけが持つ、最上位のマスターコードによる強制通信だ。
『……お前ら、なんのつもりだがや』
通信機から響いたのは、木下英雄の低く、押し殺したような声だった。
「……木下総理」
戌亥が、顔を上げる。
『気象プラントはワシの部下が命と引き換えに止めたわ。これでこの国はまだ終わらん』
木下は一つ荒い息を吐き、言葉を繋いだ。
『権藤のバカ部隊が沈黙したと思ったら……お前ら『鴉』のトップ二人が、命令もなしに市民の避難誘導だと? ワシは暴動の完全鎮圧を命じとるはずだがや! 反乱軍を殺し尽くす前に、なんでガレキの下のネズミどもを庇っとる!!』
木下の声が、次第に激しい怒気を帯びていく。
『お前らは、ワシら国家の意思を実行するだけの『犬』だろ! なのに、勝手に首輪を外して正義の味方ごっこか! ワシを……この国のトップをコケにする気か!!』
「……コケになどしていない」
戌亥は、痛む体を起こし、通信機に向かってはっきりと答えた。
「アンタの命令は、もはや国家の秩序を守るためのものではない。ただの狂った自己保身と無意味な虐殺だ。俺たちはもう、アンタの舞台の裏方には回らない」
『……言うようになったな、戌亥。ただの機械風情が』
通信の向こうで、木下がチッと舌打ちをする音が聞こえた。
だが、その後に続いたのは、怒り狂った怒号ではなく、奇妙なほど落ち着いた、氷のように冷たい声だった。
『……お前ら二人が、ワシの陰でどれだけ手を血に染めて、この国を支えてきとったかは、ワシもよう知っとる。お前らは、優秀な猟犬だ。だからこそ……ワシには理解できんのだわ』
木下の声には、これまでの小物じみた狼狽は一切なく、一人の成り上がった独裁者としての底知れない威厳が宿り始めていた。
『戌亥、牡丹。お前らには分からんのか? この『国家』という巨大な舞台装置の上で、頂点の光を浴びて輝くことの圧倒的な快感が』




