第71話 第3データセンター攻防戦(後編)
第三データセンターの内部は、巨大な墓標のように静まり返っていた。
外で牡丹が繰り広げている無人兵器群との壮絶な銃撃戦の音は、何層にも重ねられた防音・防爆装甲に阻まれ、微かな振動としてしか伝わってこない。
無数に立ち並ぶ漆黒のサーバーラック。その間を縫うように、戌亥迅は泥と血に塗れた右足を引きずりながら進んでいた。
非常灯の赤い光が、彼の傷ついたチタン装甲を不気味に照らし出す。左腕はすでに肘から先が欠損し、大口径対装甲拳銃『ヤタガラス』には一発の弾丸も残されていない。彼の武器は、右腕に内蔵されたパイルバンカーと、自身の限界を超えた質量のみだ。
「……現在位置、メインフレーム・コア管理区画。侵入者の痕跡あり」
戌亥は自身の人工脳内にマップデータを展開し、冷徹な機械音声で独り言ちた。
通路の至る所に、データセンターの内部警備を担当していた人間の職員や下級隊員たちの死体が転がっている。いずれも銃創ではなく、鋭利な刃物で一刀両断されたか、あるいは高熱で溶かされたような無残な死に様だった。
明らかに、小津の扇動に乗っただけの暴徒の仕業ではない。
統率された軍隊でもない。
これは、「個」として完成された圧倒的な戦闘力を持つ者の痕跡だ。
戌亥の網膜ディスプレイが、微細な熱源反応を捉えた。
同時に、彼の人工動力炉(心臓)が、まるで旧知の敵の接近を察知したかのように、嫌な鼓動を打ち始める。
「……そこか」
戌亥は、メインフレーム・コアへと続く最後の分厚い隔壁の前に立ち止まった。
隔壁のロックパネルは、ドロドロに溶かされ、物理的に破壊されている。
「相変わらず、野蛮で強引なアプローチね。そんなボロボロの体で、まだ尻尾を振る気?」
暗闇の奥、サーバーラックの陰から、流暢だがどこか冷たい響きを持つ女の声がした。
空間の歪みが解け、光学迷彩の皮膜が解除される。そこに立っていたのは、第20話での死闘以来となる、アメリカ中央情報局(CIA)の特務サイボーグ——エイダ・クロムウェルだった。
彼女の第4世代流体金属装甲は、非常灯の赤い光を滑らかに反射している。新京の通信インフラと気候制御システムを物理的に破壊し、この都市に引導を渡すための工作員として、単独で潜入していたのだ。
「……エイダ・クロムウェル」
戌亥は、右腕のパイルバンカーをゆっくりと構えた。
「テロリストへの武器供給だけでは飽き足らず、自らこの国を終わらせに来たか」
「終わらせる? 違うわ。私はただ、この巨大な鳥籠の扉を壊しているだけ」
エイダは両腕の流体金属を鋭利なブレード状に変形させ、優雅な足取りで戌亥との距離を詰めた。
「あなたたちの神は、すでに自らの首を括っている。外の狂乱ぶりを見れば分かるでしょう? この国はもう、システムとしても国家としても死んでいるの。……戌亥迅。あなたはなぜ、すでに死んでいる死体を守るために、そこまでして戦うの?」
エイダの問いかけは、戌亥のバグを正確に突くものだった。
彼女は、自由と個人の意志を重んじるアメリカの兵器。国家という虚構に縛られ、破滅に向かって行進し続ける戌亥の姿が、彼女にはひどく滑稽で、同時に哀れに映っていた。
「……俺は、犬だ」
戌亥は、単眼レンズを赤く発光させ、低い唸り声を上げた。
「国家が虚構だろうが、神が死んでいようが関係ない。俺に組み込まれた命令は、反逆者を排除することだけだ。……お前を、粉砕する」
「……そう。なら、その壊れた命令ごと、私があなたを解放してあげる」
言葉が終わるか終わらないかの瞬間。
エイダの姿が掻き消えた。光学迷彩ではない。純粋なスピードによる視界からの消失。
「!」
戌亥の背後に回り込んだエイダの流体金属ブレードが、無音で戌亥の首筋を刈り取りにくる。
戌亥は振り返らず、右腕のパイルバンカーを背後へ向けて盲撃ちのように突き出した。
ギガァァァンッ!!
炸裂する火薬。極太の杭が、エイダの刃を間一髪で弾き飛ばす。
「勘だけは鈍っていないようね。でも……!」
エイダは空中で姿勢を制御し、左腕の流体金属を巨大なハンマー状に変形させ、戌亥の右肩へ叩き込んだ。
「グハッ……!」
凄まじい衝撃。戌亥の巨体が吹き飛び、サーバーラックの束に激突する。火花が散り、無数のケーブルが断線してショートした。
「ハァッ!」
追撃をかけるエイダ。
戌亥は倒れたまま、右足の人工筋肉を強引に駆動させ、エイダの脚を払いにかかる。エイダはそれを跳躍で躱すが、戌亥はその隙に立ち上がり、パイルバンカーを構えて突進した。
超近接戦。
流体金属と光学迷彩を駆使し、変幻自在の攻撃を繰り出すエイダ。
対する戌亥は、力と重圧、そして極限まで磨き上げられた純粋な物理的暴力だけでそれを迎え撃つ。
弾薬など必要ない。互いの装甲が軋み、火花が散る打撃音だけが、データセンターの深部に木霊する。
「なぜ……!」
エイダがブレードを振り下ろしながら叫ぶ。
「なぜ共に死のうとする! あなたの神は、あなたたちを見捨てたのよ! これ以上、この泥舟に付き合う理由なんてどこにもないはずだわ!」
「黙れッ!!」
戌亥はブレードを右の装甲で受け止め、そのまま強引に一歩踏み込む。
「俺は、俺が殺してきた者たちに、最後まで『犬』として向き合うしかねえんだ! 自由なんて言葉で、俺の背負った血を洗い流せると思うな!!」
戌亥の右腕から、パイルバンカーの杭が至近距離で射出される。
ズガァァァァァッ!!
エイダは流体金属をシールド状に展開して防御するが、旧世代の規格外の超圧力がシールドを粉砕し、彼女のボディを大きく後方へと弾き飛ばした。
壁に激突したエイダは、体勢を立て直そうとするが、流体金属の修復が追いついていない。
「……ハァ、ハァ……」
戌亥もまた、限界だった。右腕の油圧システムからは黒い煙が上がり、動力炉は今にも爆発しそうだ。
二体の最高峰サイボーグによる死闘。
しかし、この戦いに決着がつくことはなかった。
ゴゴゴゴゴゴォォォォォォ……ッ!!!
突如として、データセンター全体が巨大な地震に見舞われたかのように激しく揺れた。
メインサーバーの非常灯が次々と爆け飛び、完全な暗闇が訪れる。
「……時間切れね」
エイダが、闇の中で静かに呟いた。
「私の仕掛けたウイルスが、メインフレームの中枢を完全に焼き切った。……これで、新京の気候制御システムと、都市機能のすべてが物理的に崩壊する」
『System Error. Connection Lost.』
戌亥の網膜ディスプレイに、無数のエラーコードが滝のように流れ落ちる。
新京の心臓が、今、完全に停止したのだ。
「……逃げなさい、戌亥迅」
エイダの声が、暗闇の奥へと遠ざかっていく。
「この国は、もう終わる。次に会う時が、私たちの本当の決着よ」
気配が消えた。エイダは撤退したのだ。
戌亥は、パイルバンカーを下ろし、ただ一人、機能停止したデータセンターの闇の中で立ち尽くした。
都市機能のダウンにより、外界からは凄まじい豪雨の音が聞こえ始めていた。
人工的に制御されていた気象が暴走し、致死量の酸性雨が新京全土に降り注ぎ始めたのだ。
完璧だった無菌のユートピアの、完全なる崩壊。
次なる『最後の忠誠編』へ向けて、絶望のカウントダウンがゼロを指し示していた。




