第7話 整備室の亡霊
治安維持局本部、地下六十階層。
暗部『鴉』専用の特別メンテナンスルームには、消毒液の冷たい匂いと、微かなオゾンの臭気が漂っていた。
「無茶な使い方をしやがって。超硬度合金のフレームが飴細工みたいにひしゃげてるじゃねえか」
初老の整備班長・東雲が、油と人工血液に塗れた手で悪態をつきながら、戌亥の左肩に接続された無数のケーブルを調整していた。
第十一外周区でのパワードスーツとの戦闘において、重機関砲の直撃を至近距離で受けた戌亥の左腕は完全に沈黙し、肩の関節部から丸ごとの換装作業が行われていた。
生身の肉体と機械の境界線。それは、決して美しいものではない。
東雲がメスとレーザー溶接機を使い、戌亥の肩の切断面に残された生体組織を切り開く。赤黒い本物の血と、青白い乳白色の人工血液が混ざり合って床のドレインへと滴り落ちていく。
新造された黒い左腕のコネクタから伸びる無数の極細の人工神経繊維が、蠢く寄生虫のように戌亥の生体神経へと探りを入れる。
ジジッ、と火花が散り、神経同士が強引に結合された瞬間、脳髄を直接バーナーで焼かれるような凄まじい激痛が戌亥の全身を駆け抜けた。
だが、戌亥は手術台の上に上半身裸で座ったまま、顔色一つ変えない。痛覚モジュールの設定を下げているとはいえ、生身の部分が発する根源的な苦痛の信号は完全に消し去ることはできない。彼はただ、静かにその激痛を飼い慣らしていた。
「あはは、鴉・〇四は相変わらず痛覚バグっとるなぁ。見てるこっちがヒヤヒヤするわ」
隣の整備ブースから、場違いなほど明るい声が響いた。
分厚い防弾ガラスのパーティション越しに、御堂牡丹が横たわっているのが見える。彼女もまた、暴動での酷使により、下半身の機械脚部のオーバーホールを受けている最中だった。
彼女の状態は、戌亥よりもさらに凄惨でグロテスクなものだった。
引き締まった美しい腹部から下、本来なら骨盤があるべき位置から先は完全に切り落とされ、巨大な機械の基部へと置換されている。現在、両脚の装甲はすべて取り外され、剥き出しになった黒いシリンダーと人工筋肉の束、そして背骨から直結した太い神経ケーブルが、無数の計器類と直接繋がれていた。
牡丹の担当整備士が、神経接続のパルス・テストを実行する。
バチッ! と強い放電音が響き、牡丹の機械の脚がビクンと不自然に跳ねた。それは常人であればショック死しかねないほどの激痛を伴う神経負荷テストだったが、牡丹は「あいたっ」と軽く顔をしかめただけで、手元の端末でゲームのホログラムをいじりながら笑っていた。
「お前も、随分と神経がいかれているようだが」
戌亥が冷淡な視線を向けると、牡丹は端末を放り投げて身を起こし、パーティション越しにへらへらと笑いかけてきた。
「そらそうよ。うちかて、この自慢の脚もろた時は、痛くて三日三晩泣き叫んだんやから。今はもう、ええ塩梅に麻痺しとるけどな」
牡丹は、剥き出しの金属部品と生体チューブが複雑に絡み合う自身の下半身を、まるで新しい靴でも自慢するかのようにポンポンと叩いた。
「うちなー、昔は足が速いんが取り柄の、普通のガキやったんよ」
彼女はふと、世間話でもするように語り始めた。そのトーンは、今日食べた昼飯の不満を漏らす程度の、あまりにも軽々しいものだった。
「十一の時や。親父とおかんに連れられて、中央広場のデパートに行ったんやけどな。そこでドカーン! や」
牡丹は両手を広げて、無邪気に爆発のジェスチャーを作った。
「反体制派のテロリスト様が仕掛けた、手製のプラズマ爆弾。広場にいた何百人ていう人間が、一瞬でミンチになったわ。うちの親父とおかんも、跡形ものう吹き飛んだ」
東雲が黙々と戌亥の腕の調整を続ける中、整備室には機械の駆動音と、牡丹の明るい声だけが響いている。
「うちは運良く生き残ったけど、気がついたら腰から下が瓦礫の下敷きになって、ピザみたいにペラペラに潰れとった。もう、笑うしかなかったで。あーあ、これで大好きな徒競走もできひんのやなぁって」
牡丹の顔には、悲惨な過去を語っている悲壮感は微塵もなかった。
だからこそ、異常だった。
「絶望して死にかけてたうちを拾ってくれたんが、この治安維持局や。テロの被害者で、サイバネティクス適合率が異常に高かったうちを、実験体として引き取ってくれた」
彼女は自分の機械の脚を、愛おしそうに撫でた。
「この国はな、親も脚も失った空っぽのうちに、最新鋭の脚と、生きていく理由をくれたんよ」
そこまで語った時、牡丹の瞳の奥に、得体の知れない暗い炎が揺らめいた。
それは彼女の快活な笑顔の裏側に張り付いている、冷たくてどす黒い感情の塊だった。
「自由だの、革命だの、人間の尊厳だの……偉そうな御託並べてテロを起こす連中を見ると、今でもヘドが出るわ。せやから、うちは国のために喜んで引き金引くんよ。この国に逆らう害虫どもを、一人残らずこの踵で踏み潰すために、うちはここで生かされとるんやから」
彼女の笑顔は、狂信そのものだった。
国家への異常なまでの依存心。テロリストという存在に対する、底なしの憎悪。彼女は明るく飄々とした態度の裏側で、その狂った復讐心と国家への忠誠を、システムの歯車として完璧に統合させていたのだ。
「……そうか」
戌亥の口から出たのは、たった一言、それだけだった。
同情の言葉もない。悲劇を悼む沈黙もない。戌亥にとって、彼女の過去など戦場で生き残るためのスペックには何の関係もないことだ。
「なんやそれ、あっさりしすぎちゃう? もうちょっとこう、『お前も辛かったんだな』とか、泣けるリアクションないん?」
「国家の部品に、過去の感傷は不要だ。動くか、動かないか。それだけだ」
戌亥は、神経接続が完了した新しい左腕をゆっくりと持ち上げた。
人工筋肉が軋みを上げながら駆動し、重厚な装甲に覆われた指先が滑らかに動く。握り拳を作ると、以前のパーツ以上の絶大なトルクが込められていることが確認できた。
「ほんま、可愛げのない男やで」
牡丹は肩をすくめると、再び端末を拾い上げてゲームの続きを始めた。
整備室の冷たい光の下、二体の機械はそれぞれの消えない痛みを身体の奥底に隠し持ちながら、次の殺戮の時間が来るのを静かに待っていた。
彼らは互いの心に踏み込むことはない。ただ、狂った国家を維持するための兵器として、隣に並び立つだけの冷たい戦友だった。




