第67話 亡き同志の影(前編)
酸性雨がアスファルトを叩く官庁街。
六銃身ガトリングを構える権藤鉄幹と、満身創痍でパイルバンカーを突き出す戌亥迅。
互いのターゲットロックが完了し、極限の緊張が弾けようとしたまさにその刹那だった。
『……戌亥! 応答してください、戌亥!!』
ノイズの海を掻き分けて、東雲の悲痛な叫びが戌亥の直接通信回線に飛び込んできた。
「……東雲か。システムは死んだはずだぞ」
『非常用の軍事回線を物理的にバイパスしました。それより、直ちに貴官の管轄である第十二外周区へ帰還してください! 小津の亡命政府が送り込んだ特殊部隊が、局の防衛線を突破しました。ただの暴徒じゃありません、海外製のミリタリー・サイボーグです!』
戌亥は、舌打ちをして眼前の権藤を見た。
権藤の通信回路にも、軍の上層部から新たな迎撃命令が下ったのだろう。巨大なガトリング砲の銃口がゆっくりと下がり、権藤のカメラアイから敵対を示す赤い光が消えた。
「……私の任務は、防衛ラインの維持だ。管轄外に去るというなら、これ以上の排除行動は行わない。行け、迷い犬」
権藤は無機質に言い放ち、再び背を向けて残敵の掃討へと歩き出した。
戌亥は痛む右足を引きずりながら、装甲バイク『黒王』の元へと戻る。
木下の狂信的な虐殺を止めることはできなかった。だが、今はそれよりも、自分のテリトリーを蹂躙しようとしている亡命政府の刺客を排除しなければならない。それが「犬」としての命令であり、彼の存在意義だからだ。
***
第十二外周区。
そこはすでに、先ほどまでの下層区の暴動とは全く質の異なる、冷徹な「制圧戦」の舞台と化していた。
暴徒たちが喚き散らすような熱気はない。黒い重装甲に身を包んだ十数名のサイボーグ部隊が、音もなく正確なタクティカル・フォーメーションを組み、治安維持局の無人警備ドローンや下級隊員たちを次々とスクラップに変えていた。
降りしきる酸性雨の中、黒王を急停車させた戌亥は、大口径対装甲拳銃『ヤタガラス』を引き抜いてゆっくりと歩み出た。
左腕は半ばで千切れ、右足の人工筋肉も限界に近い。それでも、放たれる殺気だけは凄まじい重圧となって空間を支配していた。
「……来たな。木下の手先、『鴉』の猟犬め」
部隊の中心に立つ、一際大柄な男が前に出た。
最新鋭のアメリカ製第3世代コンバット・ボディ。だが、その胸の装甲には、最新の迷彩塗装に似つかわしくない、古びた布製の腕章が丁寧に巻き付けられていた。
かつて、犬養旭弘と関が立ち上げたボランティア団体、『東京ナイトオウル』のエンブレム。
「所属と目的を言え」
戌亥はヤタガラスの銃口を真っ直ぐに男へ向けた。
「亡命政府、独立遊撃隊隊長……橘だ。もっとも、かつては関さんのお供で、何度かお前たち党親衛隊の狂犬どもとやり合ったこともあるがな」
橘と名乗った男は、分厚いバイザーの奥で目を細めた。
「目的は、この狂った檻(新京)の破壊。そして、我々の同志であった関さんを殺し、犬養先生の理想を冒涜した貴様らへの復讐だ」
戌亥の単眼レンズが、微かに収縮する。
「犬養の理想、だと……?」
「そうだ!」
橘は激昂と共に、背中に背負った大型のプラズマ・カッターを引き抜いた。
「犬養先生は、腐敗した権力闘争を終わらせ、人々が手を取り合って生きていける真に自由な国を創りたかったはずだ! 関さんも、その理想を信じて最後まで戦った! だが、木下のような豚が権力を握り、先生の目を盗んで、この国を血も涙もない無菌室の地獄に変えちまった!」
橘の怒号が、酸性雨の中に響き渡る。
「思想を統制し、少しでもはみ出した者を貴様らのような犬に殺させる。挙句の果てには、先生の国葬を利用して数千人の市民を虐殺した! これが……これが、俺たちが命を懸けて夢見た国の姿か!!」
その言葉は、痛烈なまでの「正義」に満ちていた。
かつての『東京ナイトオウル』が抱いていた、純粋で崇高な理想。彼らはそれを信じ、亡命政府という過酷な環境でサイボーグ化の手術を受けてまで、日本を取り戻すために帰ってきたのだ。
しかし、戌亥は知っている。
橘が信じている「犬養の理想」など、とうの昔に創造主自身によって見限られていることを。
木下が暴走しているのではない。犬養自身が、権力という構造そのものに絶望し、かつての同志たちが殺し合う姿に耐えきれず、この国を「失敗作」と断じて内側から崩壊させようとしているのだ。
橘たちが命を懸けて取り戻そうとしている理想の国家は、神の壮大な自殺装置でしかなかった。
「……何も知らない亡霊が。過去の夢にすがりついて、テロを正当化する気か」
戌亥は、極限の虚無感を押し隠し、あえて冷酷に吐き捨てた。
真実を告げたところで、彼らの怒りは収まらない。むしろ、絶望を与えるだけだ。ならば、自分は最後まで「狂った国家の犬」として、彼らの憎悪を真っ向から受け止めて殺し合うしかない。
『Error: Empathy Level Rising. Absolute Logic Contradiction.』
視界の隅で、赤いエラーコードが激しく明滅する。
バグが、痛覚回路を通じて戌亥の胸の奥を激しく掻き毟る。彼らの純粋な怒りも、自分が背負う罪の重さも、すべてが痛い。
「貴様らのような血も涙もない機械に、関さんの無念が分かるか! 殺せ!」
橘の号令と共に、十数名のミリタリー・サイボーグが一斉に散開し、アサルトライフルとグレネードランチャーの弾幕を張った。
ズドドドドドッ!!
ドガァァァンッ!!
「……チッ」
戌亥は千切れた左腕を庇いながら、瓦礫の陰へと身を翻す。
かつての暴徒とは違う。彼らは軍隊だ。射撃の精度も、カバーリングのタイミングも完璧に統制されている。
弾幕の切れ目を縫って、一人のサイボーグがプラズマ・ナイフを構えて肉薄してきた。
「死ね、犬ッ!」
「……遅い」
戌亥はヤタガラスを弾くように構え、至近距離から敵の膝関節を撃ち抜く。バランスを崩したサイボーグの顔面を鋼鉄のブーツで踏み砕き、その死体を盾にして次の弾幕を防ぐ。
「零式・重圧粉砕腕……!」
盾にした死体ごと、右腕のパイルバンカーを射出する。極太の杭が、背後に迫っていたもう一人の敵の胴体を貫き、血とオイルの雨を降らせた。
「怯むな! 奴は片腕だ! 押し潰せ!」
橘がプラズマ・カッターを振りかざし、戌亥の死角から猛烈な速度で斬りかかってくる。
戌亥はヤタガラスの銃身でその超高熱の刃を受け止めるが、装甲が溶け、ジリジリと火花が散る。
圧倒的な出力差。橘のサイボーグ・ボディは、戌亥の第3世代よりもさらに新しい規格のものだ。
「貴様らが奪ってきた命の重さを、その機械の体で味わえ!!」
「……黙れッ!」
戌亥は右腕の力だけで橘を跳ね除け、至近距離でヤタガラスのトリガーを引く。だが、橘はそれを紙一重で躱し、カウンターの回し蹴りを戌亥の破損した右足に叩き込んだ。
「ガハッ……!」
戌亥は大きく体勢を崩し、泥水の中へと倒れ込む。
そこに、残りの部隊が一斉に銃口を向けた。
亡き同志の影を引きずり、純粋な理想を信じる亡霊たち。
そして、すべてが虚構だと知りながら、命令のままに血を流し続ける孤独な猟犬。
酸性雨に打たれながら、凄絶でハードボイルドな死闘は、さらにその泥沼の度合いを深めていった。




