第62話 燃える下層区と孤絶の猟犬(前編)
新京の最下層、第十五外周工業区。
普段は劣悪な環境下で重機と工場の駆動音が響き渡るだけの灰色の街は、いまや完全な「戦場」と化していた。
小津家高によるプロパガンダ放送からわずか数時間。過去の暴動とは比較にならない、数十万規模の労働者たちが一斉に蜂起したのだ。
「……対象区画に到達。鎮圧を開始する」
漆黒の装甲バイク『黒王』から降り立った戌亥迅は、眼下に広がる光景を前に、単眼レンズの焦点距離を絞った。
視界を埋め尽くすほどの群衆。そこまでは以前の暴動と同じだ。
だが、彼らが手にしているものは、鉄パイプや火炎瓶といった粗末な武器ではなかった。
「撃てッ! あの黒い猟犬をスクラップにしろ!!」
暴徒のリーダー格が叫ぶと同時に、群衆の中から最新鋭のアサルトライフル、対装甲ロケットランチャー、さらには軍用規格の四脚自動機銃までもが一斉に火を噴いた。
CIAの特務サイボーグ、エイダ・クロムウェルが裏で供給した重火器。そして、神(犬養)が意図的に監視網に穴を開け、それを黙認した結果だ。
単なる労働者の暴動は、瞬く間に「重武装したテロリストの軍隊」へと変貌を遂げていた。
ズドドドドドッ!!
凄まじい弾幕が、戌亥の巨体を容赦なく打つ。
チタン合金の装甲が弾丸を弾き返し、青白い火花を散らすが、その運動エネルギーだけでも相当な衝撃だ。さらに、対装甲ロケット弾が足元のコンクリートをえぐり、爆風が戌亥を吹き飛ばそうとする。
『Warning: Armor Integrity Dropping. Multiple Heavy Weaponry Detected.』
網膜ディスプレイに、無機質な警告が明滅する。
通常であれば、これほどの重武装集団を相手にするなら、装甲車部隊か空からの航空支援を要請すべき状況だ。しかし、戌亥は一人だった。
「……邪魔だ」
戌亥は姿勢を低く沈め、痛覚センサーを遮断すると、圧倒的な弾幕の嵐の中へ、あえて真正面から突進した。
回避行動など取らない。いや、取れないほどの密集した十字砲火。装甲を削られ、合成血液を散らしながらも、重戦車のような突進力で敵の最前列へと肉薄する。
「なッ……バケモノめ、来るなッ!」
恐怖に顔を引きつらせた暴徒が、至近距離からアサルトライフルを連射する。
戌亥はそれを左腕の装甲で受け止めながら、右腕を真っ直ぐに突き出した。
「零式・重圧粉砕腕……ッ!」
炸裂する火薬カートリッジの轟音。
極太の鋼鉄の杭が、分厚いコンクリートのバリケードごと、その後ろにいた数名の暴徒を血の霧に変えて粉砕した。
泥臭く、凄惨な市街戦。
戌亥は倒れた敵からロケットランチャーを蹴り飛ばし、大口径対装甲拳銃『ヤタガラス』を引き抜いて、四脚自動機銃のセンサー部を正確に撃ち抜く。20ミリ徹甲弾が機銃の装甲を貫き、大爆発を引き起こした。
「怯むな! 相手は単機だ! 数で押し潰せ!」
次から次へと湧き出してくる暴徒たち。彼らの目には、恐怖よりも、長年溜め込んだ国家への憎悪と、革命という甘美な言葉に酔いしれた狂気が宿っていた。
木下による「殉死大行進」で家族を殺された者たちの復讐心。それは、戌亥がいくら物理的に粉砕しようとも、決して尽きることのない業火となって彼を焼き焦がしていく。
(……俺は、何のためにこいつらを殺している)
ヤタガラスのトリガーを引くたびに、戌亥の脳内で微かなバグが警鐘を鳴らす。
この暴動は、神が自ら仕組んだものだ。この国は失敗作であり、滅びる運命にあると、創造主自身が断じた。
ならば、今ここで自分が命懸けで群衆を殺戮している行為に、一体何の意味があるというのか。
『Error: Mission Objective Unclear. Logic Contradiction.』
視界を赤く染めるエラーコードが、戌亥の人工精神を激しく摩耗させていく。
だが、彼は止まらない。
肩の装甲がロケット弾の直撃で吹き飛び、左目から黒いオイルが流れ出しても。彼は機械のように無感情に、次なる敵へと向かってパイルバンカーを構え直した。
「……命令だ。対象を、排除する」
虚無の底から絞り出すような低い声。
守るべき国家が虚構だと知ってもなお、彼は首輪を外せない。犬として生き、犬として戦うことしか、この血塗られた手には残されていないからだ。
燃え盛る下層区の炎の中、孤独な猟犬は果てしない殺戮の螺旋へと、さらに深く沈んでいった。




