第53話 粛清の舞踏(明智の最期)
内務省の最上階。防爆シャッターによって完全に密室と化した長官室の空気は、極限の緊張で張り詰めていた。
赤い警報ランプが回転し、室内に不気味な影を落としている。
明智光矢は、もはやネットワークへの接続を諦め、デスクの奥で静かに目を閉じていた。彼を取り囲むように、内務省直属の近接戦闘用サイボーグ護衛部隊・五体が、アサルトライフルを構えて扉を死守している。
「……長官、外部との通信は依然として回復しません。治安維持局のジャミングです」
護衛部隊のリーダーが、機械的な音声で報告する。
「分かっている」
明智は静かに目を開けた。彼の顔にはもはや焦燥感はなく、ある種の諦観と、狂気的なシステムを構築してしまった自分自身への後悔だけが浮かんでいた。
「じきに木下の刺客が来る。君たちでは到底太刀打ちできない化物だ。無駄死にしたくなければ、投降しろ」
「我々は長官を護衛するようプログラムされています。その命令は実行不可能です」
護衛たちが銃を構え直した、まさにその瞬間だった。
ズガンッ!!!
分厚い防爆シャッターではなく、反対側の防弾ガラスの窓が、外側から凄まじい衝撃を受けて粉砕された。
鋭利なガラス片が散弾のように室内に降り注ぎ、赤いランプに照らされてキラキラと輝く。
その光の雨の中を、影が一つ、弾丸のような速度で飛び込んできた。
「失礼するで。掃除の時間や」
関西訛りの明るい声。
暗部『鴉』の執行官、御堂牡丹。
彼女は空中で身を捻り、床に足をつくよりも早く、両手に握った二丁のマシンピストル『雷火』の引き金を引いた。
ダダダダダダダダッ!!
毎分一千発を超える驚異的な連射速度。
放たれた徹甲弾のスコールが、護衛サイボーグたちのアサルトライフルを構える腕を、正確に肘から先で切断していく。
「敵襲! 迎撃しろ!」
腕を失いながらも、護衛たちは肩に内蔵されたサブウェポンを展開しようとする。
しかし、牡丹のスピードは彼らの演算速度を遥かに凌駕していた。
着地と同時。彼女の強靭な人工筋肉が爆発的に収縮し、床の絨毯を引き裂いて前方へ跳躍する。
「遅いわぁ!」
一番手前にいた護衛の胸元に潜り込み、下から顎先へ強烈な掌底を叩き込む。脳の基部を揺らされた護衛の巨体が宙に浮いた瞬間、牡丹はその身体を蹴り台にして、さらに上空へと跳ね上がった。
空中で体を反転させ、壁を蹴り、天井のシャンデリアを蹴り、縦横無尽に空間を飛び回る。
その軌道は、まるで予測不能なピンボールのようだ。
護衛たちのトラッキング・センサーが牡丹の残像を捉えきれず、盲滅法に撃ち放たれた弾丸は虚しく壁を穿つのみ。
「ほな、おやすみ」
天井から落下してきた牡丹の太ももが、二体目の護衛の首を挟み込む。
その強靭な脚力と落下エネルギーが遠心力に変換され、護衛の頭部は嫌な音を立てて胴体からねじ切られ、床に叩きつけられた。
そのままの勢いで立ち上がった牡丹は、三体目、四体目に向けて、腕を交差させたガン・カタの構えから『雷火』の弾倉を全弾撃ち尽くす。
火花が散り、装甲が貫かれ、機能停止したサイボーグたちが次々と倒れ伏していく。
最後に残った部隊リーダーが、捨て身で牡丹へと突進してきた。
「長官に、指一本触れさせるかァァッ!」
牡丹は『雷火』をホルスターに放り込み、ニヤリと笑った。
「ええ根性や。せやけど、ウチの脚には勝てへんで」
牡丹は助走もなしに、その場から数メートルの高さまで垂直に跳躍した。
そして、突進してくるリーダーの顔面に向けて、完璧な軌道を描くドロップキックを放つ。
両足の裏が、リーダーの顔面装甲に激突した瞬間。
「壱式・瞬発穿孔脚、起動!」
ガシュンッ!!!
牡丹の踵に内蔵された極太のパイルバンカーが、凄まじい炸裂音と共に射出された。
装甲も、人工骨格も、電子頭脳も。すべてを文字通り「粉砕」する圧倒的な一撃。
首なしの鉄くずと化したリーダーが、轟音と共に床へ崩れ落ちた。
開始から、わずか数十秒。
圧倒的なスピードと体術による、一方的な殲滅劇。
牡丹は乱れた髪を掻き上げ、靴底についたオイルを絨毯になすりつけながら、ゆっくりとデスクの奥へ歩み寄った。
そこには、無残に破壊された護衛たちの残骸を見つめながら、静かに座り続ける明智の姿があった。
「……見事な手際だ。君が『鴉』の御堂牡丹か」
明智は逃げようとも命乞いをしようともせず、冷静な声で言った。
「おおきに。内務大臣の直属部隊にしちゃ、ちょっと歯ごたえが足りんかったけどな」
牡丹は再び『雷火』を抜き、冷たい銃口を明智の額へ向けた。
「木下のでっち上げた捏造データ。君もそれが嘘だと分かっているのだろう?」
「さあな。ウチのチップには、あんたが亡命政府のスパイやっていう証拠が山ほど送られてきてるで。動画も音声も、完璧なやつがな」
牡丹は皮肉っぽく肩をすくめた。
「でもまぁ、嘘やろな。あんたみたいなお堅いエリートが、小津なんぞと組むわけないわ」
「ならば、なぜ私を殺す? 君たちは正義を執行するのではなかったのか」
明智の問いに、牡丹の顔から笑顔が消えた。
その瞳の奥には、虚無と、国家の奴隷として生きるしかない哀しみが冷たく沈んでいる。
「正義なんぞ、この街のどこにあるんや」
牡丹は乾いた声で吐き捨てた。
「ウチらは犬や。システムが黒と言うたら、白いモンでも噛み殺す。正しいか間違っとるかなんて、犬が考えることやない」
明智は小さく息を吐き、静かに目を閉じた。
論理と正しさを追求してきた自分が、最も理不尽で非論理的な暴力によって消し去られる。それが、この狂った監視社会の導き出した最終的な答えだった。
「……この国は、もう終わりだ」
明智は呪詛のように、最後の言葉を絞り出した。
「木下のような無能な狂犬を野放しにし、システムにすべてを委ねた結果がこれだ。やがて君たちも、その狂気に食い殺されるだろう」
「……」
牡丹は何も言い返さず、ただ冷酷に、しかし確かな敬意を込めてトリガーを引いた。
ダァンッ!
乾いた銃声が、密室に響き渡った。
額を撃ち抜かれた明智の身体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
正しい志を持っていたはずの男は、こうして歴史の闇へと葬られた。
「……終わりか。そんなもん、とっくに終わっとるわ」
牡丹は煙を上げる銃口を吹き消し、血だまりの広がる床を背にして、蹴り破った窓の方へと歩き出した。
外では、夜明けの光が新京の無機質な高層ビル群を照らし始めている。
彼女は冷たい風を顔に受けながら、乾いた、自嘲するような笑いを一つだけこぼし、再び闇の中へと飛び出していった。




