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鋼の狂犬  作者: 八咫 日本


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第51話 虚偽の円卓

 新京の中枢、官庁街の地下深くに建造された最高幹部専用の秘密会議室。

分厚い鉛とコンクリートで覆われたその空間は、いかなる外部からの攻撃にも耐えうる堅牢さを持つが、現在そこに漂う空気は、外のどんな攻撃よりも陰湿で淀んでいた。

円卓の巨大なホログラム・ディスプレイには、現在も意識不明のまま官邸地下の特殊施設に横たわる「絶対指導者」犬養旭弘のバイタルデータが、無機質に明滅している。

その円卓を囲むのは、新京の権力の中枢を担う三人の男。

国家治安維持局局長、木下英雄。

国防大臣、柴田勝馬。

そして、内務大臣、明智光矢。

「……信じられん。犬養先生が倒れられるなど。まさか、誰かが毒でも盛ったんじゃないのか!」

沈黙を破ったのは、木下だった。

彼は額に脂汗を浮かべ、親指の爪を苛立たしげに噛みながら、甲高い声で叫んだ。尾張方面の訛りが、彼の余裕のなさを露呈させている。

「木下局長、軽率な発言は慎まれたい。犬養総理の症状は、長年の激務による心不全と脳血管の異常だと医療チームが報告している。それに、官邸の警備はあなたの管轄だろう? 毒殺などという憶測を口にするのは、自らの無能を宣伝しているに等しい」

冷徹な声で応じたのは、国防大臣の柴田だった。

仕立ての良い軍服に身を包んだ柴田は、背筋を伸ばし、木下を見下すように一瞥した。成り上がりの木下と、エリート軍人として確固たる地盤を築いてきた柴田。二人の間の溝は、政権発足当初から埋めようがないほど深く、広い。

「なんだと!? わしが警備を怠ったと言うのか! 冗談じゃないだわ! そもそも、犬養先生の体調管理は内閣情報調査室の管轄だろうが!」

「責任の所在を争っている場合ではないでしょう、お二人とも」

二人の口論を遮るように、明智光矢が静かに口を開いた。

銀縁の眼鏡の奥で、知的な瞳が冷たい光を放っている。彼は手元のタブレット端末を操作し、円卓のホログラムを新京全域の暴動マップへと切り替えた。

「問題は、犬養総理が『沈黙』したという事実が、すでに市民に知れ渡ってしまったことです。私の緊急放送によってある程度のパニックは抑えられましたが、小津の亡命政府に煽動された暴徒どもが、各階層で散発的なテロを繰り返しています。このままでは、新京の治安維持システムそのものが崩壊しかねません」

「お前のその勝手な放送のせいだろうが! なぜ治安維持局たるこのわしを通さずに、内務省の判断だけで非常事態宣言を出したんだわ!」

木下が立ち上がり、明智に向かって吠えた。

明智は一切動じることなく、木下の怒鳴り声を涼しい顔で受け流す。

「事態の緊急性を鑑みた結果です。治安維持局の決裁を待っていては、初動が遅れると判断しました。実際、私の放送があったからこそ、暴動の規模は想定の範囲内に収まっている。違いますか?」

「詭弁だわ! お前がわしを出し抜いて、点数稼ぎをしたかっただけだろうが!」

「……見苦しいぞ、木下」

柴田が低い声で威圧した。

「今は非常事態だ。犬養総理という絶対的な存在が揺らいだ今、国家の秩序を維持できるのは、強力な物理的武力を持つ我々『軍』のみ。すでに国防省は、第1から第5までの機甲連隊を官庁街および主要施設に配備する準備を終えている。木下局長、あなたのところの警察ごっこでは、これ以上の暴動拡大は防ぎきれん。ただちに軍への全権委任を承認し、戒厳令を敷くべきだ」

「だ、だからと言って軍に全権を渡すわけにはいかんだろうが! わしが犬養先生から新京の治安を任されたんだわ! 忘れたとは言わさんぞ!」

木下は顔を真っ赤にして、円卓を拳で叩きつけた。

「あの『東京事変』の時、国内の反対派どもや反乱分子を徹底的に血祭りに上げ、犬養先生の絶対政権を盤石にしたのは誰だ! 関が率いたナイトオウルの残党をすり潰し、この国の掃除を完璧にやってのけたのはこのわしだぞ! その実績があるからこそ、治安維持局が新設されたんだわ!」

木下は自身の最大の功績を盾に取り、まくし立てた。

「今回の暴動だって同じことだわ。わしの『鴉』と鉄鋼マシーナリーどもがいれば、暴徒どもなど一晩で肉塊に変えてやるわ! 軍の砲撃で街を丸ごと吹き飛ばすなど、狂気の沙汰だわ! この事態を最も完璧に、無駄なく収束できるのはわししかおらん!」

しかし、その威勢の良い言葉に対し、柴田は鼻で笑った。

「過去の栄光にすがるか、木下。あんなものは、ただの市民ボランティアの延長に過ぎなかった者たちを武装警察で蹂躙しただけのこと。だが今は違う。相手は海外の支援を受け、軍用兵器で武装したゲリラだ」

明智もまた、淡々とデータを示して木下の言葉を切り捨てた。

「おっしゃる通りです。木下局長、あなたの『東京事変』での功績は誰も否定しません。しかし、私のデータによれば、現在治安維持部隊の被害はすでに無視できないレベルに達しています。亡命政府側にはCIAなど強力な海外の支援がついている可能性が高い。もはや、警察権力だけで事態を収束させるのは不可能です」

「な……ッ!」

「現実を見ましょう、木下局長」

明智は眼鏡の位置を直し、冷静な口調で続けた。

「軍による戒厳令は国内外に無用な混乱を招く。しかし治安維持局では手が足りない。ここは、行政の長である内務省が主体となり、暫定的な危機管理内閣を樹立するべきです。私が臨時の首相代理を務め、事態の収拾にあたります」

「お前が首相代理だと!? ふざけるな! 犬養先生の右腕として国を支えてきたわしを差し置いて、お前のような青二才が上に立つなど絶対に認めんぞ!」

「では、代案を提示してください。軍の介入を拒み、暫定政権の樹立も拒む。それで、どうやってこの国難を乗り切るおつもりですか?」

「それは……ッ!」

木下は言葉に詰まった。

柴田の武力と、明智の論理。過去の栄光を持ち出しても、現在の二つの圧力に挟まれた木下は完全に孤立していた。

円卓の周囲には、三人の男たちの部下たちが控えているが、誰も口を開こうとはしない。絶対的な「神」を失った今、この円卓で繰り広げられているのは、国家の未来を憂う議論などではない。

いかにして政敵を蹴落とし、空席となった王座に座るかという、醜悪な権力闘争に過ぎなかった。

(このままでは……わしは弾き出される!)

木下の脳裏に、焦燥感が渦巻く。

柴田が軍を動かせば、自分は完全に無力化される。明智が暫定政権を樹立すれば、自分の権限は全て奪われる。

犬養の庇護の下で好き勝手に振る舞ってきた木下にとって、この状況は死を意味していた。

(どうする……どうすればいい……!)

親指の爪を噛む力が強くなり、血が滲む。

その痛みが、木下の狂気的な思考を加速させた。

(そうだ……わしには『鴉』がある。東京事変の時と同じだ。法律も倫理も無視して動かせる、最強の暗殺部隊が……!)

木下の目が、ギラリと濁った光を放つ。

柴田の軍事力に対抗するには、正規のルートでは不可能だ。明智の論理を崩すには、正攻法の議論では勝てない。

ならば、どうするか。

(社会的に完全に抹殺してしまえばいいんだわ……!)

木下は深呼吸をし、顔に貼りついたような笑みを浮かべた。

「……わかっただわ。お二人の意見はよく理解できた。確かに、今のわしの手持ちのカードだけでは、この事態を早急に収束させるのは難しいかもしれん」

木下の突然の態度変化に、柴田と明智は訝しげな視線を送る。

「だがな、軍を動かすにしても、暫定政権を樹立するにしても、もう少し時間が必要だろう? 今すぐ結論を出すのは早計だわ。今日のところは一度休会にして、明日の朝、改めて具体的な策を練り直そうじゃないか。どうだ?」

柴田は立ち上がり、軍帽を被り直した。

「時間稼ぎのつもりか? 構わん。だが、明日の朝までに結論が出なければ、私は独断で軍を動かす。覚えておけ」

柴田はマントを翻し、部下を引き連れて会議室を出て行った。

明智もまた、静かに立ち上がる。

「明日の朝、納得のいく回答をお待ちしていますよ、木下局長」

明智が去り、会議室には木下とその側近たちだけが残された。

重い扉が閉まった瞬間、木下の顔から作り笑いが消え、醜悪な憎悪の表情が露わになる。

「ふざけやがって……! あのエリート気取りのクソ野郎どもめ! 東京事変の血みどろの仕事をわしに押し付けておきながら、今さらわしをコケにしやがって!」

木下は近くの椅子を蹴り飛ばし、激しく息を吐いた。

「局長……いかがなさいますか? このままでは、本当に軍か内務省に主導権を奪われます」

側近の一人が恐る恐る尋ねる。

木下は充血した目で側近を睨みつけ、そして、狂気に満ちた声で笑い始めた。

「ククク……心配するな。わしを舐めた報いを、たっぷりと味わわせてやるだわ」

木下は通信コンソールに向かい、暗部『鴉』の専用回線を開いた。

「明智光矢……あの青二才から血祭りにあげてやる。奴が亡命政府の小津と裏で繋がり、犬養先生に毒を盛った首謀者であるという『完璧な証拠』を、一晩ででっち上げろ。明日の朝、奴は国賊として処刑されるんだわ」

権力の亡者と化した木下の目が、暗い会議室の中で不気味に光っていた。神が沈黙した新京で、血みどろの権力闘争の幕が、今、切って落とされた。

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