第5話 反逆の代償
炎と硝煙が渦巻く第十一外周区の交差点。
姿を現した巨大な軍用パワードスーツの背部ジェネレーターから、過剰な排熱が陽炎となって立ち昇る。分厚いオリーブドラブの特殊装甲には、ギャングの紋章が毒々しいペンキで乱雑に上書きされていた。
胸部装甲の奥、強化ガラス越しにギャングのリーダーである巨漢が、血走った眼球で戌亥と牡丹を睨み下ろして咆哮する。
「国家の猟犬どもが……! 俺たちの計画をよくもここまでコケにしてくれたな! ただの鉄クズに変えてやる!」
リーダーの絶叫と共に、パワードスーツの両腕にマウントされた重機関砲が凶悪な回転を始めた。
火を噴く銃口。秒間数十発の徹甲弾が、暴風雨のように交差点を薙ぎ払う。
戌亥と牡丹は即座に左右へと散開した。
直前まで二人が立っていたアスファルトが紙のように吹き飛び、背後にあった三階建てのコンクリートビルが、蜂の巣にされて轟音と共に崩落する。舞い上がる粉塵とコンクリートの破片が、視界を白く染め上げた。
「うっわ、えげつない火力やな! あんなんまともに食らったら、うちの細い脚、一発で折れてまうわ!」
牡丹は軽口を叩きながらも、崩れゆくビルの外壁を蹴り、驚異的な跳躍で瓦礫から瓦礫へと飛び移っていく。彼女は空中で身を捻り、双銃『雷火』のトリガーを引き絞った。
雨あられと降り注ぐ弾幕がパワードスーツの装甲を叩く。しかし、激しい火花が散るだけで、分厚い軍用装甲を貫通するには至らない。
「チマチマと蠅がうるせえんだよ!」
リーダーが照準を空中の牡丹へ合わせようとした瞬間、地を這うような重戦車の足音が響いた。
戌亥迅だ。
彼は崩落するビルの粉塵を隠れ蓑にして、正面からパワードスーツへと肉薄していた。大口径対装甲拳銃『ヤタガラス』の漆黒の銃身が火を噴き、放たれた徹甲弾が怪物の膝関節を覆う装甲を大きく陥没させる。
「舐めるなァッ!」
リーダーは怒り狂い、右腕の重機関砲を戌亥へと向けた。
回避は間に合わない。戌亥は咄嗟に左腕をクロスさせて胸部などの致命的な中枢を庇い、防御姿勢をとった。
凄まじい衝撃。
戌亥の左腕を覆っていた超硬度合金の装甲が、数発の直撃を受けて悲鳴を上げ、ひしゃげ、ついに砕け散った。
火花が噴き出し、千切れた人工筋肉の繊維が宙を舞う。左腕の機能が完全に沈黙し、強烈な運動エネルギーによって戌亥の巨体が後方へと弾き飛ばされ、地面に膝をついた。
「ハハハハッ! どうした暗殺者! 片腕もがれて終わりか!」
リーダーが勝利を確信し、トドメを刺すべく両腕の銃口を戌亥に合わせた、まさにその刹那だった。
彼の網膜カメラの死角――真上の空間から、影が降ってきた。
ビルの鉄骨を蹴って遥か上空へと跳躍していた牡丹が、重力に逆らうような滑らかな軌道で、パワードスーツの背後へと落下してきたのだ。
「もろたで!」
歓喜に満ちた叫びと共に、牡丹の身体が空中で鋭く反転する。
彼女は両脚を揃え、パワードスーツの首元、装甲が最も薄い駆動関節部めがけて、全体重と機械の出力を乗せた強烈なドロップキックを叩き込んだ。
甲高い金属音が響き、怪物の巨体が大きく前のめりにたたらを踏む。
だが、牡丹の攻撃はそれだけでは終わらない。
敵の関節部に両脚の踵を密着させた状態のまま、彼女の足元で、特殊な火薬カートリッジが爆発的な音を立てて点火された。
壱式・瞬発穿孔脚。
踵に内蔵された極太の鋼鉄の杭が、ゼロ距離で射出される。
分厚い軍用装甲がいともたやすく貫かれ、パワードスーツの首元のメインシリンダーと冷却パイプが完全に粉砕された。高圧の冷却液が噴水のように噴き出し、怪物の右半身の機動力が完全に麻痺する。
「ぐっ、がああああっ!? なんだ、何をした!!」
コントロールを失い、火花を散らしながらパワードスーツが崩れ落ちそうになる。
致命的な隙。牡丹がこじ開けたその絶対の好機を、戌亥が逃すはずがなかった。
痛覚を完全に遮断した戌亥は、ぶら下がる破壊された左腕を一切気にすることなく、爆発的な脚力で地面を蹴った。
パワードスーツの懐へと潜り込む。リーダーはパニックに陥り、残された左腕の重機関砲で迎撃しようとするが、機動力を失った巨体では戌亥の踏み込みには追いつかない。
戌亥は自らの損壊した左肩を囮にするようにして敵の銃身を弾き飛ばし、完全に密着する距離まで肉薄した。
戌亥の右腕の装甲がスライドし、地獄の杭が姿を現す。
目標は、パワードスーツの胸部。ギャングのリーダーが乗るコクピットのド真ん中だ。
「国家反逆罪。これより刑を執行する」
無感情な宣告。
限界まで圧縮された火薬カートリッジが装填される重い音が、スローモーションのように響いた。
「ま、待てっ! 俺たちは――」
零式・重圧粉砕腕、最大出力。
ドゴォォォォォンッ!!!
爆発という言葉すら生ぬるい、破壊の嵐が吹き荒れた。
放たれた鋼鉄の杭は、パワードスーツの分厚い胸部装甲を紙屑のように食い破り、内部の人間ごと、背面のジェネレーターまでをも完全に貫通した。
圧倒的な衝撃波が全方位に広がり、周囲の炎を吹き消す。
パワードスーツは一瞬だけ硬直した後、内部からの誘爆を引き起こし、原型を留めない無数の鉄屑となって四散した。
降り注ぐ金属片とコンクリートの雨。
その中で、戌亥は右腕を突き出した姿勢のまま、彫像のように静止していた。
巨大な残骸の山の下敷きになり、ギャングのリーダーだった男が、上半身の半分を失った凄惨な姿で横たわっていた。
もはや助かる見込みはない。肺を潰され、口から大量の血の泡を吹き出しながら、男は濁りきった目で戌亥と、その傍らに着地した牡丹を睨みつけていた。
「……ッ、バケモノ、ども、め……」
男の喉から、血を吐くような、呪詛の言葉が漏れ出した。
「お前たちのような、血も涙もない機械が……いつか、国家に、使い捨てられる日を……待って、いるぞ……っ」
それが、新京の底辺で足掻き続けた男の最後の言葉だった。
男の瞳から光が消え、首裏のICチップの生体信号が完全にロストしたことを、戌亥の網膜データが冷徹に告げる。
戌亥は何も答えなかった。
ただ無表情に、男の死骸を見下ろしているだけだ。人間としての感情も、恐怖も、そこには微塵も存在しない。
「……あはは、えらい恨み言やね。言うてくれるやん」
沈黙を破ったのは、牡丹の乾いた笑い声だった。
彼女は血と煤に汚れた短い髪を無造作に手で払いながら、足元に転がる男の死骸に冷たい視線を落とした。
「せやな。……覚えとくわ」
冗談めかした口調の裏に、微かな虚無の響きが混ざっていた。
使い捨ての機械。それは、国家の犬として生きる彼らが誰よりも理解している、逃れようのない現実だった。
主犯を失った暴動は、完全に鎮圧された。
逃げ遅れた者たちもすべて正規警備隊によって処理され、第十一外周区のメインストリートには、もはや生きている者の気配はない。
炎が静まり、空を覆っていた分厚い雲から、再び冷たい酸性雨が降り始めた。
雨音だけが、死の街に響いている。
見渡す限りに広がる、原型をとどめない死体の海。
千切れた左腕から火花を散らす戌亥と、硝煙の匂いを纏った牡丹。
二体の鉄鋼マシーナリーは、誰に褒められることもなく、ただ泥と血にまみれた雨の中に佇んでいた。
美しき虚構のユートピアを守るため、今夜もまた、数え切れないほどの命が地下深くへと埋められていく。
男が遺した呪詛の言葉すらも、戌亥の機械脳を揺るがすことはない。冷たい雨に打たれながら、彼は再び思考を絶対的な忠誠という強固な檻の中へと閉ざした。
世界がどれほど狂っていようとも、彼が最後まで国家の犬であることに変わりはないのだ。




