第48話 執行官の夜
深夜の新京。ネオンの届かない居住区の路地裏は、不気味なほどの静けさに包まれていた。
「小津の放送に同調する動きを見せた連中は、全員消すんだわ! 一人残らずだ!」
木下局長の狂気的な命令が、戌亥迅の通信回路に響いていた。
ターゲットは武装したテロリストではない。ただの市民活動家や、酒場で亡命政府を擁護する発言をしただけの、無力な市民たち。
本来であれば、思想矯正施設への送致で済むはずの案件。それが「今夜中の無音暗殺」へとエスカレートしているのは、木下のヒステリックな恐怖の表れだった。
『Error: Target threat level negligible』
『Warning: Lethal force is logically unjustified』
戌亥の網膜ディスプレイには、慢性的なエラーコードが赤く明滅し続けている。
無実の者を殺すことへの激しい忌避感が、システムの内側から強烈なノイズを発し、人工筋肉を軋ませる。
「……痛覚回路、遮断。自律制御モードをスタンバイ」
戌亥は低く呟き、内なる葛藤を物理的な出力で強引にねじ伏せた。
己の自我を殺し、ただ命令を処理するためだけの「冷たい機械」に自らを貶める。それしか、この悲惨な任務を完遂する方法はなかった。
最初のターゲット。
古びたアパートの三階。部屋で震えながら家族と身を寄せ合う男。
戌亥は外壁を無音で駆け上がり、窓ガラスを破ることもなく、特殊な電子ロック解除デバイスで窓を開け放った。男が悲鳴を上げる暇も与えない。背後から音もなく忍び寄り、太い鉄鋼の指で男の頸椎を一瞬にしてへし折る。
家族が気づいた時には、すでに戌亥の姿はなく、ただ絶命した男の体が静かに床へ崩れ落ちるだけだった。
次のターゲット。
地下の違法集会所から帰宅中の若者。
戌亥は暗がりから滑るように現れ、若者の口を塞ぎながら路地裏へと引きずり込む。ヤタガラスを使うまでもない。圧倒的な握力で心臓の鼓動を物理的に停止させ、そのままゴミ箱の裏へと遺体を投棄する。
極めて迅速。完全なる無音。
それは、死神としての圧倒的な手際だった。
戌亥は自身のバグが発する「なぜ殺すのか」という問いを無視し、ただ目の前のタスク(命)を消去する作業に没頭した。
感情を殺し、葛藤を速度で覆い隠す。彼が有能な殺人機械であればあるほど、その内側で泣き叫ぶ人間性とのコントラストは、絶望的なまでに悲しい。
一晩で数十人。
最後のターゲットを処理し終えた時、東の空が白み始めていた。
朝日に照らされる新京の無機質な街並み。戌亥はビルの屋上に立ち、返り血で黒く染まった自らの両手を見つめ下ろした。
エラーコードの明滅は止まらない。しかし、狂犬はもう迷いで立ち止まることはなかった。彼はただ、自らの内に巣食うノイズを重い足枷として引きずりながら、次の任務へと歩を進める。




