第40話 狂犬の矜持
紫色のネオンが降り注ぐ工業区画は、すでに原形を留めないほどの破壊の渦に包まれていた。
空気を引き裂く甲高い金属音と共に、太いパイプラインがチーズのように両断される。エイダ・クロムウェルの流体金属ブレードが、物理法則を無視した軌道で宙を舞い、戌亥迅の巨体を容赦なく切り刻んでいく。
対する戌亥は、装甲から青白い火花と合成血液を散らしながらも、一歩も引くことはなかった。
バグによる内面の激痛。それをすべて機動力へと変換する強引なオーバードライブ。彼はヤタガラスの重低音を響かせ、コンクリートの壁をパイルバンカーで粉砕しながら、エイダの変幻自在の刃へと愚直なまでに正面から食らいついていく。
「力任せの暴力だけじゃ、私には届かないわよ!」
エイダが宙で身を捻り、ヤタガラスの銃弾を流体シールドで斜めに弾き流す。
その死角。着地の瞬間、エイダの右腕が極限まで圧縮された槍の如き刃へと変形し、戌亥の胸部――動力炉の心臓部へと一直線に突き出された。
回避不能のタイミング。
だが、戌亥の赤い単眼レンズは一切の動揺を見せなかった。
彼は致命の一撃を避けるのではなく、自らの巨大な左腕を、エイダの刃の前へと「盾」として差し出したのだ。
ズバァンッ!
鋭利な流体金属が、戌亥のチタン合金の左腕を容易く貫通し、人工筋肉を破壊して火花を噴き上げさせる。
「……ッ!」
エイダの表情が驚愕に歪む。
戌亥は左腕を貫かれた激痛を完全に遮断し、自身の装甲内部の人工筋肉を強制的に収縮させた。エイダの刃を、自らの左腕の内部で強引に「ロック」したのだ。
「捕まえた」
無機質な声と共に、戌亥はがら空きになったエイダの胴体へ、右手に握ったヤタガラスの銃口をピタリと押し当てた。
己の腕を破壊させて敵の動きを封じ、至近距離から粉砕する。それは自身の命すらただの「部品」として使い潰す、機械を超えた狂気の戦法だった。
(この男……自分の左腕を捨てる気!?)
ヤタガラスの引き金が引かれるコンマ一秒前。
エイダは左腕のブレードの形状維持を放棄し、一瞬で液状化させて戌亥の腕から引き抜いた。同時に出力を最大にして後方へと跳躍する。
轟音。
放たれた20ミリ徹甲弾が、エイダの残像ごと空間を抉り取り、背後の貯水タンクを大爆発させた。
炎と熱風が吹き荒れる中、間一髪で弾道から逃れたエイダは、数メートル離れた鉄骨の上に着地した。彼女の光学迷彩皮膜の脇腹部分が、銃弾の衝撃波だけで激しく焼け焦げている。
片腕をだらりと下げ、全身から煙を上げながら、それでもなお殺意のレンズを向けてくる戌亥。
エイダは自身の火傷に手を当てながら、呆れたように、しかし確かな熱を帯びた微笑を浮かべた。
「本当に、狂ってるわね」
己の身を削り、泥水をすすってでも任務を完遂しようとする、猟犬の執念と意地。
それは、アメリカの最新鋭技術の結晶である彼女のAIには、到底計算できない不合理な美しさだった。
「今日のところは、これで引いてあげる。……また遊んでね、猟犬さん」
単なる敵としてではなく、初めて「好敵手」としての明確な認識。
エイダは鈴を転がすような笑い声を残し、流体金属を波立たせながら夜の闇へと溶け込んでいった。
熱風が吹き抜ける中、戌亥は追撃することなく、ただ一人、焼け焦げた左腕を引きずりながら、エイダの消えた闇を静かに見据えていた。




