第36話 ノイズを喰らう犬
「神は機械だ! この国家は墓場だ!」
「ふざけるな、俺たちを騙していたのか!」
亡命政府代表、小津家高による海賊放送が強制終了された直後。中層区の中央広場は、完全に統制を失った。
数千人の市民が怯えから一転して怒り狂い、治安維持部隊の装甲車両へと押し寄せる。投石が防弾ガラスを叩き割り、どこからか持ち出された火炎瓶がアスファルトを舐めるように燃え広がる。無菌状態のユートピアが、瞬く間に阿鼻叫喚の地獄へと変貌していた。
処刑台の上に立つ戌亥迅の網膜ディスプレイは、警告コードで完全に埋め尽くされていた。
小津の言葉がシステムの中枢を抉り、隠蔽し続けてきたバグが狂ったように警鐘を鳴らしている。
(……動くな。引き金を、引くな)
内なるノイズが、戌亥の人工筋肉に強烈なブレーキをかける。
以前であれば、彼はこの致命的な矛盾に縛られ、フリーズしていただろう。だが、この圧倒的な暴力と混乱の坩堝の中で、戌亥は自らの存在を繋ぎ止めるための唯一の答えを選択した。
「……痛覚回路、完全遮断。戦闘リミッター、全解除」
戌亥は低く、そして無機質な声でシステムに強制コマンドを入力した。
警告表示を無視し、己の意思で承認する。
ドクンッ、と胸の奥の動力炉が爆発的な鼓動を打った。バグが発する迷いも自己矛盾の痛みも、システムに負荷をかける物理的なエネルギーで強引にねじ伏せる。
「俺は、国家の犬だ」
血を吐くようなその独白と共に、戌亥の巨体が砲弾のように弾け飛んだ。
巨漢のサイボーグとは思えない、眼にも止まらぬ超高速の踏み込み。アスファルトが爆発するように砕け散る。
「ヒッ――化け物ッ! 撃て! 撃てェ!」
暴徒たちから奪ったアサルトライフルの一斉射撃が、雨あられと戌亥に襲い掛かる。
だが、痛覚を遮断した戌亥は回避行動すら取らない。チタン合金の装甲で弾丸を火花と共に弾き返し、一直線に敵陣のド真ん中へと突っ込む。
「死ねェッ!」
至近距離から散弾銃を構えた暴徒の顔面に、戌亥の巨大な左の手刀が振り下ろされる。
生々しい音と共に頭蓋骨が砕け、男の身体が紙屑のように吹き飛んだ。
流れるような動作で右手のヤタガラスを構え、一切の照準を合わせることなく引き金を連続で引く。
轟音。
20ミリ徹甲弾が、逃げ惑う暴徒の胴体を次々と破裂させていく。
迷いはない。慈悲もない。
彼の中で絶叫するエラーコードをかき消すように、戌亥はひたすらに暴力と速度を加速させた。
「囲め! 足を止めろ!」
数人の暴徒が鉄パイプとチェーンソーを振り被って襲いかかるが、遅すぎる。
戌亥は身を低く沈め込むと同時に、右腕のパイルバンカーを起動した。
――ズガンッ!!!
超高圧の火薬が炸裂し、極太の鋼鉄の杭が射出される。
分厚い防弾盾ごと、後ろにいた三人の暴徒の上半身が赤い霧となって消滅した。
肉片と血の雨が降り注ぐ中、返り血で全身を真っ赤に染めた戌亥は、止まることなく次の獲物へと跳躍する。
圧倒的、かつ凄惨。
それは、暴動の鎮圧などではない。己の内に生まれた人間性という名のノイズを喰らい殺すため、あえて最も残虐な機械に成り下がった猟犬の、哀しいまでの無双劇だった。
十数分後。
広場を埋め尽くしていた暴徒たちは、誰一人として立っていなかった。
赤黒く染まった処刑台の上で、オーバーヒートで全身から白煙を上げる戌亥迅だけが、エラーログの消え去った静寂の視界で、燃え盛る新京の空をただ一人、見上げていた。




