第35話 海賊放送
新京・中層区の中央広場。灰色の空の下、数千人の市民が怯えた目つきで集められていた。
広場の中央には簡素な処刑台が設けられ、数名の反体制派の市民が後ろ手に縛られて跪かされている。治安維持局が反乱の芽を物理的な恐怖で摘み取るための、見せしめの公開処刑である。
その処刑人として立つのは、暗部最高位の猟犬、戌亥迅。
彼の網膜ディスプレイには、処刑対象を示す赤いマーカーが点灯している。しかし、その視界の端では『Error: Logic Circuit Conflict』という警告コードが、もはや慢性的なノイズとなって明滅を繰り返していた。
「さあ、やれ! 国家に逆らう愚か者どもに、鉄槌を下すんだわ!」
安全な装甲車両のスピーカーから、木下局長のヒステリックな声が響く。
戌亥はゆっくりとヤタガラスを引き抜いた。怯え切った市民たちの視線が、死神の銃口へと集まる。
無実の者を殺す不条理。蓄積し続けた致命的なバグが、戌亥の人工筋肉に激しい抵抗を生じさせる。だが、メインフレームからの強制コマンドがそれを強引にねじ伏せ、彼の右腕を処刑対象の頭部へと固定させた。
戌亥が、エラーコードまみれの視界の中で引き金に指をかけた、まさにその瞬間だった。
ブツンッ――!
広場を囲む数十枚の巨大なホログラム・モニターが、一斉に暗転した。
それだけではない。広場にいる数千の市民たちの網膜ARディスプレイ、さらには強固な暗号化が施されているはずの戌亥の視界までもが、強制的にジャックされ、真っ黒な画面へと切り替わったのだ。
ノイズが走り、やがて、極めて冷静でカリスマ性に満ちた男の声が、新京全土に響き渡った。
『――新京の市民よ。真実を知る時が来た』
日本亡命政府代表、小津家高。
かつて犬養の狂気に気づき、国を捨てた天才的な策士の声だった。
『君たちは、管理された平和という名の虚構を信じ込まされている。だが、足元を見ろ。この都市は、無数の死体の上に建設された巨大な墓場だ』
静まり返っていた広場が、どよめきに包まれる。
『秩序を騙る暴力が、君たちの隣人を狩っている。そして、君たちが崇める絶対的な神は、もはや温かな血も涙も持たない、ただの冷たい「機械」に過ぎないのだ』
「機械」。
その比喩表現は、市民にとっては国家の非情さを表す言葉として響いたが、戌亥のバグには全く別の、強烈な共鳴を引き起こした。
自らを機械として信じ込みながら、その奥底で人間性の残滓に苦しんできた戌亥。小津の言葉は、まるで彼のシステムを根底から揺さぶる「真理のコード」のように、論理回路の中枢へと突き刺さった。
「な、なんだこの放送は! 切れ! すぐに切らんか!」
木下のパニックに陥った声がスピーカーから割れるように響き、広場の市民たちは混乱と恐怖、そして微かな「熱」を帯びて騒ぎ始める。革命の種が、完全に無菌だった都市に蒔かれた瞬間だった。
『Override Failed... System Error』
鳴り止まない木下の命令。復旧しない視界。
戌亥の中で、国家からの強制コマンドと、己の内に芽生えたバグが激しく衝突し、そして――ついに臨界点を超えた。
(……俺は、機械か)
戌亥の赤い単眼が、ゆっくりと瞬きをする。
彼は、エラーを告げるシステムに抗うことなく、己の意思で右腕の人工筋肉へアクセスした。
そして、処刑のために構えていたヤタガラスの重い銃口を、誰の命令を受けることもなく、ゆっくりと、静かに下ろした。
それは、見逃すというにはあまりにも微小な行動だったかもしれない。
だが、命令のままに動き続けてきた狂犬が、生まれて初めて「自分の意志」で殺戮を止めた、決定的な反逆の瞬間だった。
ノイズと歓声が交差する混乱の広場で、銃を下ろした戌亥は、ただ一人、灰色の空をじっと見上げていた。




