第33話 共喰いの猟犬
新京の地下深く、かつては思想犯を収容していた廃棄区画。そこは今、治安維持局の制服を着た者たちの血で赤く染まっていた。
国防省からの圧力に精神をすり減らした木下局長の疑心暗鬼は、ついに狂気の領域へと達していた。「局内にも軍の犬が紛れ込んでいるに違いないだわ」。その妄想の生贄に選ばれたのは、第十七ブロックでの軍の過剰火力を居酒屋で愚痴っただけの、一般の治安警察官数十名だった。
同じ釜の飯を食らい、同じ国家の治安を守ってきたはずの同僚たちを、暗部たる鴉が一方的に虐殺する。極限の胸糞悪さと不条理が支配する空間で、戌亥迅はただ無表情のままヤタガラスの引き金を引き続けていた。
「やめろ……戌亥! 俺たちはお前と同じ局員だぞ!」
悲鳴と怒号が、無慈悲な重低音の銃声にかき消されていく。かつて本部の廊下ですれ違い、敬礼を交わしたこともある顔が、次々と顔面を吹き飛ばされ、ただの肉塊へと変わっていく。
数十名の処理を終え、残るは一人。壁際に追い詰められた若い警官が、腹から青黒い血を流しながら崩れ落ちた。戌亥は無機質な動作で新しいマガジンを装填し、その頭部へと巨大な銃口を見下ろすように向ける。
「なんで、こんな……っ」
虫の息の若い警官は、恐怖よりも深い絶望を瞳に浮かべ、銃口の奥にある冷たい単眼レンズを見上げた。
「俺たちは……人間じゃないのか?」
その言葉が音声データとして入力された瞬間、戌亥のシステムに過去最大級の致命的なエラーが走った。
国家を守るための組織が、国家を憂うだけの無実の同胞を殺す。完全な論理破綻。そして、「人間とは何か」という根源的な問い。処理能力の限界を超えたバグの奔流が、鉄鋼マシーナリーの中枢回路を激しく焼き切っていく。
視界が真っ赤なノイズで埋め尽くされる。システムが強制的に殺戮命令を下し、人工筋肉へ電気信号が送られる。しかし、ヤタガラスを握る戌亥の右腕が、まるで人間の悲鳴のような異音を立てて激しく痙攣した。
ズドンッ!
銃口が火を噴いた。しかし、放たれた20ミリ徹甲弾は警官の頭部を吹き飛ばすことなく、その耳の数センチ横のコンクリート壁を深く抉り取っていた。
射撃精度の誤差ゼロを誇る最高位執行官。その完璧な機械が、数メートルの至近距離で「急所を外す」という、サイボーグとしてあり得ない物理的なミスを犯したのだ。
奇跡的に生き延びて気絶した警官の前で、戌亥は自らの震える右腕を、まるで他人の作り物であるかのように見つめ下ろした。網膜ディスプレイには、制御不能を示すアラートが狂ったように点滅し続けている。
バグという名の人間性が、確実に完璧な機械を内側から壊し始めている。猟犬は己の崩壊の音を、その冷たい地下室で確かに聞いた。




