第31話 灰の中の標的
灰が、季節外れの雪のように降り積もる。
軍の重砲撃によって地形ごと物理的に消去された第十七ブロックの境界線。そのすぐ外側に広がる薄暗い路地裏には、瓦礫とブルーシートで作られた簡素な仮設テントが立ち並んでいた。
「しっかり押さえて! 出血が止まらない!」
「包帯、もうありません! どうすれば……ッ!」
血まみれの白衣を着た初老の民間医師と、学生服のままボランティアとして駆けつけた若い少女たちが、必死の形相で黒焦げになった怪我人たちの手当てを行っていた。彼らはレジスタンスではない。軍の無差別砲撃から辛うじて逃げ延びただけの、無力で、無実の一般市民だった。
そこに、重々しい金属の足音が響き渡る。
ズン、ズン、と、アスファルトを踏み砕く規則的な歩み。灰色の煙を裂いて現れたのは、真新しい銀の装甲に身を包んだ巨漢――治安維持局・暗部『鴉』の最高位執行官、戌亥迅だった。
彼の聴覚センサーには、局長室にいる木下のヒステリックな声が響き続けている。
『軍の連中にデカい顔をさせるな! 暴動の火種は徹底的に潰すんだわ! あのテントにいる連中は、無許可で医療行為を行っとる! すなわち反乱分子への同調者、国家への反逆だ! 一人残らず始末してちょーよ!』
手柄を奪われた木下の、狂気じみた権力維持のための粛清指令。
ターゲットはもはや「明確な悪」ですらない。「完全な善意」によって同胞を救おうとしているだけの、武器ひとつ持たない市民たちだった。
戌亥は無言のまま、副兵装である大口径拳銃『ヤタガラス』をホルスターから抜き放った。
巨大な銃口が向けられた瞬間、テントの中の空気が凍りついた。
「ま、待ってくれ!」
初老の医師が、怪我人たちを庇うように両手を広げて立ちはだかった。その手は他人の血で真っ赤に染まり、激しく震えていた。
「私たちはただの医者だ! この人たちは暴徒じゃない、砲撃に巻き込まれただけの一般市民なんだ! 頼む、撃たないでくれ!」
その悲痛な叫びを音声データとして処理した瞬間、戌亥の視界を覆う網膜ディスプレイに、異変が生じた。
『Warning: Target Threat Level ZERO』
『Error: Logical Paradox in Execution Command』
『Subroutine [EMPATHY_REMNANT] is forcefully attempting to abort』
真っ赤なエラーコードが、滝のように視界を埋め尽くす。
これまでテロリストを処理する際には決して起こり得なかった、無数の警告表示。
「無実の者を殺す」という圧倒的な不条理が、機械であるはずの戌亥の論理回路を激しく侵食し、システムに致命的なノイズを発生させていた。
(……引き金を、引け)
戌亥は自身の人工筋肉に命令を下す。しかし、右腕の駆動系がギリギリと悲鳴を上げた。チタン合金の骨格を包む人工収縮繊維が異常発熱を起こし、青白い蒸気が装甲の隙間から噴き出す。
「お、お願いです……助けて……」
足元でボランティアの少女が泣き崩れる。
視界に強烈なノイズが走る。対象の生体反応を示すマーカーが、エラーによって激しく明滅し、幾重にもブレて見える。心臓部に位置する動力炉が、まるで人間の動悸のようにドクン、ドクンと異常な脈動を打った。
――バグ(良心の呵責)が、狂った国家の命令に全力で抵抗している。
だが、彼は鉄鋼マシーナリーだ。首輪に繋がれた猟犬の肉体は、自らの自我を押し潰し、無慈悲なメインフレームの強制命令によって動かされる。
ズドンッ!!!
ヤタガラスが火を噴いた。
20ミリ徹甲弾が、両手を広げていた医師の胸郭を容易く粉砕し、その背後にいた怪我人たちごと纏めて肉片に変えた。
「きゃあああああっ!」
「逃げろ! 殺されるぞ!」
パニックに陥り、這いずって逃げようとするボランティアの少女。足の潰れた老人。
戌亥は次々と銃口を向け、無表情のまま引き金を引き続けた。
轟音。血飛沫。悲鳴。そして沈黙。
『System Error: Logic Circuit Overload』
『System Error: Logic Circuit Overload』
たった十数秒の間に、仮設テントは真っ赤な血の海と化した。
原型を留めない市民たちの死体の真ん中で、戌亥迅は一人立ち尽くしていた。
彼の顔に表情はない。だが、ヤタガラスを握る右腕は微かに痙攣し、全身の装甲からはオーバーヒートによる濃密な白煙が立ち昇っている。
網膜ディスプレイには、処理しきれない無数のエラーコードが、まるで血の涙のようにとめどなく流れ落ち続けていた。
無実の市民を自らの手で肉塊に変えたその瞬間、完全な機械であったはずの彼は、皮肉にも、最も苦痛に満ちた「人間」として産声を上げつつあった。




