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鋼の狂犬  作者: 八咫 日本


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25/101

第25話 焦燥の傀儡

 国家治安維持局の最上階。豪奢な局長室は、今や一人の男のヒステリックな絶叫によって、ひどく息の詰まる空間へと成り下がっていた。

「戌亥クン! このままじゃアカンわ! アカンて!」

高級なシルクのハンカチで滝のような脂汗を拭いながら、局長の木下英雄は通信コンソールに向かってわめき散らしていた。エリート気取りの柴田率いる軍の部隊『金剛』に手柄を連続で奪われ、彼の精神は限界に達しつつあった。

「あの柴田のスカした野郎、軍の火力ばっかり見せつけおって! このままじゃ、総裁閣下のわしへの評価が下がっちまうがね! わしが用済みになっちまうだわ!」

木下は保身と焦燥のあまり、完全に尾張訛りを丸出しにしてコンソールをバンバンと叩き叩く。

「ええか、軍の連中より先に、掴んだファントム・スレッドの拠点を押さえるんだわ! しかも幹部を絶対に『生け捕り』だ! 治安維持局の……いや、わしの有能さを総裁閣下に証明してちょーよ! ええな、死体じゃ意味がないがね!」

完全な無茶振りだった。敵の重武装拠点への単独突入、しかも軍に先んじての生け捕り。だが、通信の向こう側にいる鋼鉄の猟犬は、主人の醜い泣き言にいささかの感情も動かすことなく、「……了解した」とだけ短く返し、通信を切った。

目標座標は、下層区の放棄された旧地下浄水施設。

戌亥迅は単騎で暗闇の施設内へと踏み込んだ。網膜ディスプレイが、施設の中央付近に微弱な生体反応を複数捉えている。生け捕りの対象だ。

だが、戌亥が円筒形の巨大な空間の中央に足を踏み入れた瞬間、背後の分厚い隔壁が凄まじい音を立てて落下し、完全にロックされた。

同時に、空間の四方から強烈なサーチライトが点灯し、無機質な電子音が鳴り響く。

『――侵入者を検知。防衛シーケンスを起動します』

罠だった。それも、CIAの特務サイボーグ・エイダが、後手に回って焦る治安維持局の行動を完璧に予測して仕掛けた、無人の殺戮トラップ。

足元のコンクリートを這うように、無数の爆導索(ばくどうさく)が一斉に起爆する。

凄まじい爆炎と衝撃波が戌亥の巨体を跳ね上げ、装甲を激しく打ち据えた。さらに、周囲の壁面から無数の高周波レーザー網が格子状に展開し、逃げ場のない「光の檻」となって戌亥へと迫り来る。

生け捕るべきスパイなど、最初からいなかったのだ。

回避スペースはゼロ。レーザー網に触れれば、いかに鉄鋼マシーナリーのチタン合金といえど、サイコロ状に切り刻まれる。

「……痛覚回路、完全遮断。システムリミッター、全解除」

絶体絶命の死地にあって、戌亥の選択はハッキングによる解除でも、回避行動でもなかった。

ヤタガラスをホルスターに収め、両腕で顔面の中枢ユニットと胸部の動力炉だけを庇うようにクロスさせると、戌亥は自ら迫り来るレーザーの網目の中へと歩みを進めた。

ジリッ……ジュウゥゥゥゥッ!!

光の刃が銀色の装甲を焼き切り、内部の人工筋肉の繊維をドロドロに溶かしていく。

合成血液が瞬時に沸騰し、凄まじい異臭と紫煙が空間に充満した。

通常であればショック死するほどの致命的な損傷。だが、痛覚を遮断し、ひたすらに歩みを止めない戌亥の「力技」の前に、繊細な殺戮の檻は押し潰されていく。

足元で次々と爆導索が炸裂し、両脚の装甲を吹き飛ばす。

それでも戌亥は、火花を散らす銀色の骨格を剥き出しにしながら、ズズッ……ズズッ……と重い足を引きずり、一歩、また一歩と強引に前進を続けた。

美しい計算式など何一つない。ただ、己の身を削り、泥水をすするような執念だけで罠を食い破る、野良犬の圧倒的なタフネス。

ついにレーザー網の発生源であるメインコンソールに辿り着いた戌亥は、焼けただれた右腕のパイルバンカーを無造作に叩き込み、施設全体の動力を物理的に粉砕した。

火花が散り、すべての光と爆音が消え去る。

静寂を取り戻した浄水施設の中央には、全身から煙を上げ、右半身の装甲の大半を失った戌亥だけが一人佇んでいた。

『……戌亥クン! 戌亥クン! どうなった! スパイは捕まえたか!?』

通信機から、木下の耳障りな声が焦燥を響かせて喚いている。

戌亥は自身の半壊した身体を一瞥することもなく、ダミーの発信機だけが転がる無人の空間を見つめた。

権力者の保身のために踊らされ、無惨に身を削られた完璧な機械。彼の網膜ディスプレイの奥底には、またしても一瞬だけ、原因不明のノイズが微かに明滅していた。

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