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鋼の狂犬  作者: 八咫 日本


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19/22

第19話:真なる脅威の気配

 血と硝煙、そして微かに焦げた肉の臭いが、旧地下鉄網の最深部に重く滞留していた。

数十名に及んだ海外工作員の精鋭部隊は、もはや原型を留める者すら一人もいない。ただの赤黒い肉塊とひしゃげた鉄屑の山に成り果てていた。

その地獄絵図の中央で、部隊長である男だけが、両脚を砕かれた状態で壁際に追い詰められていた。

ゆっくりと、だが確実に死の足音を響かせて迫り来る鋼鉄の猟犬。戌亥の網膜ディスプレイは、男の生体反応が極めて低下していることを冷徹に数値化している。

ヤタガラスの巨大な銃口が、男の眉間へと正確に狙いを定めた。

「……クッ、ハハハ……ッ」

死を目前にした部隊長は、血泡を吹きながら狂気じみた笑い声を上げた。彼もまた、己の命などとうの昔に任務の天秤から下ろしている本物のプロフェッショナルだった。

「化け物め……。ここを潰して、勝ったつもりか……?」

戌亥は答えない。尋問プログラムは起動していない。引き金にかけた指に、ミリ単位の圧力が加わるだけだ。

「哀れな犬だ。お前はただ、骨に群がっただけ……。我々という『囮』にな」

男は歪んだ笑みを極限まで深め、新京の絶対的な絶望を予言するように言い放った。

「本命の『幻影ファントム』は、すでに中枢を喰い破っているぞ」

言葉が終わるか終わらないかの瞬間、轟音が地下空間を切り裂いた。

ヤタガラスから放たれた20ミリ徹甲弾が、部隊長の頭部を跡形もなく吹き飛ばす。血飛沫が壁を赤黒く染め上げ、男の首なし死体が崩れ落ちた。

「任務完了。対象の完全排除を確認」

戌亥は抑揚のない声でシステムに報告し、銃を下ろした。

――その直後だった。戌亥の網膜ディスプレイが、突如として真っ赤な警告色に染め上げられた。

一方その頃、新京の地上、国家治安維持局の最上階。

豪奢な局長室は、かつてないパニックに包まれていた。

「……なんじゃと? 官邸のメインサーバーに、正体不明のハッキングじゃと?」

局長の木下英雄は、報告に駆け込んできた青ざめた部下を見下ろし、ピクリと眉を動かした。普段は人懐っこい笑みを絶やさず、中卒から這い上がった苦労人として振る舞う彼の顔から、スッと表情が抜け落ちる。

「第一防壁から第三防壁まで、すでに突破されています! 未知のテクノロジーです、我々のサイバー班では足止めすら……ッ!」

「ふざけるなァッ!!」

木下の怒号が響き渡り、手元にあった純金製の灰皿が部下の顔面に向かって全力で投げつけられた。鈍い音を立てて部下が床に倒れ込むが、木下は狂ったようにその腹を何度も蹴り上げた。

「目ぇ腐っとるんかお前ら! わしの……いや、犬養総裁のいらっしゃる神聖な官邸だわ! そこにどこの馬の骨とも分からんネズミが入り込んどるっちゅうんか!? ええい、どいつもこいつも役立たずばかりだわ! 給料泥棒が!」

普段の愛嬌のある訛りはそのままに、底知れぬ残忍さと、権力の座を脅かされることへの小物じみた恐怖が顔を覗かせる。木下は血を流してうずくまる部下を跨ぎ、自ら通信コンソールを乱暴に叩き回した。

「鴉! 暗部の連中は何をしとる! ええい、オペレーターは退け! わしが直接話すがね!」

旧地下鉄網の暗闇に立つ戌亥の聴覚センサーに、正規の指揮系統である東雲班長を完全にすっ飛ばし、国家治安機構のトップである木下の悲鳴じみた声が直接割り込んできた。

『戌亥! 戌亥クンはおるか!? えらいことだわ!』

通信回線の向こうで、局長という雲の上の存在が、なりふり構わずヒステリックにわめき散らしている。

『犬養総裁のいらっしゃる官邸のサーバーが抜かれとるがね! どこの化け物か知らんが、今まさに官邸の奥に入り込んどる! 早く、ウチの最高のワンちゃんの力で、早くなんとかしてちょーよ!』

国家のトップ層が、現場の一兵卒に直接すがりつくという前代未聞の事態。

しかし、上層部の狂乱や、国家中枢の危機という絶望的なスケールに対し、戌亥の感情回路はただの1ミリも揺らがなかった。

焦りも、恐怖も、驚愕すら存在しない。

「……了解した。これより対象の排除に移行する」

戌亥はただ無表情のまま、短くそれだけを返した。

血塗れた手でヤタガラスのシリンダーを弾き出し、空の薬莢を捨てて新しい徹甲弾を無造作に装填する。

暗闇の底で、赤い光学センサーが静かに発光する。猟犬は次なる標的が待つ官邸中枢へと、微塵の迷いもなく重い足を踏み出した。

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