第13話:地下の密約
新京を支える無数のパイプラインと、旧時代の遺物が複雑に絡み合う地下廃棄ルート。陽の光が永遠に届かないその暗域を、戌亥は単騎で降下していた。
網膜ディスプレイには、先ほど物理的に抽出したばかりの座標データが緑色の光点で明滅している。
広大な地下空洞の一角、廃棄された中継ステーションの跡地。
そこには、重苦しい湿気の中で密かに交わされる、二つの異なる勢力の姿があった。
一方は、旧式ながらも極めて入念に手入れされた軍装を纏う男たち。彼らの腕には、東京事変で死絶したはずの旧東京ナイトオウルのエンブレムがある。その顔には、長年の地下潜伏で培われた疲労と、国家に対する決して消えることのないどす黒い怨念が張り付いていた。
対するもう一方は、輪郭すら周囲の暗闇に溶け込みかけている異質な存在だった。最新鋭の光学迷彩コートを羽織り、一切の体温と感情を排した冷酷なプロフェッショナル。西側諸国から新京へ潜入した、高度な訓練を受けた海外工作員だ。
怨念で結ばれた亡霊と、冷徹なる任務で動く幻影。
彼らは物資を積んだコンテナを挟み、新京中枢の防壁突破に関する情報データの受け渡しを行っていた。
普通であれば、この国家の根幹を揺るがす密約の全貌を掴むため、音声データを収集し、彼らの背後関係を慎重に探るだろう。
だが、戌亥のシステムには「尋問」や「潜入捜査」といったプロセスは存在しない。
彼に下された基本プログラムは、新京の法に反する不確定要素の物理的排除。それだけだ。
交渉の場に、一切の警告もなく致死の轟音が響き渡った。
暗闇を切り裂くようなマズルフラッシュ。戌亥の右腕で吼えた大口径対装甲拳銃『ヤタガラス』から放たれた20ミリ口径の徹甲弾が、コンテナの陰に立っていた残党の一人の上半身を、まるで脆い果実のように粉砕した。
赤い飛沫が湿った空気に散乱する。
「鴉だ! 迎撃しろォッ!」
残党のリーダー格が血走った目で絶叫した。
その瞬間、彼らは長年の潜伏で築き上げた地の利を活かし、即座に散開した。足元に張り巡らされたトラップが一斉に起動する。戌亥の頭上から数トンもの鉄骨の残骸が降り注ぎ、同時に高圧電流を帯びたワイヤーネットが死角から射出された。
さらに、海外工作員は一言も発することなく、その姿を完全に空間へと溶け込ませた。光学迷彩によるステルス。そして、戌亥の背後、熱源探知の死角から円筒形のデバイスが静かに転がってくる。
閃光と衝撃。EMP(電磁パルス)手榴弾の直撃。
戌亥の巨体が激しく痙攣し、装甲の隙間から青白いスパークが噴き出す。義体の駆動系に深刻なエラーコードが滝のように流れ、視界が激しいノイズに塗れた。
「今だ! 関の仇を討てェッ!」
残党たちが一斉に遮蔽物から身を乗り出し、旧式のアサルトライフルからありったけの銃弾を浴びせかける。火花が散り、戌亥の堅牢な装甲が削り取られていく。
怨念による面制圧と、スパイによる冷徹なシステム破壊。感情と理性が完全に役割を分担した、極めて厄介で高度な連携戦術だった。
だが、彼らは致命的な計算違いをしていた。
彼らが相対しているのは、システムダウンの恐怖や痛みに怯む「人間」ではないということだ。
バチバチと火花を散らす戌亥の身体が、システムのエラーを無視して強引に前傾姿勢をとった。
常識的な安全装置を物理的に焼き切り、鉄鋼マシーナリーの高出力人工筋肉が異常な駆動音を上げる。
「な、動くのか……化け物めッ!」
残党の悲鳴にも似た銃撃の中、戌亥は飛来する高圧電流ネットを左腕で強引に引き千切った。掌が焼け焦げ、内部の人工繊維が露出するが、彼の歩みは止まらない。
戌亥は最も火力の集中しているコンテナの裏へと跳躍した。
圧倒的な質量が着地と同時にコンクリートを砕く。
戌亥は右腕の肘から先を展開させ、残党が隠れるコンテナそのものに向かって、零式・重圧粉砕腕を叩き込んだ。
ズガァァァァンッ!!
超高圧の火薬カートリッジが炸裂。極太の鋼鉄杭が厚い鋼鉄の壁を容易く貫通し、その後ろに隠れていた残党二名を、コンテナの破片もろともミンチに変えた。
悲鳴が上がる間もない。戌亥は即座に振り返り、背後の暗闇に向けてヤタガラスの引き金を二度引いた。
何もない空間から、鮮血が噴き出す。
光学迷彩で回り込もうとしていた海外工作員の左腕と右脚が、徹甲弾によって根元から吹き飛ばされていた。ステルスが解除され、工作員が苦悶の表情で床に転げ回る。
どれほど高度な偽装を施そうとも、戌亥の演算機能が弾道と気流の僅かな変化から、次の最適座標をすでに割り出していたのだ。
「化け物が……俺たちは、まだ……!」
残党の最後の一人が、半狂乱になってEMPナイフを片手に戌亥の懐へ飛び込んでくる。彼の中にあるのは、死を恐れぬ狂信と、亡きリーダー・関への底知れない忠誠心だけだ。
しかし戌亥は、その怨念に満ちた刃を避けることすらせず、自らの胸部装甲で受け止めた。火花が散るが、致命傷には程遠い。
戌亥は無表情のまま、男の顔面を巨大な左手で鷲掴みにした。
「標的の排除を完了する」
氷のように冷たい宣告。そのままコンクリートの床へと男の頭部を叩きつけ、物理的に沈黙させた。
頭蓋が砕ける鈍い音が、地下空洞に空しく響き渡る。
戦闘開始から数分。凄惨な殺戮劇が終わった。
周囲に残されたのは、原型を留めない肉塊と、壁を真っ赤に染め上げた血の跡だけだ。
火花を散らす戌亥のシステムは、損傷率28パーセントを報告していた。だが彼の感情回路は依然として凪いだままである。
戌亥は血に染まった左手でヤタガラスのシリンダーを回し、部屋の隅で虫の息となっている海外工作員へと、ゆっくりと歩み寄っていった。




