第12話:粛清の記憶
酸性の人工雨が降り注ぐ廃棄プラントの最深部。硝煙と血、そして内臓の破裂した生臭い悪臭が、密閉された空間に重く滞留していた。
戌亥は血の海に沈む六つの肉塊を一瞥し、一切の感情を交えることなくシステムへ状況終了のシグナルを送信した。彼の関心はすでに、足元で完全に事切れているテロリストの遺体へと移っている。
彼らが何者であるか。旧東京ナイトオウルの残党がなぜこの新京に潜り込めたのか。
そのような政治的、あるいは感傷的な謎に対する興味は、国家の最高位執行官たる「鴉」の思考プロセスには存在しない。必要なのは、彼らがどこから来て、次にどこへ向かう予定だったのかという物理的な座標データだけだ。
戌亥は無造作に身をかがめると、頭部を防弾ヘルメットごと吹き飛ばされたリーダー格の首筋へ、鋼鉄の指を突き立てた。
肉と頸椎を乱暴に掻き分け、延髄の奥底に埋め込まれていた小指の先ほどの生体メモリーチップを物理的に引き抜く。血液と脳髄液に塗れたそれを、自らの右腕に備えられた装甲のデータスロットへ直接ねじ込んだ。
直後、戌亥の網膜ディスプレイに凄まじい量のノイズが走る。
強固なプロテクトが施された暗号化データ。しかし、治安維持局のメインフレームと常時接続されている戌亥の演算能力は、旧式の暗号など数秒で食い破った。
視界が強制的に切り替わる。
それは、今まさにチップから引きずり出された、死者の脳髄にこびりついていた強烈な「記憶のログ」だった。
視覚データが展開される。
そこは、完全に管理された無菌状態のユートピアである「新京」ではなかった。
空はどんよりと鉛色に濁り、本物の酸性雨が降り注ぎ、無秩序なネオンサインと違法建築のビル群がひしめき合う雑多な都市。旧首都、東京。新京が建都される前、政権交代期の混沌に包まれていた時代の風景だ。
記憶の主は、崩れかけたビルの瓦礫の陰に身を潜め、極限の恐怖に震えながら「その光景」を監視していた。
燃え盛る市街地。道路を埋め尽くすのは、漆黒の軍服に身を包んだ党親衛隊の部隊だった。
彼らの包囲網の中心には、旧式の防弾チョッキと貧弱な軽火器を手にした数十人の若者たちがいた。彼らの腕には、夜空を羽ばたくフクロウのエンブレムが刻まれている。
犬養旭弘がまだ一介の学生であった頃に創設し、街の治安維持のために命を懸けてきた誇り高きボランティア団体、東京ナイトオウル。
しかし、かつて英雄と讃えられた彼らは今、国家の「異物」として壁際に追いつめられていた。
「撃て。一匹残らず掃討しろ。犬養総裁の輝かしい新国家に、この程度のゴミどもは不要だ」
親衛隊の陣頭で冷酷な号令を下したのは、まだ若く、野心に満ちた表情を浮かべる木下英雄だった。彼の唇の端には、弱者を蹂躙することに対する嗜虐的な笑みが浮かんでいる。
乾いた銃声が連続して響き渡る。
反逆者として認定されたナイトオウルのメンバーたちは、抵抗する間もなく次々と射殺されていく。防弾チョッキごと胸を撃ち抜かれ、頭を吹き飛ばされ、血だまりの中に折り重なっていくかつての仲間たち。
記憶の主の心拍数が跳ね上がり、呼吸が過呼吸のように乱れるのが、データを通じて戌亥の神経系へ生々しく伝わってくる。
「ふざけるなッ! 俺たちは、お前の理想を信じていたんだぞ、犬養ァァァッ!」
地獄絵図と化した市街地の中央で、血反吐を吐きながら絶叫する男がいた。
東京ナイトオウルの絶対的リーダー、関。
犬養の若き日の理想を共に語り合い、彼を政治の世界へと押し上げるために裏から支え続けた無二の親友。その関の顔は今、絶望と怒り、そして信じていた友に裏切られたという凄まじい悲哀で歪みきっていた。
関は手にしたカスタムライフルを乱射し、数人の親衛隊員を道連れにする。
しかし、国家の意思は一個人の抵抗など容易くすり潰す。
木下の背後から、重低音を響かせて巨大な影が進み出てきた。対テロ鎮圧用に投入された、自衛軍の多脚歩行型装甲車だった。
「これで終わりだ、旧時代の亡霊ども」
装甲車の側面に装備された20ミリ・ガトリング砲が、ゆっくりと関へ向けられる。
関は逃げなかった。ただ真っ直ぐに、遠く離れた安全圏にいるであろう、かつての友の名を叫び続けた。
「見ているか、犬養! これがお前の創りたかった国か! これが……ッ!」
轟音。
毎分六千発の徹甲弾の嵐が、関の肉体を容赦なく削り取った。
腕が吹き飛び、足が千切れ、胴体が原型をとどめない挽肉へと変わっていく。友の裏切りに対する怨嗟の叫びは、圧倒的な暴力の前にかき消され、ただの赤い飛沫となってアスファルトを染め上げた。
組織の壊滅。指導者の凄惨な死。
記憶の主が感じた、発狂しそうなほどの恐怖と、国家に対する決して消えることのない無限の憎悪。
その重く、黒く、焼け付くような感情のデータが、奔流となって戌亥の脳髄へと叩き込まれた。
通常であれば、脳を焼き切られかねないほどの情動の嵐。なぜ彼らが新京を憎むのか。なぜ海外のスパイに魂を売ってでも、この狂った国家体制を崩壊させようとするのか。
その悲壮な覚悟と大義の重さに、人間であれば一抹の同情やためらいを抱かずにはいられないだろう。
だが、戌亥の感情回路は、ただの1ミリ、ただの1マイクロ秒すら揺れ動かなかった。
網膜ディスプレイの隅で、感情データのオーバーフローを警告するインジケーターが点滅する。
戌亥は瞬き一つせず、氷のように冷たい思考でシステムに命令を下した。
「検索完了。不要な情動データ(ノイズ)をすべて削除。目的の座標情報のみを抽出」
彼にとって、関の死の悲劇も、友を裏切った国家の非道も、単なるシステム上の「不要なログ」に過ぎない。悲しみも怒りも、すべては目的の足枷となるバグだ。
ザザッ……という電子音とともに、視界を覆っていた旧東京の凄惨な映像がクリアに消去され、現在地である新京の暗い廃棄プラントの光景が戻ってくる。
網膜ディスプレイの中央には、記憶の中から抽出されたただ一つの情報、地下廃棄ルートを経由した「海外工作員との合流地点」の座標だけが、緑色の光で正確に表示されていた。
戌亥は腕のデータスロットから血まみれのチップを引き抜くと、それを親指と人差し指の間に挟み、メキッと音を立てて粉砕した。
過去などどうでもいい。大義など知る由もない。
彼らにどんなドラマがあろうと、国家の意思に反する者はすべて物理的に排除する。それが、鉄鋼マシーナリーとして蘇生した「猟犬」の唯一の存在理由だった。
戌亥は愛機である大型拳銃「ヤタガラス」のシリンダーを無造作に確認すると、一切の迷いを含まない足取りで、さらに深く続くプラントの地下空間へと歩みを進めた。
次なる標的が待つ、密約の闇へと向かって。




