第四話 誘拐の目的
「ようやく本来のあなたに会えて嬉しいです」
彼は自分のスーツが濡れるのも厭わずに私を抱き締めると、唇で頬に触れてきた。
バスルームで男女がふたりきり、しかも女性は肌けた格好で男性の好きにされるがまま。
通常であれば、恋人同士の甘くとろける時間が始まりそうなところだが、今はそのような愛し合う状況とはかけ離れていた。
キスを避けようにも身体の自由を奪われていてまともに抵抗ができないし、何より目の前の男性は知らない人である。
——誘拐されたという異常事態。
「申し遅れました。僕はアンドレア・ガブリエーレと申します。あなたは先ほどから目的を知りたがっていましたよね。目的はひとつだけ」
物腰はとても柔らかで、物語にでてくる王子様のような容貌だけれど、きっと彼は穏やかで美しいだけの人ではない。近付いてはいけない危険な香りがするのだ。
「あなたには僕と結婚していただきます」
なぜ、そう思うのかと問われれば、ただの直感としか答えられない。魅力的な笑顔でさえ彼の計算上の産物で、物事や周囲の人物を自分の思い通りに動かそうとしている気がした。
「はい、喜んで——なんて答えるわけないでしょう。あなたと私が結婚ですって!? ふざけないで」
そんな得体のしれない誘拐犯に妻になれと言われて、是と応えるわけがない。バスルームの壁と彼の腕に囚われた狭い空間であっても、従順な態度をとるのは癪に触る。
「いい加減に離し、てよっ!」
拳ひとつ分ほど先にある眉間に向けて、頭突きを繰り出した。
「ア"ッ!?」
——どうだ、私の石頭は!
壁ドンが仇になったのか、もしくは頭突きされるとは全く予測していなかったのか、咄嗟に避けきれなかった彼は患部を手で押さえて悶えている。薄らと涙目になっているので痛む場所にクリティカルヒットしたらしい。
「ってえ…………僕は気が強い女性は好きですよ」
「私は束縛する男性は嫌いですね」
「すっかり嫌われてしまったようだ」
「むしろ、どこに好かれる要素があったとお思いなの」
「では、これから好きになっていただくということで。まずは婚約しましょうか」
結婚の約束などするつもりはない、と反論しようとしたところで後頸部に衝撃を感じて「な、に……」意識が遠のいていく。
「手荒な真似をして申し訳ありません」
耳元での囁きは最後まで聞こえることはなく「準備に時間が必要なので眠っ——」中途半端に途切れてしまった。




