第6話 俺を憎んでくれ
砦についてからのディーナは、一言も喋ろうとはしなかった。本当に一声も上げないのだ。
散々に恨み言を聞かされるであろうと覚悟していたのに、俺の予想は大きく裏切られた。
何故、何も言わないのか。不思議でならなかった。詰られて当然のことをしたというのに。
二人きりになり、俺は愛を告白した。
大熊には似合わぬと知りつつも、切々と想いを言葉に紡いだ。俺を受け入れる気になるまでは指一本触れず待つとも言った。
「森で会ったあの日から、女はお前しか見えなくなった。こんなことは初めてだ……」
彼女は何も答えない。
ただ、静かに聞いているだけだった。攫ったときに見せた激しい怒りの表情も見せない。
罵倒されるだろうと身構えていた俺は、思わぬ反応に当惑した。
次の日、ブロンズ細工の首飾りを贈った。
火の塚のリーの妻が、代々身に付けてきたトルクだ。
俺がいつも身に付けているリーの証のトルクと対になったものだ。
そして、心から詫びた。
彼女の沈黙は謝罪を求めてのことだろう。もっともだと思ったからこそ、俺は詫びたのだ。
「激情に駆られて、お前の一族を殺してしまった。すまなかった。彼らが、お前を取り戻しにくるのではないかと……」
今思えば、あの者どもが武器を手に乗り込んでくることなどあり得なかったと分かる。
誰一人として、反撃する者はいなかったのだから。
戦を否定する彼らは、怯えて逃げまどっても、石の一つも投げなかったのだ。
「まさか……あそこまで無抵抗に死んでゆくとは思いもしなかった……すまない」
だが、それでも彼女は何も言わなかった。俺の言葉を受け入れもしなければ、拒絶もしない。
悲しみをたたえた瞳で、俺を見つめるだけだった。
俺はますます困惑した。彼女が何を考えているのか全く解らないのだ。
言葉があっても行き違いが起こるというのに、相手が何も喋らないとなるとどう対応すればいいというのか。
これからは俺の妻として何不自由なく暮らせると語っても、彼女の心は緩まない。
それならばと、貴女の歌は本当に素晴らしいと褒めちぎった。もちろん本心からの言葉だ。
「森で歌っていたあの歌をまた聞かせて欲しい」
すると、彼女の顔は急速に陰ってしまった。
形の良い眉を寄せ、大粒の涙をこぼした。
両手を胸の前で組み、震えていた。
俺は、ハッと息を飲んだ。
あの日、俺に歌を聞かせてしまったせいで一族に死を招いたと、彼女が自分を責めていることに気付いてしまったのだ。
俺の想像以上に、彼女は傷ついていたのだ。
罪悪感でいっぱいになった。
そして、喋らないのは、俺への復讐なのだと悟った瞬間だった。
無理に口を開かせてはならないと思った。
彼女の心が解ほぐれるのを待つしかないのかもしれない。
しかし、ディーナは俺を赦すだろうか。――きっと、赦しはしないだろう。
そして、原因となった自分自身のことも。
それでも、俺は彼女の愛を乞うことをやめられない。
彼女がこれも運命と諦めてくれることを願った。
我ながら、意地汚く、愚かなことだと思う。
俺が贈ったトルクを、ディーナが身に付けることは無かった。
それから一月近くが過ぎた。
相変わらずディーナは何も喋らない。
しかも食事も殆ど摂らず、部屋に篭ったまま外にも出ようとはしないのだった。
俺は日に何度も彼女のもとに赴くのだが、取り付く島もなく、焦りと苛立ちが募るばかりだった。
日に日に彼女は痩せてゆき、このまま消えていなくなってしまうのではないかと不安にかられるのだ。
女ならば誰もが喜びそうな宝飾品を、次々とディーナに与えた。
美しい布地を取り寄せ、彼女のために仕立てた。珍しい草木で部屋を飾った。美しい声で鳴く鳥を与えた。
彼女を慰めるためと思って、あふれるほどの贈り物をした。
だが、何を贈ろうと、何を語ろうと、彼女は悲しげな目をしたまま、じっと窓の外を見つめるのみだった。
「いつまで強情を張るつもりなのだ。素直になりさえすれば、俺は一生お前を大事にする」
俺の忍耐は、早くも限界に近づいていた。
彼女はさらに痩せてゆく。
彼女の復讐は口を閉じることだけでなく、自らを絶対に奪えない存在にしてしまうことなのだろうかと疑いはじめていた。
心が解れるまで見守ろう、受け入れる気になるまでずっと待とう、そう言ったのは彼女が健康であればの話だ。
今にも消えてしまいそうな人間に、我がままを通させる気はなかった。
彼女を失うなど、考えるだけでも恐ろしい。
その日も彼女の部屋を訪れた。
テーブルの上には手付かずのスープの皿が置いてある。もうすっかり冷めてしまっていた。
「スープは暖かいうちに飲むものだ」
俺はスープの皿を彼女の前に突き出す。
今日こそは絶対に飲ませる、そう思っていた。
青白い顔には生気が無い。頬はこけ唇もカサついていた。ディーナは無表情に皿をチラリと見ただけで視線を逸らした。
今日も食事を摂らないつもりかと、俺はカッとなった。
「飲め!!」
怒鳴りつけていた。
ビクリと彼女の肩が震えたが、顔を上げようとしないのを見ると、もう怒りを抑えることができなくなっていた。
「飲めと言っているんだ!」
立ち上がり、彼女の顔を強引に持ち上げて口に皿を押し付けた。スープを流し込もうとするが、ボタボタとこぼれるばかりで、喉を通ることはなかった。
俺はスープを口に含み、そしてディーナの頬をパンッと張った。
よろける彼女を抱きとめて、鼻をつまむ。イヤイヤと首を振るのを押さこみ鼻をふさぎ続けると、呼吸を求めて彼女の口が開いた。
すかさず、舌をねじ込んで口移しでスープを流し込んだ。舌を噛まれても構わない。とにかく一口でも食事を摂らせたかった。
唇を離すと、吐き出せぬように手で口を塞ぎ、ゴクリと彼女の喉が鳴るまで決して離さなかった。
そして、涙をこぼし弱々しくもがくディーナに、もう一度無理やりスープを飲ませる。
「苦しいなら、自分で飲むんだ。今日から毎日だ!」
ディーナは目を潤ませゴフゴフと咽ながら、また首を振った。
もう我慢がならなかった。
彼女の腕を引っ張り、夜具の上に放り投げた。冗談のように軽い身体に、ゾクリと寒気がした。
俺はディーナの服を剥ぎ取った。
唖然とした。
こんなにもやせ細っていたとは。
血色の悪い、あばらの浮いた細い身体。森では輝いていた肌が、見る影もなくくすんでいる。
だが、そうさせたのは俺なのだ。
俺が壊してしまった。
苦しくてたまらない。
なのに愛しさも止まらない。
「憎いなら憎いと言え! 罵れ! 下衆な人殺しと叫べ! 叫べ、ディーナ!」
沈黙を貫かれるよりも、いっそ罵倒されるほうがましだった。彼女に俺の罪を糾弾してほしいのだ。
生きて、俺に怒りをぶつけてほしい。
「俺を責めろ。……頼むから」
彼女は自ら死を引き寄せている。
俺への復讐として、これ以上効果的なものはないだろう。
考えるだけで狂いそうだ。
死なせるものかと、俺はまたスープをディーナの口に流し込んだ。
そのままくちづけを続けた。
顔を背ける彼女を追いかけた。
こんなに憎まれているのに、どうしてディーナを求める思いが止まらないのだろう。
森でディーナを待つうちに、俺は一瞬、美しい幻想を見た。
森の中の小さな小屋。ささやかな暮らし。
傍らでは、ディーナが寄り添い、歌を歌っている。
俺は穏やかに彼女を見つめていた。
あの幻想を、実現させていればよかったのだろうか。
どうすれば、実現できたのか。
「愛している……」
劣情が止まらなかった。
俺は約束を反故にした。
指一本触れぬと誓ったはずだった。
待つと言ったはずだった。
それでも、失う恐怖に勝てなかった。
彼女の顔に絶望が浮かぶ。
だが、その絶望すら手放したくなかった。
そして、彼女はやはり一声も上げなかった。




