第5話 奪ってでも
戦支度をした屈強な部下を引き連れて、俺は月影の谷に入った。
穏便な訪問などでは無いと知らしめ、否やとは決して言わせぬ恫喝を込めての行軍だった。
俺は月影の谷の者たちを前にして、傲然と彼らのリーに上座を明け渡すように要求した。
リーは素直に従った。
俺を高い位置に座らせ、跪いたのだ。使者の要求は撥ね退けたくせに、俺を前にして肝がすくんだかと冷笑を浴びせた。
「俺の望みを叶えろ。この谷の安堵を願うならそれが最善だ」
ひれ伏す月影の谷の一族を見渡すが、ディーナの姿は見えない。
望むものがなんなのか知りながら、隠しているのか。
「ディーナを俺の妻にする。連れて来い」
月影のリーは深々と頭を下げた。
白髪混じりだったが、さほど年をとっているわけでは無さそうだ。ハリのある声で彼は言った。
「グエン殿は、我らの森の神をご存知ですか? 森にはこの地方で一番の巨木がそびえております。我々の父や祖父、曾祖父が生まれる前から生きている木でございます。もしかしたら、人がこの島で暮らすようになる前に誕生したのかもしれません」
彼の言う巨木とは、ディーナが歌を捧げていたあの巨木のことだろう。知っているも何も、何度も訪れその幹を溜息と共にさすったものだ。
だが、今日は木の話をしに来たわけではない。
「その神がなんだと言うのだ」
「巨木に宿る神は、我々におっしゃられたのです。共に生きる森のものたちと調和せよと。我々は狩ります。けれど、必要以上に奪わぬこと。それが神との約束なのです」
リーは、半ばうっとりと話し続けた。
草木も動物も人も、等しく森の共存者。思いやりと調和があれば、森に安寧は続くし、人の魂も救われるのだと。
「欲や争いを捨てることで、我々は神のご加護に守られてきました。グエン殿、貴方も我らの神を信じなされますか? 貴方が我らと共にこの森の調和の中で暮らしてゆかれるならば、神もディーナをお与えになることでしょう」
リーの目は、穏やかだった。だが、俺には見えぬ何かを見ているようで、恐ろしくもある。
そして、言葉が出なかった。
目ばかり大きく開き、リーを見つめる。神を盲信する愚か者に呆れ果てていた。
馬鹿げた話だ。
彼らが信ずる神を俺も信仰するならば、ディーナを妻にやるなどと、ふざけた交換条件だ。
何が調和だ。生き物全てが等しいなどと有り得るはずも無かろうに。
この世は弱肉強食で出来上がっているではないか。
生きる為に必要だからと狩りの言い訳をするなら、俺が戦に賭けるのも一族の命のためなのだ。他の氏族からの脅威から守るためなのだ。
そして、高みを望むのは、人として当然のことだろう。
俺は神など信じない。
ましてや、戦を否定する神の信徒になどなれるわけがない。
俺は四方の王の一角、北の王の座に最も近いところまで来ているのだ。
話にならなかった。
俺は、鞘に収まった剣をガンと地面に突き立てた。
「言いたいことはそれだけか」
「はい。ぜひ、我らと共に森で生きていただきとうございます」
「断る!」
「それでは、ディーナとは縁が無かったということですな」
リーは穏やかに言った。
俺の腹の中に、沸々と怒りが湧いてきた。鞘に手をかけた。
立ち上がりざまに剣を抜き、ブンと風を切って彼の喉に突き付けた。
「戯言はここまでにして、さっさとディーナを差し出してもらおうか」
彼を見下ろし、睨みつける。
俺が歯をむいて凄んで見せても、彼はたじろがなかった。
「剣では何も得ることはできませんぞ」
そう言って穏やかに微笑んだのだ。
俺が本当に刺すとは思っていないのだろうか。
舐められたものだ。
怒りを抑える気が無くなった。
「奪って手に入れれば、それでいい」
「きっと、後悔なさいます」
「後悔するのはお前だ! 波の下の国へ沈むがいい!」
一気に剣を突いた。
月影の谷のリーは、呆気なく背を地面に叩きつけられた。その指がピクピクと痙攣している。
しかし、その顔は恐怖に歪んではいなかった。
まるで憐れむような微笑みを残していた。
ゾッとした。
なぜ、殺した俺のほうが恐怖を感じなければならないのか。
この男は、死んでなお俺を苛つかせる。
リーの体から剣を引き抜き、ブンと血を払う。
「このリーのようになりたくなければ、俺に従え」
俺の前に、青ざめた男が一人進み出てきた。
「我々は戦をしません。武器も持っていません。それでもお切りになりますか?」
俺は上段からの一刀で、その問いに答えた。
赤い飛沫が飛ぶ。
俺は目で合図を送る。戦士達が剣を構えた。
途端に、弾かれたように谷の者達が逃げはじめた。
だが、もう遅い。
応と声を上げて戦士は剣を振るいはじめた。
その様は、戦とは呼べなかった。
予想よりも少ないとはいえ、何十人もの村人を切り伏せていく。
一方的な虐殺と解りつつ、止めることはできなかった。
俺の目はディーナを探していた。逃げ惑う者どもの中に、彼女の姿を必死に探した。
「ディーナ! ディーナ!」
声の限り叫んだ。
部下に、誤って彼女を傷つけられては堪らない。
早く彼女を見つけなければならない。
「ディーナ! 何処だ!」
「……グエン」
か細い声に振り返ると、ついたての陰からディーナが出てきた。
真っ青な顔だった。ブルブルと唇と身体を震わせている。真っ赤になった目からは涙がこぼれていた。祈るように両手を組んで、俺を凝視していた。
「な、なんてことを……」
「ディーナ! ああ、ディーナ。やっと会えた。お前に会いたかった!」
すぐさま駆け寄った。
彼女を見つけた喜びに、俺は思わず抱きしめようとした。
「グエン! そんなことのために貴方は……!」
パンッという音とともに、左頬に痛みを感じた。
さっと後退りディーナが唇を噛んで、俺を睨みつけていた。
その瞳の中に憎悪が揺れているのを俺は見た。
「そうだ。全てはお前に会うためだ。お前を妻にするためだ」
絶対に逃さないという意志を込めて、彼女の腕を掴んだ。そして引き寄せる。
初めからリーを殺そうと思っていたわけではない。
あまりにも思想が違いすぎたのだ。
彼の言葉は、俺の全てを否定していた。
だが、今それを言ったところで、理解はされないだろう。
それよりも、ディーナに俺の妻になるように説得することが先だった。
「なぜ、来なかった。ずっとお前を待った。毎日、森に通ったのだぞ!」
「……貴方には、まだ資格が無かったから。……ああ、そして、もう得ることを放棄してしまった……」
「お前もリーと同じことを言うのか。お前たちの神を信じろと!」
ポロリと涙をこぼして、ディーナは頷く。
「貴方は、花を愛してなどいないでしょう……摘みたいだけ、手に入れたいだけ……だから、会えなかったの……」
悲しげな彼女の顔を見ても、怒りしか湧かなかった。
受け入れ難きを受け入れろというディーナも月影の一族も、一方的でしかない。歩み寄りなどないではないか。
相手を理解しようとしなかったのは、俺だけではないはずだ。
そう思わなければ、立っていられなかった。
ギリギリと奥歯を噛みしめ、拳を突き上げる。
部下たちが俺を注視している。
親指を立てた拳を下に向けた。
「やれ」
動きを止めていた戦士達が、再び雄叫びを上げた。
皆殺しの合図だった。
「やめてーー!!」
俺にすがりつくディーナの悲鳴は、男たちの怒号にたちまちかき消された。
争いを否定する神を信ずる一族は、殆ど抵抗せずにみな死んでいった。神は彼らの命を守りはしなかった。そんな神を信ぜよなどと、よく言えたものだと思う。
彼らがディーナを差し出していれば、こんなことにはならなかったのだ。
欲しいものは、なんとしても手に入れる。それは、俺だけではない。誰もがそうしているではないか。
言い訳じみていると思いつつも、自分を正当化せずにはいられなかった。
彼女の涙に責め立てられているようで、苦しかった。
正しさの基準がどこにあるのか、もう分からなかった。
空は深い藍色に染まっていた。
煌々と光る月が照らす谷の大地は血塗られていた。
血に染まった女にすがって泣くディーナを抱き上げ、砦に帰るべく戦車に乗せた。
「……お、お母さん……みんな……ああ、ごめんなさい……私のせいで……」
嗚咽でかすれる呟きが痛々しかった。
そして、その弱々しい一声が、幾千の刃になって俺の胸を刺す。
御者がムチを振るい、戦車は砂埃を巻き上げて疾走を始めた。
戦車が跳ねる度に、ディーナは外へ飛び出しそうになる。できるだけ衝撃から彼女を守ろうと、俺は身を寄せようとした。
しかし、彼女は涙をはらはらと流しながら、俺に触れさせまいと首を振るのだった。森で見せた可憐な笑顔はそこには無い。燃えるような目で俺を睨んでいた。
それでも無理やり抱き寄せた。
彼女は俺の腕にガリっと爪を立てたが、構わず抱きしめる。
そして、激しく揺さぶられるうちに諦めたのか、彼女は大人しくなった。
「ディーナ……お前に会いたかった」
俺の呟きは、馬の駆ける音と鉄輪の轟音にかき消されて、彼女に届くことはなかっただろう。そして、俺の思いも届いてはいないだろう。
しかし、今、腕の中で大人しくなったように、いつかは受け入れると信じたい。
俺は彼女の一族を殺した。
リーも彼女の親も友人も、月影の谷の一族を一人残らず殺したのだ。復讐者を作らぬために。
そうやって、俺は彼女を手に入れたのだ。




