第4話 恋焦がれて
それからも俺は、毎日森に通い続けた。
待てと言われたが、一体いつまで待てば彼女に会えるというのか。
あの日、抱きしめた柔らかな体が、忘れられなかった。
彼女の柔らかな唇を知ってしまってからは、一層会いたい気持ちが止められなかった。
恋焦がれて眠れぬ夜を何度も過ごし、熱くなる体を冷水を浴びてやり過ごす日々だった。
森の中で一人、惨めに歯噛みしながら、彼女を待っていた。
そして、ついに腹心のダレンに問い詰められてしまった。
敵対氏族に戦の動きがあるのに、一体何をしているのかと彼は言った。
自分でも情けないと思うほどに、何も手がつかないのだ。
周囲を困らせ、不安にさせてしまうほどに。
ダレンは、おおよその想像をつけていたのだろう。
気になる娘がいるのなら、召し出せばよいと言われてしまった。
そして、俺は月影の谷の一族のもとへと使者を送った。
俺は火の塚の族長の名のもとに、ディーナを召し出すように月影の谷の一族に命じた。
できれば、ただの男と女として縁を紡いでいきたかった。
そのために森に通っていた。
だが、会えなくては話にならない。
俺はどうしても彼女に会いたかった。
この島には四方の王がいる。そして、その上には四方の王から選出される上王がいる。
我が火の塚は北の王を連合の盟主と仰いでいるが、俺はいつまでも彼の下にいるつもりはない。今、火の塚は上を目指し勢いを増しているのだ。
この近隣の氏族、火の塚の大熊グエンに逆らえる者などいるはずもなく、弱小の月影の谷の者にしてみれば圧力を感じないわけにはいかないだろう。
これまで、何の繋がりも無かったというのに、何事かと不安を感じるであろうことも想像に難くない。
当然、ディーナも恐れや嫌悪を抱くことと思う。
そうと分かっていても使者を送ったのは、ひとえに、これ以上会えぬ日々を重ねることが耐えられなかったからだ。
恋しい思いと苛立ちが募って、もう限界だと思った。
『我が火の塚の戦勝の宴に、美しき歌姫に花を添えてもらいたい』
その戦は一月以上も前のことだったが、俺はディーナを招く口実としてひねり出したのだった。そして、使者に彼女を連れ帰るようにと強く命じた。
月影の谷のリーは一も二もなく、彼女を俺の下へ送り出すだろうと確信していたのだ。
だが、使者は一人で帰ってきた。
北の王ならいざ知らず、弱小氏族が従わなかったことに、虚を突かれたような驚きを感じた。
使者の言うことには、月影の谷のリーは火の塚の勝利を祝ったものの、ディーナは流行り病に伏せっており、御前に出ることはできぬのでお許しくださいと丁重に断ったのだという。
本当に病なのだろうか。
いや、疑ってはいけない。あの後、伏せってしまったのかもしれないのだから。
翌日、見舞いの品とともに再び使者を送った。
病が癒えたら、火の塚に来るようにと。
自ら彼女を見舞いたいのは山々だが、火の塚のリーとして招いた手前、軽々しく下位の氏族のもとを訪れるわけにはいかなくなっていた。
早くよくなるようにと、滋養によいとされる食べ物と貴重な絹を贈った。
俺は、ただ使者が持ち帰る返答を待つばかりだった。
思うようにはいかないものだと憂鬱にため息をつくのだった。
夕刻になり、使者が帰ってきた。その顔色は悪い。
「……かの歌姫に会うことは叶いませんでした。村人の話によりますと、病身を押して、夜明け前にはいつも巨木に歌を捧げているようです。それ以外は部屋に籠っているのだとか。皆、その身を案じておりました」
「そうか……で、いつになれば、ここに来られるようになると?」
「それは、分からないと……。それから……畏れながら申し上げます。歌姫は、我らの宴に添える花はないと申されたそうで……」
思わず眉を歪めてしまう。
使者は震えながら言った。
「……は、花は森に咲いているので、いつでもご覧くださいと……」
ディーナは、自分を花になぞらえているのだろうか。
無理に摘んでくれるなと。
だが、俺は何度も森に通ったのに、会ってくれなかったではないか。
ぐっと拳を握った。
使者はディーナに贈った品を持ち帰っていた。
月影の谷のリーは、畏れ多いなどと言って見舞いを固辞したというのだ。受け取らぬほうが無礼だというのに。
チッと舌を打つと、周りに控えていた側近たちもざわつきはじめた。軽んじられたという怒りや不快感が、この場に集う者たちにもじわじわと広がってゆく。
俺の足元に跪く使者を見下ろし、ダレンが苦々しく言った。
「月影の谷の一族は田舎者ゆえ、世のことに疎い様子。欲は無くとも道理をわきまえぬ者ばかりのようでございますね。……私の所見ではございますが、グエン様ご所望の歌姫は、恐らく病を得てはいないと思われます」
「……そうか」
俺自身そうではないかと思っていたが、仮病かもしれないと言われると、やはり胸が軋んだ。そんなにも、俺に会いたくないのかと。
ダレンがじっと俺を見つめていた。少々怒りのこもった目をしていた。
「我らを侮っているのやもしれません」
彼が言外に言うことは、力づくで従わせればよい、そういうことだ。
使者にも、無理やりにでも品を置いてくればよいものをと、冷たい視線を送っていた。
ダレンは第一の腹心であり、また武勇の名の高い男だ。リーである俺が軽んじられること、それは彼にとっても屈辱なのだ。
「過ちは誰しもあるもの。しかし、過ちのままにしておくわけにはいきますまい」
「そう急くな、ダレン」
今にも立ち上がって剣を握りそうなダレンの様子に、思わず苦笑してしまう。
見舞いを突き返されたからといって、即、戦を仕掛けるのはいくら何でも短慮というものだ。だが、見過ごすこともできない。
なにより、このままではディーナに会えないのだから。
俺は立ち上がり、跪く使者に命じた。
「もう一度、見舞いを持って谷へ行け」
まだ、仮病だと決まったわけではない。
戦がしたいわけでもない。
ただ、彼女に会いたかった。
「決めた。ならば正式に求婚する。ディーナを我が妻に、火の塚のリーの正妃に迎える。そして、今度こそ連れて帰れ」
「御意」
彼女は嫌がるかもしれない。
会ったのは、二回だけ。
それも、わずかな言葉しか交わしていない男から求婚されても、戸惑うだけだろう。
しかし、それでももう我慢できなかった。彼女に会えぬ日々を、もうこれ以上増やしたくなかったのだ。
無理を通すことは、後で幾重にも詫びよう。
大切にすると誓おう。
妻は、貴女ただ一人だと。
愛妾など置かない。
ディーナを火の塚の女主として遇すると。
本来ならば、このような形で望むべきではない。
彼女の心を置き去りにしていることは、十分に分かっていた。
だが、彼女に会えない時間が、俺を狂わせていた。
水底に沈んでもがき苦しみ、空気を求めるように、俺は彼女を欲していた。
今度こそ彼女に会えると、信じていた。
ここまですれば、もう谷のリーも断れぬはずだと思っていたのだ。
三日空けて使者を送り出し、ディーナに会えるのを心待ちにしていた。
しかし、その思いは打ち砕かれた。
顔面を青く染めた使者が、今俺の足元で額を床に擦り付けている。俺の逆鱗に触れることに怯えて、事の次第を話すこともままならないほど震えていた。
ディーナを連れ帰ることができなかったのだ。
「我らを馬鹿にしているのか……」
ダレンが使者を睨みつけて呟いた。
「月影の弱小氏族ごときが……。グエン様! 思い知らせるべきです!」
気色ばむダレンを制し、俺は使者に話すように言った。
内心では、ダレン同様に怒りに震えていたのだが。
仔細を聞きだすと、かのリーは穏やかに、しかし頑なに拒んだのだと言う。彼女は神に嫁した斎の姫、ゆえに誰とも結婚できないのだと。
怒りより先に、理解できぬ思いが込み上げた。
頬の矢傷に手を当てた。赤く膨らんだ醜い古傷だ。
その傷が、今日はいやに疼く。
「そのような屁理屈が通るものか! 火の塚の正妃の座を何だと思っているんだ。なんたる侮辱……。グエン様、もはや放置しておける問題ではありません。これでは他の氏族への示しがつきません! 北の王を目指すお立場で軽んじられたと知れれば、敵は必ず付け込みます!」
ダレンは怒りに顔を真っ赤にしていた。
俺としても、リーの言うことは納得できなかった。
何が斎の姫だ。還俗させればいいだけのことだ。
今、勢力を伸ばしている俺に歯向かうことは、一族に災いを招くことになると考えなかったのだろうか。
彼らは、想像力が欠如しているらしい。俺が本気で怒るとは、思いもしないのだろう。
俺は立ち上がり、盃を床に叩きつけた。
「今から谷へゆく。付いてこい!」
「はっ!」
ダレンが、勢いよく扉を開いた。
部屋を出てゆく俺の後に、背に剣を携えた歴戦の戦士たちが続いた。
砦の前に、兵が整列した。
出発の合図を待っている。
一方的に妻にするといって、兵を率いて迎えにいく馬鹿は俺くらいだろう。
一体、どうしてしまったんだ、俺は。
どう考えてもおかしい。
それなのに、焦りや怒り、もう二度と会えないのではという恐怖が、俺に悪手を選ばせていた。
落ち着け、頭を冷やせと、何度も心の内で呟くのだった。




