第3話 会いたくて
俺は毎日、森に通った。
ディーナに会いたいと、それだけを考えていた。
だが、彼女は現れない。
それでも、俺は、今日こそはと思いながら森に通い続けた。
俺は火の塚の族長で、民のために働かなければならない。
それなのに、今は何も手につかなかった。
敵対氏族の動向を探ったり、今年の収穫祭で誰がどの氏族と杯を交わすのか探らせたり、手中にした村へ新たな戦士長を送ったり、やることは幾らでもあるというのに。
「グエン様、この頃、どうなされたのですか?」
俺をいつも補佐してくれているダレンが、困り果てた顔でそう言った。
吟遊詩人たちの運んでくる戦の噂は真実なのか、南方の氏族に使者を出そうかと彼は相談に来たのに、俺は生返事ばかりしていた。
「毎日、一体どちらへ行っていらっしゃるのです?」」
不審がられるのも、仕方がない。
昼前に出かけると、日の沈む頃まで帰らないのだから。
「……いや、ちょっとな」
曖昧にごまかして、俺は窓の外の夜空を見上げた。
ディーナに出会ってから、十日以上が過ぎていた。
彼女に会いたいという思いは募っていくばかりだった。
どうして、彼女は会ってくれないのだと、少し恨めしく思い始めてもいた。
今日もまた、俺は森を訪れた。
森の巨木は、一体いつからここに在るのだろう。圧倒的な存在感だった。
両手を広げた大人六人がかりでも、幹を囲むことは難しいのではないだろうか。
その幹にもたれて座った。
ゴツゴツとした樹皮の奥から、不思議な温かさのようなものを感じる。人を超えた何かの気配すらあった。
谷の人々が、神と崇めるのも道理だ。
ディーナは、きっと、この神に歌を捧げに来る。
今日こそ会えると信じ、俺は待った。
耳の奥で、俺がここにいるから来ないのだ、そんな声が響いたが、聞こえないふりをした。
目を瞑っているうちに、少し眠っていたらしい。
不思議な夢を見ていた。
俺は、森の中の小さな小屋に住んでいた。狭い畑を耕し、猟をして暮らしていた。
その隣には、いつもディーナがいた。
なんてことのない、でもとても幸せな夢だった。
現実にはリーである俺が、森の民のような暮らしをする理由もなく、あり得ない夢だ。だが、隣にディーナが居てくれたという、それだけで幸福な気分に浸れた。
しかし、その気持ちもすぐにしぼんでいく。
日が傾き始めていた。
今日も彼女に会えないのかと、じくじくと胸が痛んだ。
会いたい。
会いたい。
ディーナに会いたい。
頭を掻きむしった。気が変になりそうだ。
そのとき、微かな音がした。
小枝を踏む音だと思った。
俺は立ち上がり、音をするほうへと目を向ける。
かさかさと草が擦れる音。
誰かいる。
「……ディーナなのか?」
心臓が激しく鳴っていた。
やっと来てくれたのだろうか。それとも、ほかの人間か、動物か。
俺は立ち上がり、茂みに向かう。
確認せずにはいられない。
いや、きっとディーナなのだと思い、その姿を求めて走った。
隠れることを諦めたのか、前方の葉擦れの音が大きくなる。
俺は懸命に走った。
そして、長い金髪を揺らして走る彼女の後ろ姿を見つけた。
「待ってくれ、ディーナ! 逃げないでくれ!」
やっと見つけた。
なのに、彼女は俺から逃げようとしているなんて。
胸が張り裂けそうだった。
逃がしたくない。
俺は速度を上げ、一気に迫る。
そして、彼女の腕を握った。
振り返ったディーナの目は、不安に揺れていた。
荒い息を吐きながら、彼女の肩に手を置いた。
「……どうして、逃げる?」
ディーナは目を伏せ、小さく首を振った。
どういうことなのかまるで分からない。
何日通っても姿を見せてくれなかったし、ようやく現れたかと思えば逃げ出してしまう。どういうことなのかと問い質したかった。
だがそれよりも、今目の前にディーナがいることが嬉しかった。
ずっと会いたくて会えなかった彼女に、ようやく手が届いたのだ。
「俺から、逃げるな……」
ディーナの肩を引き寄せ、抱きしめていた。
思いの丈をこめて、強く。
全身が熱くて堪らない。
この日をずっと待っていたのだ。
ディーナがいないと、胸の穴は埋まらない。
元は彼女が作った穴なのだから、彼女に埋めてもらわなければ困るのだ。
愛しさに、彼女の頭や髪、背を撫でまわしていた。
壊れてしまいそうな華奢な体を、腕の中に閉じ込めていた。
頬を撫で、そっと耳朶を食み、そして口づけた。
柔らかな感触に、くらくらと眩暈がした。
得も言われぬ快感だった。
どんと強く胸を叩かれた。
ディーナが両手を突っ張って、俺から逃れようとしていた。
「……やめて」
眉をハの字にゆがめて、ディーナがそう言った。
赤く染まった顔の中で、濡れた唇が震えていた。
「すまない……つい。貴女が愛しくて……ずっと会いたかった」
怒った顔さえ愛しくて、いっそ、このまま連れ去りたいと思ってしまう。
ディーナなしでは、俺は生きていけそうになかった。
俺は、懸命に思いを言葉にした。
「ディーナ、俺とちゃんと会ってくれないか。俺は、この縁を将来につなげたい……」
ディーナは深く俯き、何かを悩むように首を振る。
その姿が俺の不安を煽る。
大熊など、彼女には似つかわしくないと分かってはいる。だが、それでも諦められない。会えない間に募った思いは止められなかった。
祈るような気持ちで、彼女の手を握った。
「ディーナ、俺は……」
「……待って」
ようやく顔を上げたとき、ディーナは唇を噛みしめていた。
懸命に堪えていた一雫が、頬を伝っていった。
なぜ泣くのだ。
そんなに俺が嫌なのか。
彼女の涙が俺を刺し、もう言葉を返せなかった。
小さな体が、そっと俺から離れていく。
「……そんな顔、しないで……」
俺の髪についていた葉っぱを、彼女はそっと取ってくれた。
「熊は堂々としているものでしょう?」
泣いているくせに、彼女は無理に微笑む。
そして、後ずさっていく。
どんどん遠ざかっていく。
思わず足が前に出た。
それを、彼女の言葉が止める。
「追わないで……お願い」
切なさで、胸が裂けそうだ。
見送ることしかできなかった。
「……待てばいいんだな。待てば、会ってくれる。そうなんだな?」
遠ざかる彼女が微かに頷いた気がしたが、返事は聞こえなかった。




