73話 嘘からはじまる物語
「あたしは、イギリス・ロンドンの孤児院で育った。親の顔も声も知らなかったし、身体は弱いし、いつも死にたいって思ってた」
ジャズと地下牢のデミヒューマを解放しながら、カナは独り言のように呟く。
「でも、あたしは臆病だから死ななかった。死ぬのが怖かった。周りには見えない化け物は、いつも恨めしそうに人を眺めて。自分も、そうなるのが怖かった」
「オレも、死ぬのが怖くて戦わずに逃げた」
ジャズはカナの意見を肯定する。
「親父もお袋も死んだ。オレは“サバイバー”と戦うことすら避けていた」
死ぬのが、怖いから。
カナは最後の檻を開けた。
デミヒューマは、恐怖で動かない。それでいい。
カナは息を吐く。
今までよりもずっと鋭い目で、ジャズを見つめた。
「どうするんだ? ジャズ」
「………バルハッドを」
その瞬間、何者かの雄叫びが聞こえた。
「カイモ?」
カナは天井を見上げた。
すぐに階段の方へ歩き出そうとして、やめた。
「どうした? 貴様の使い魔だろう」
「カイモは、俺の使い魔じゃない」
カイモは、冒険者のカナの使い魔だった。
小柄で華奢で、美しい少女の使い魔。あの日、気まぐれで演じた少女についてきた、生き物ではない何か。
『ねえ、どうして嘘をついてるの?』
カナは目を見開いた。
「まさか………」
それは、嘘から始まる物語。
イギリス、ロンドン。
テムズ川が街を貫く巨大な街には、ホームレスも多い。
そんなホームレスの一人として生まれ育ったキール・ホワイトはしばらくして孤児院に入ることになった。
孤児院は端的に言うとゴミだめのような場所で、決して清潔ではないし、キールからすればホームレス時代と何ら変わりはなかった。
安心して雨風が凌げるという利点以外はデメリットしかなく、幼稚な年下の赤ん坊の面倒を見るのは少し億劫だった。
キールはよく街に繰り出した。
昔から培った盗みや物乞いの技術で、高価なものや貴重なものを集めて、それを売ってお金にした。
少女の見た目の方が物乞いが成功するから、髪を伸ばしてスカートを履き、『カナ・ブラック』という名前で活動した。
キールは孤児院の大人にバレないように、声質を変える訓練をし、化粧の練習をし、何よりお淑やかに振る舞うよう努力した。
そうやって一歩外に出たら嘘つきだらけのキールは、たくましくも醜く生きていた。
そんなキールは、ある日突然見えるようになった。
確か、よく話すパン屋のおじさんが、“日本”とか言う国の、なんとかという街に行ったという話を聞いた後だ。
もともと、変な気配だの視線だのを感じやすい体質だったからだろうか。
お化けが、見えるようになってしまった。
『嘘つき』
『何もいねぇじゃん』
『どうしたの?』
誰も信じてくれない。
自分だけが、怯えて生きている。
何故、他の者には見えない?
なんで、俺だけ。
キールは街に出ることさえやめた。
臆病な自分が嫌いだった。
そんなある日、手紙が届いた。
知り合いの新聞配達員からだった。
そこには、最近見ないからという心配のメッセージと一緒に人気のサーカス団のチケットが入っていた。
キールは、久しぶりに外に出ることにした。
サーカスは、初めてだった。
一人は心細いが、明るい雰囲気のためか、お化けは見えなかった。
サーカスを見終わって、土産はないかと露店を回った。久しぶりに、孤児院のチビに何かを買って行ってもいい。
そんな高揚した気分だった。
キールはそこで、とあるものを見つけた。
『おじさん、これ、なに?』
『あ? 何もねぇぞ』
『じゃ、貰っていい?』
『早くいけ。気味の悪いガキだな』
【透明な鱗】と、キールは呼んだ。
お化けが見える自分にしか見えないということは、これは、お化けの鱗なのだろうか。
なぜ、こんなところに落ちているのだろうか。
『それ、私の』
突然、声が降ってきた。
キールは振り返るが、誰もいない。
『こっちよ』
ゾクッとした。
ゆっくりと上を見上げる。
骨だらけの、長い、長いお化けだ。
龍のようにも、魚のようにも見える。
歯は鋭く、目とおぼしき場所は赤色に光っている。
まるで、それは。
『お化けの、王様?』
『当たらずとも遠からず、ね』
お化けはクスクスと笑うと、ゆっくりとキールに近づいた。
『名前は?』
『カナ・ブラック』
お化けはじっとキールを見つめた。
『ねえ、どうして嘘をついているの?』
目を見開いた。
何の話だろう? どの、嘘だろう?
『あたしは、嘘なんかついてない』
『でも、見えてない風に振る舞って、自分を偽って生きているじゃない』
『お化けに諭されたくなんかない』
『お化けじゃないわ』
お化けは偉そうに鼻を鳴らす。
『死魚竜よ』
『名前は?』
死魚竜は首を傾げる。
『じゃあ、つけてあげる』
キールはニヤリと笑う。
『カイモ、なんてどう?』
昔、誰かに読んで貰った物語に出てくる女王の名前だ。暴君に代わって国を治めていた。
だが、外国に侵略され女王は国をあけ渡すこととなる。
カイモはゆらゆらと揺れながら、不気味な赤い瞳でキールを見ていた。
『おもしろい、人間ね』
『?』
『あなたの側にいてもいい?』
キールは喉が乾いていくのを感じた。
それは、つまり。
自分を偽り続けるということ。
だが、カイモは知っている。キールしか知らないお化けのいる世界。
一人だと思っていた世界に、もう一人増えるかもしれない。二人なら、何だってできる気がした。
『いいよ?』
カイモは笑った。
その笑顔が悲しそうに見えたのは、きっと気のせいだろう。
その後、“カナ”ははじまりの冒険者として“ダンジョン”に挑むこととなる。
攻略の最中、カイモに聞いたことがある。
『カイモは、ボスの仲間なの?』
『違うわ』
カイモはすぐに答えた。
『あんな奴らと一緒にしないで。私は、ただの王様』
『王様?』
あの時、確かにカイモはこう言ったのではなかったか? 今の今まで、なぜ忘れていたのだろうか?
『私は「本当の」〈暗所街〉の王』
キールはさっと立ち上がった。
「カイモは俺が止める」
カイモはずっと王様だったのだ。
偽りの王に玉座を取られ、常に恨み憎しみ、しかし報復をしてなかったのは、おそらく。
この街が、好きだから。
王が変わることは、街が変わることを意味する。
カイモは街に混乱を招くことを避けたのだろう。
故に、世界を混乱に招いた“ダンジョン”ボスを深く憎んでいた。
カイモも、偽りの何かをずっと演じていた。
彼女の声はキールに向けたものなのだろうか。あれは、自分に言ったのではないのだろうか。
今、彼女の中で何かが壊れたのか。
「俺が止める」
「付き合うよ。俺も、お前が気に入った。名前は?」
キールは息を吸う。
「キール・ブラック。【詐欺師】だ」
《種族:ヒューマン
レベル:--
名前:キール・ブラック
スキル:【傀儡】【死霊疎通】【死霊認知】【解呪】
装備:黒いフード
古い靴
綺麗な髪飾り
【透明な鱗】
テイム:【死魚竜】カイモ
所属:--
足跡:カノン、エクリプス、グエル
称号:【天敵】【挑戦者】【死霊術師】【詐欺師】》
(ようやく、か?)
キールは目の前に佇む骨だけの狼を見上げた。
「お前、“キングウルフ”?」
(そうも呼ばれていたな)
どうやら、記憶が曖昧らしかった。
(オレはグエル。天使の成れの果て)
「見たらわかる」
グエルは口を開いて何かを言おうとしたが、やめた。
何もない空虚な穴は、じっとジャズを見つめている。
ジャズはいきなり一人で会話をはじめたキールを不思議そうな目で見ている。しかし、何かは察しているのか黙っていた。
(人肌脱げたな、死を操る【挑戦者】)
「……………」
(約束通り褒美をやろう)
「約束?」
(貴様は覚えていないだろうな。なにせ、一周目での話だから)
一周目。キールは、決して思い出せないのだろう。
「わかった。早くよこせ」
(もちろんだ)
そのとき、【透明な鱗】が輝いた。




