第16話 総力戦
崩れ落ちた城壁の瓦礫の上に腰掛け、両足をぷらぷらと揺らしながら、『魔人』イルは退屈そうに大きなあくびをした。
「ふぁ……まだぁ?」
視線の先では、黒々とした魔獣の群れが市街地の手前に築かれた土の壁へと群がり、人間たちと泥臭い押し合いを続けている。
城門をぶち抜いてから、もうずいぶんと時間が経つ。だというのに、いまだに町の制圧が終わらないどころか、入り口の防衛線一つ突破できずにいた。
「もう、ほんっと使えないなぁ」
イルは頬杖をつき、心底うんざりしたように唇を尖らせた。
邪魔な不良品の首をもいであげたのに、残った魔獣将たちも結局はただのデクノボウらしい。人間の小賢しい穴掘りに引っかかって、ちっとも前に進めていない。
これじゃあ、帰れないじゃないか。
「しょうがないなぁ。……私が行くよぉ」
よっこいしょ、とイルは瓦礫の上から軽く飛び降りた。
鉄の匂いが立ち込める戦場へ、散歩するかのような気軽な足取りで、ゆっくりと歩き出す。
――――
『グオオオオオオッ!!』
最前線。
死体の山を駆け上がった魔獣が、一体、高い土塁を飛び越えて防衛線の内側へと着地した。
「くそっ、抜かれたぞ!おい、誰かあいつを――!」
「追うな!!」
後方へ走ろうとした兵士の動きを、私――騎士団長ホールは怒号で制止した。
「一匹や二匹抜かれた程度なら、まだ後方の自警団や非戦闘員だけでも対応できる!我らはこの本隊を食い止めることだけに注力せよ!」
抜けた魔獣を追いかければ、その分だけ前線の密度が薄まり、さらなる決壊を招く。
苦渋の決断だった。もはや、町に一切の被害を出さずに守り切るなど不可能な領域に突入している。
魔獣たちの絶え間ない体当たりを受け続け、木材と石材で補強した土塁そのものが、不気味な音を立ててひび割れ始めていた。
限界だ。この臨時防衛線が完全に崩壊するのも、あと数分といったところだろう。
ゼン殿はまだ到着しない。だが、彼が現れるまでの数分を稼ぐのが我々の役目なのだ。
「アトス騎士団、命を惜しむな!!」
私は血塗られた剣を高く掲げ、喉が裂けんばかりの大声で咆哮した。
「もはやこの土塁は保たん! だが、怯えて下がることは許さんぞ! 壁が崩れ落ちた瞬間、こちらから打って出て敵陣へ突撃する!!」
周囲の騎士たちが、覚悟を決めた目で私を見据える。
「雑魚の魔獣などにかまうな! 狙うは群れを統率する『魔獣将』、そして最奥に控える『魔将』の首ただ一つ! 指揮官さえ討ち取れば、奴らはただの獣の群れだ! 被害は出ようとも、町が滅ぶことはない!」
私は、必死に活路を指し示し部下たちを鼓舞する。
「今は、後ろにいる一人でも多くの民の命を残すため、我らはここを死に場所とするのだッ!!」
その覚悟が、兵士たちの瞳に最後の闘志を宿らせる。崩れゆく土塁の前で、我々は死地へと飛び込む瞬間を今か今かと待ち構えた。
――――
「くそっ、どいつもこいつも好き勝手に走り回りやがって……!」
町の中央広場から領主の館へと続く大通り。
避難民の波に押し流されながら、俺は吐き捨てるように悪態をついた。
酒場の賭博で身ぐるみ剥がされた俺たちは、借り物のボロ布を着せられ、非戦闘員としてこき使われていた。
武器も防具もない丸腰の身だ。前線に出ることも叶わず、夜通しスコップを握らされて穴掘りに駆り出された挙句、先ほど防衛線突破の報とともに避難指示が出されたのである。
「ちくしょう……! 前線が抜かれたってんなら、ここにも魔獣が雪崩れ込んでくるぞ!」
「武器さえありゃあな……!」
隣を歩く仲間二人も、悔しそうに拳を握りしめている。
歯がゆい。たまらなく歯がゆかった。
自分の得物がなく、余っている武器もないせいで、非戦闘員扱い。
女子供に混じって尻尾を巻いて逃げることしかできないとはな。
「居たっ!!」
不意に、人の波を逆流するようにして、背後から声が飛んできた。
なんだと振り返った俺たちの前に、大きな麻袋を引きずりながら、肩で息をして立ち止まる小柄な影。
「……あ? なんだ、てめえは」
見覚えのある顔だった。こないだ俺たちがカモにして金を巻き上げていたガキだ。
ガキは俺たちの顔を睨みつけると、何かを葛藤するような、ひどく複雑そうな表情で唇を噛み締めた。そして次の瞬間、引きずっていた麻袋を思い切り俺たちの足元へと投げつけてきたのだ。
ガシャンッ!と、鈍い金属音が石畳に響く。
「こ、これは……!」
袋の口から転がり出たものを見て、俺たちは目を剥いた。
使い慣れた俺の大剣。仲間の革鎧に、手甲。『俺たちの装備品』だった。
「な、なんでこれを……?」
呆然と呟く俺に向かって、ガキは顔を真っ赤にしながら、涙混じりの声で吠え立てた。
「あんたら、強いんだろ!? 少なくとも、荷物持ちしかできない俺なんかより、ずっと強いんだろ!?」
ガキの小さな拳が、小刻みに震えている。
「だったら、こんなところで丸腰で逃げてんじゃねえよ! かっこ悪いままでもいいけど……情けないまま終わるなよ!!」
言いたいことだけを一方的に叫び、ガキが踵を返して走り去ろうとした――まさに、その時だった。
『グルァァァァァッ!!』
突如、路地裏の屋根を蹴り砕き、血走った目をした一匹の魔獣が大通りへと飛び出してきた。
周囲の避難民から悲鳴が上がる。魔獣は一番近くにいた無防備なガキの背中へ、鋭い爪を振り上げて襲いかかった。
「え……っ?」
振り返ったガキの顔が、恐怖に凍りつく。
逃げる間もない。凶悪な爪がその首筋に届こうとした――。
「どけェッ!!」
白刃が、振り下ろされた魔獣の腕を弾き飛ばす。
返す刀で上下真っ二つに両断された巨体が、どす黒い血しぶきを撒き散らしながら石畳へと転がり落ちた。
「は……?あ、え……?」
腰を抜かして尻餅をついたガキの目の前で大剣を振るい、刃の血糊を払って肩へと担ぎ上げた。
馴染んだ鉄の重み。悪くない。
俺は呆然と口を開けているガキの前まで歩み寄ると、そのまま拳を振り上げ――。
ゴツンッ!!
「いっ!?」
ガキの脳天に、特大のゲンコツを一発だけ叩き込んでやった。
「な、何すんだよ!?」
涙目で頭を抱えて抗議してくるガキを見下ろし、俺は忌々しげに鼻を鳴らす。
「むかつくんだよ、クソガキが。ビビって泣きべそかいてたクセに、誰に向かって偉そうに説教してやがる」
「お、俺は……!」
「だいたいな、俺たちを誰だと思ってやがる。『Bランク冒険者』だぞ。こんな雑魚なんざ、寝起きでも斬れるわ」
隣では仲間二人も手早く防具を身につけ、武器を構えてニヤリと笑みを浮かべていた。
「決まりだ。あとでてめえは絶対に〆る。俺たちに生意気な口を利いたことを、骨の髄まで後悔させてやるぜ」
俺はガキに背を向け言い放った。
「そのためにも、てめえが魔獣に食われて死ぬのだけは許さねえ。……さっさと避難してろ!今は俺たちが戦ってやるよ!」
頭を押さえたまま目を輝かせるガキを置き去りにし、俺たち三人は避難民の列を逆流して、咆哮が轟く前線へと向かって駆け出した。
次回!
『ボーイミーツガール!』
※サブタイトルは予定であり、予告なく変更する場合もございます。




