第14話 魔軍
侵攻二日目。
「クソッ! なぜだ、なぜあんな城壁一つ抜けんのだ!」
魔軍の本陣で、魔将が忌々しげに大地を踏み鳴らす。
昨日の手痛い敗北が、魔将の判断を完全に鈍らせていた。下手に本隊を前に出せば、また人間どもの卑劣な罠の餌食になりかねない。結果、今朝から小規模な群れを逐次投入するばかりで、完全に攻めあぐねていたのだ。
「貴様らっ! もっと上手く魔獣を動かさんかっ! 役立たずどもめがっ!」
焦燥に駆られた魔将が、周囲に控える魔獣将たちへ八つ当たり気味に怒号を飛ばす。
「なにしてるぅ?」
突如、張り詰めた戦場の空気にそぐわない、間延びした女の声が背後から響いた。
「なっ……!? い、イル様!?」
振り返った魔将は、そこに音もなく立っていた女、『魔人』イルの姿を見るなり、全身の装甲をガタガタと震わせて平伏した。
「なんでまだ終わってないのぉ?」
イルは首を傾げ、心底不思議そうに尋ねる。
「は、はっ! それが、人間どもの罠に掛かってしまいまして……昨日の斉射で統率役の『魔獣将』も数体やられてしまい、うかつに前へ出られず……!」
必死に弁明する魔将の言葉を、イルはぱちくりと目を瞬かせて聞いていたが、次の瞬間、その顔から表情が消える。
「……は?」
魔人の短い言葉に、魔将の全身が凍りついた。
「だからどうしたの? なんで進まないの? なんで損害なんか気にしてるの? なにそれ? 人間ごっこでもしてるつもり? 君、不良品? 中途半端に知恵なんか与えちゃったから? やっぱりこういう個体差が出ちゃうんだね?」
「っひ!?」
イルは無邪気な笑みを浮かべ直すと、一歩、魔将へと歩み寄った。
「そっか、不良品だったかぁ。じゃあしかたないかぁ」
「す、すぐに! すぐに前進します! 全軍、前し――」
魔将が慌てて立ち上がり、号令を叫び切るよりも早かった。
イルの細い腕が小さく揺らめいたかと思うと、ブチッと鈍い音が響き、魔将の巨大な首が呆気なく胴体からもぎ取られていた。
青い鮮血が噴き上がる中、頭部を失った巨体がドサリと荒野に崩れ落ちる。
イルは手についた血を気にする様子もなく、ポイとその首を放り投げると、周囲で硬直する魔獣将たちへ振り返り、にっこりと微笑んだ。
「じゃあみんな、進もうか?」
その一言を合図に、魔軍全体の動きが変わった。
――――
「……なんだ? 敵の流れが変わったぞ?」
城壁の上から戦況を睨みつけていた私――アトス騎士団長のホールは、思わず眉をひそめた。
今朝から散発的な小部隊の突撃しか繰り返していなかった魔軍が、突如として一つの巨大な黒い塊となり、地鳴りを響かせて一斉に動き出したのだ。
しかも、昨日あれほど警戒して後方に引っ込んでいた『魔獣将』たちまでが、無防備にこちらの射程圏内へと雪崩れ込んでくる。
「好機だ! ……放てっ!!」
私の号令と共に、昨日温存していた鋼の矢と攻撃魔法が、再び豪雨となって魔軍の頭上へ降り注ぐ。
最前列にいた数体の魔獣将がハリネズミとなって絶命するが、後続の魔獣将たちは足を止めない。あろうことか、周囲の魔獣や仲間の死体を強引に肉盾として、前進を続けてきたのだ。
あっという間に距離を詰められ、魔軍の本隊が城壁の真下へと張り付く。
「来るぞ! 壁を登ってくる魔獣を叩き落とせ!」
兵士たちに檄を飛ばすが、直後、信じがたい光景が目に飛び込んできた。
魔獣たちが、壁を登ろうとしないのだ。もはや城壁の上を攻略する気すらなく、ただひたすらに分厚い城門へと、己の肉体を弾丸のように叩きつけ始めたのである。
「……っな!?」
勢いがつきすぎて頭蓋を砕き、首があらぬ方向へ折れ曲がる魔獣。しかし、その後ろから次々と新たな魔獣が突っ込み、死体を踏み越えて体当たりを繰り返す。
「な、なんだこれは……!? おかしいぞ!?」
兵士たちの間からも、動揺の声が上がる。
牙が、爪が、その巨躯のすべてが、ただ固く閉ざされた城門の一点だけを破壊するために消費されていく。生命としての本能すら放棄したかのような決死の突撃に、昨日の勝利の熱気は急速に冷え込み、じわりと底知れぬ恐怖が湧き上がってきた。
「怯むな! 統率している魔獣将を狙え! ありったけの矢と魔法を撃ち尽くせ!」
必死に叫び、城壁の上から一斉射撃を浴びせかける。
さらに数体の魔獣将を仕留めることはできた。だが、その多くは高く積み上がった魔獣の死体の山に阻まれ、致命傷には至らない。
指揮官を失って混乱に陥りかけた魔獣は、即座に周囲の別の魔獣によって食い殺され、文字通りの肉壁として処理されていく。
――これが、本当の魔軍の恐ろしさか。
己の損害など微塵も省みず、ただ数と暴力の奔流で、すべてを物理的にすり潰すためだけに前進してくる血まみれの群体。痛みも恐怖も持たぬ悪夢のような光景に、城壁の兵士たちの顔から血の気が引いていく。
「だ、団長! 大変です!」
階段を駆け上がってきた伝令の兵が、血相を変えて叫んだ。
「城門のカンヌキと鉄枠が曲がり始めました! もう、持ちませんっ!!」
足元の城壁全体が不気味な悲鳴を上げているのが伝わる。もはや限界だった。
「こんな、簡単に……!」
私は奥歯を噛み締め、すぐさま決断を下した。
「……総員、直ちに城壁を放棄し後退せよ! 市街地の防衛線まで下がるぞ!」
だが、ただでこの城壁をくれてやるつもりはない。
「『仕掛け』を作動させろ!」
――――
「ほらぁ、人間相手は歩いてるだけで終わるんだよぉ」
遠くで軋み始めた城門を眺めながら、イルは楽しげにクスクスと笑った。
だが、その直後。
――――ッ!!
黒煙と炎が天高く噴き上がり、数瞬遅れて爆発音が轟いた。
「あれー?」
イルが目を丸くする。
爆煙が晴れると、崩落した城壁の姿があった。人間たちはすでに撤退した後らしく、最前線に群がっていた魔獣たちが、巨大な瓦礫の下敷きとなって圧死している。
城壁そのものがなくなったことで、町の中へ進軍すること自体はできるようになった。
だが、無造作に積み上がった巨大な石材の山と死骸が障害物となり、大軍が一気に雪崩れ込むにはひどく進みにくい地形へと変わってしまっている。
「へぇ? 最後の最後でそういうふうに足止めするんだぁ?」
イルはその美しい顔に、悪辣で残忍な笑みを深く刻み込んだ。
次回!
『ヘルプ オンリー ミー!!』
※サブタイトルは予定であり、予告なく変更する場合もございます。




