第12話 蹂躙
アトスの町の城壁から望む、乾いた荒野。
その小高い丘の上に、五千の軍勢を束ねる『魔将』が仁王立ちしていた。
人間をはるかに超える巨躯。全身の肌は重装甲のように分厚く隆起し、肩や背からは鋭利な結晶めいた外骨格がいくつも突き出している。
魔将は装甲の奥の真っ赤な瞳で、眼下に広がるおびただしい数の影――自らが率いる五千の魔獣の群れを見下ろした。
吐き出される荒い息遣いと飢えた唸り声が重なり合い、大地そのものが不気味に脈動しているかのようだ。
やがて魔将は視線を上げ、荒野の先に広がる田畑と、その奥にそびえるアトスの城壁を睨みつけると、太い右腕をゆっくりと前へ突き出した。視界の先にある人の町を掴むかのように、その拳を固く握り締める。
「――蹂躙だ!」
空気を震わせる咆哮が号令となった。
直後、最前列の数百の魔獣が一斉に雄叫びを上げ、黒き波となって荒野へなだれ込む。
土煙を巻き上げながら疾走する魔獣の群れは、瞬く間に田畑を踏み荒らし、アトスを守る高い城壁へと殺到する。爪を突き立て、重なり合うようにして垂直の壁を駆け上がり、一気に城壁の上へと迫っていく。
しかし、城壁の縁に顔を出した魔獣たちは、待ち構えていた人間の兵士たちによって次々と槍で突かれ、鈍器で頭蓋を打たれては、下へと叩き落とされていった。
「……」
後方から戦況を眺めていた魔将が眉をひそめ、くぐもった唸り声を漏らす。
城壁に取り付いた魔獣たちは、至近距離から撃ち込まれるクロスボウなどによって手傷を負い、内部へ侵入できていない。だが、魔将が違和感を覚えたのはそこではなかった。
――なぜ、遠距離攻撃を仕掛けない?
これほどの大軍が平野を突撃してきているのだ。城壁へ辿り着く前に、弓矢や魔法を降らせて数を減らすのが定石のはず。
だというのに、人間どもは魔獣を壁際ギリギリまで引きつけ、近距離用の矢を放つばかり。
不審に思った魔将は、城壁へと視線を集中させた。遠視によって、魔獣の毛皮にはじかれて地面に落ちたクロスボウの矢を拡大する。
「……クッ、ククク、ハハハハハッ!!」
魔将の喉から嘲笑が漏れた。
矢の先端には、鉄の矢じりすらついていない。ただ木の枝を削って尖らせただけの、あまりにも粗末な代物だった。
――なるほど。戦火とは無縁の辺境ゆえ、強襲の想定すらしていなかったか!
これでは至近距離で撃たねば、魔獣の毛皮すら貫けまい。満足な武具の備蓄もなく、木の枝ごときで必死の抵抗とは。なんと愚かで、哀れな人間どもよ。
魔将は歪な口元を耳まで裂けるほどに吊り上げた。
ちまちまと先遣隊で削るまでもない。今ここで、一気に押し潰してくれるわ!
総突撃の命を下すべく、魔将は右手を高く天へ突き上げた。合図を受け、温存していた本隊と各所の『魔獣将』たちが一斉に前進を開始する。
魔軍の巨大な塊がズルリと前へ踏み出し、城壁の射程圏内へと深く入り込んだ。
――まさに、その時。
空から、風を切る無数の音が降り注ぐ。
見上げた魔将の瞳に映ったのは、おびただしい矢の群れと、攻撃魔法の豪雨だった。
「なっ……!?」
罠だ。そう理解した時には、すでに遅い。
大地を揺らす轟音と共に、魔軍の本隊へ容赦ない十字砲火が叩き込まれた。
魔将は咄嗟に傍らの魔獣の首根っこを鷲掴みにし、引き寄せて盾とする。重く鋭い鋼の矢と火球が、肉盾となった魔獣を蜂の巣に変え、飛び散った血肉が魔将の装甲を赤黒く汚す。
肉盾に突き刺さっているのは、紛れもない本物の鋼の矢。
人間どもめ、謀っていたのか!
「さ、下がらせろ! 一旦退けぇっ!!」
魔獣の死骸を投げ捨てて怒号を飛ばす。
だが、無防備な前進を狙い撃ちにされた被害は甚大だった。見渡せば、群れの統率を担う『魔獣将』までもが、今の斉射で何体も撃ち抜かれ絶命している。
指示を失った魔獣たちがあちこちで暴走を始め、退却しようとする群れと、血の匂いに狂って突撃する群れが激突する。戦場はたちまち、味方同士で踏み潰し合う大混乱の渦へと変わっていった。
「クソがクソがクソがっ! 人間ごときが、小賢しい真似をぉっ!!」
魔将は地団駄を踏んで激昂すると、周囲の魔獣将たちを睨みつけ、唾を飛ばして吠え立てた。
「さっさと暴れる魔獣どもを鎮めよ! 指揮下に入らぬ獣なら、その場で殺せっ!!」
――――
城壁の上から戦場を見下ろしていた私は、握りしめていた拳をゆるめ、深く息を吐き出した。
眼下では、あれほど威勢よく迫っていた五千の魔軍が、砂塵を巻き上げながら波が引くように後退していく。
「……『ミステリアスのゼン』の言った通りになったな」
隣に立つグレイスに声をかけると、彼女は白塗りのままの顔で力強く頷いた。
(……あー、クソ。顔を洗ってこいって言えばよかった)
脳裏に、開戦前の作戦指令室で彼が語った言葉が蘇る。
『魔獣の襲撃くらいなら、この城壁の高さだけで十分対応できるだろ? わざわざ俺が前に出る意味はないよ』
あの時、彼は柔らかい笑顔を崩さぬまま、現場の指揮をすべて私たち騎士団に託してくれた。そして、まるで未来を見てきたかのように、こう付け加えたのだ。
『最初は木の枝でも撃って、矢と魔力を温存しておけばいい。魔軍なんて我慢の利かない獣以下だ。調子に乗って本隊が前に出てきたところへ、虎の子の遠距離攻撃を一気に叩き込めばいいさ』
すべて、彼の描いた絵図の通りだった。
しかも、十倍の兵力差を覆したのはその策だけではない。万が一の切り札として『彼自身が後方に控えている』――その絶対的な安心感が、兵士たちに冷静さと勇気を与えていたのだ。
「――我らは、勝てるっ!!」
私が声を張り上げると、城壁を埋める兵士たちから地鳴りのような歓声が沸き起こった。
援軍到着まで、このまま奴らの猛攻を凌ぎきれば、私たちの勝利だ。
次回!
『妖怪は何度でも現れる!』
※サブタイトルは予定であり、予告なく変更する場合もございます。




