第11話 女の敵、立つ
緊迫する作戦指令室に、見知らぬ若い男が足を踏み入れた。
少年に腕を引かれるまま現れたその男は、鎧を着込んだ我々を前にしても臆する様子すらなく、ただ柔らかい笑みを浮かべている。
……何者だ、この男は?
アトス騎士団長である私は、円卓の奥から険しい目で闖入者を見据えた。
魔軍五千の接近という未曾有の危機に際し、ここは部外者が立ち入っていい場所ではない。
だが、目の前では生真面目なグレイス副団長が、その男に向かって涙ながらに頭を下げているのだ。……狂気の姿のまま。
ああ、もう! 情報が多すぎて頭が追いつかん!
「貴公、一体何者だ? ここは騎士団の作戦指令室だぞ」
威厳を保ちつつ問い詰める私に、男は少し困ったように眉を下げる。
「あー、いや、俺はただの……」
「この方は『金バッジ』の所持者……すなわち、レベル80を超える最高峰の冒険者です!」
男の言葉を遮り、グレイスが凛とした声を張り上げた。
「そうですよね!」
輝くような瞳で振り返るグレイスに、男は気圧されたように目を瞬かせる。
「え? ああ、まあ、確かにそう……」
彼が言い切るよりも早く、グレイスは一歩前へと踏み出し、我々全員を見渡して口を開いた。
「この方は、アトスの窮地を救うため、ここへ駆けつけてくださったのです!」
その宣言に、作戦指令室がざわめく。
「おい、本当か……?」
「このタイミングで騙りはしないだろ」
円卓を囲む騎士たちから、次々といぶかしげな声が上がるが、男は笑顔を崩さずにこちらを観察しているだけだった。
「……失礼ですが、徽章の確認をさせていただいてもよろしいかな?」
私が慎重に尋ねると、男は「きしょう? ……ああ、これか!」と気軽な調子で懐に手を入れ、無造作に一つの徽章――通称・金バッジを取り出して見せた。
室内の燭台の光を吸い込み、鈍く威光を放つ黄金の輝き。
精巧に刻まれたギルドの特殊紋章は、紛れもなく上位冒険者の証明であった。
「……本物だ」
私はすぐに居住まいを正す。
「無礼を詫びよう。して、貴公のお名前は?」
「……ゼン」
男が短く名乗った、その瞬間。
「ゼン……だと!?」
「あの『ミステリアスのゼン』か!?」
「勇者パーティーの『導き手』、あの……!?」
それまで疑念に満ちていた作戦指令室が、一転して驚愕と感嘆の渦に包まれた。『ミステリアス』『導き手』のゼン。
まだ新人だった勇者アークたちを見出し、わずか数年で魔王軍と渡り合う最強のパーティーへと育て上げたとされる、謎多き冒険者。
「まだこのアトスに留まっていたとは!」
「おお……! なんという僥倖か! これは心強い!」
「勇者パーティーの導き手がいれば、五千の魔軍など恐れるに足りんぞ!」
私を含め、騎士団の面々が沸き立つ。つい先ほどまで部屋を支配していた重苦しい絶望感が、嘘のように霧散し、誰もがその瞳に強い希望の光を宿していた。
「勇者パーティーの導き手……ゼン、様……」
隣では、グレイスがうっとりとその名をなぞるように呟いている。
メイクさえなければ絵になっただろうに、なんとも残念な娘だ。
「ゼン殿、厚かましい頼みとは重々承知の上だが……どうか、我々に知恵と力を貸していただきたい!」
私は円卓の地図を示し、現在の絶望的な戦況を手短に説明した。
迫りくる五千の魔獣部隊に対し、我々の常備戦力はわずか五百。援軍到着までの三日間、徹底的な籠城を強いられること――並の冒険者なら、数字を聞いただけで顔面蒼白になり逃げ出すような状況だ。
だが、ゼン殿は地図をちらりと見やっただけで、顎に手を当てて事もなげに言った。
「五千の魔獣部隊ね。ってことは、魔獣将が五十体くらいで、それを束ねる魔将が一体ってところか。ほかは目立つ個体はいないんだよな?」
「は、はい! 斥候の報告によれば、まさにその通りの編成かと……!」
わずかな情報から敵の正確な戦力構造を言い当てられ、報告役の騎士が舌を巻く。するとゼン殿は、拍子抜けしたように肩の力を落とし、呆れたように言った。
「……なんだ、雑魚じゃん」
静まり返る作戦指令室。
十倍の兵力差を前にして、ただの一言、『雑魚』。
そこには虚勢など微塵もない。幾多の死線を潜り抜けてきた強者だけが持つ、絶対的な余裕。
さすがは『勇者パーティーのゼン』だ。言葉の端々から滲み出る底知れぬ実力に、室内の空気は確信めいた熱気へと完全に塗り替えられた――――
――――
「……なんだ、雑魚じゃん」
俺の言葉に、むさ苦しい騎士のおっさんたちが「おおお……!」と感極まったような声を上げる。
あー、焦って損した!
おっさんたちが鬼みたいな形相で怒鳴り合ってるから、魔人クラスが直々に攻めてきたのかと思ったじゃねーか!
魔獣部隊五千?
そんなもん、討伐に1時間もかかんねーよ。
まず、ベルがど真ん中に大型魔法をぶっぱなして散らすだろ。
で、混乱に乗じてアークを単騎で突撃させる。サクッと大将首を取る。これで指揮系統は崩壊して、最後に、逃げ惑う撃ち漏らしをクリスが片っ端から掃討して終わりだ。
あとは広範囲に散らばった魔獣の残党を、ギルドの冒険者や騎士団に任せておけばいい。いつもの魔獣討伐と同じ。
完璧な布陣。いつもの必勝パターンだ。
な!
俺は同意を求めるため、後ろを振り返った。
「…………」
そこには、俺をここまで引っ張ってきた少年フィンがポカンと口を開けて立っているだけで、当然ながら、頼れる仲間たちの姿はどこにもなかった。
あ、そうか。
俺、昨日パーティー追い出されて、この町に置いて行かれたんだった!
「…………」
俺は声も出さず、静かに石造りの壁を見つめ、そのまま視線を天井へと滑らせる。
やけにひび割れが目につく。……お、あのひび割れ、おっぱいに見えるな。
……えっと。
アークも、ベルも、クリスもいないのか。
残っているのは、【遊び人】が一人。
……やべーじゃん。
いや、やばいなんてもんじゃない。
詰んでる。完全に終わってる。
冷や汗が背中を滝のように流れ落ちていく。
ゆっくりと、本当にゆっくりと周りを見渡す。
そこには、俺の一挙手一投足に「希望」を見出し、完全にすがりつくような目を向けてくる騎士団のおっさんや青年たちの顔。
そして、両手を組み合わせ、感動のあまりボロボロと涙をこぼし、潤んだ瞳で俺をじっと見つめてくる妖怪白塗り女子。
……。
俺の心臓が、早鐘のように打ち鳴らされる。
言い出せんよ。
『すいません、今のなし! メンバー全員いないんで、みんなと一緒に死にまーす☆』
……うん、言い出しちゃいかんよ。これは。
こんなキラキラした目で見つめられて、いまさら「実は勇者パーティーを首になった無職の遊び人です☆」なんて白状したら、魔軍に襲われる前に、この部屋の騎士たちにタコ殴りにされ、魔獣の餌にされるだけだ。
「援軍が来る三日持たせればいいだけだろ?」
とりあえず愛想笑いを浮かべ、勝利条件を捻じ曲げておく。
これで三日は生き延びることはできる。後は野となれ山となれだ。
次回!
『無職の生存戦略』
※サブタイトルは予定であり、予告なく変更する場合もございます。




