5-9・水
深夜、目を開ける。俺以外の二人はすっかり寝入っている。
午前零時。俺は部屋を抜け出し台所に向かった。
ぎし、ぎしと床が鳴る。月明りを頼りに、壁伝いに廊下を歩く。
台所の電気を探し当てると、突然の白光に一瞬だけ目が眩んだ。
「……」
棚の中からガラスコップを拝借し、ミネラルウォーターを探して冷蔵庫を開ける。……ない。水道水でもいいかと冷蔵庫を閉めたところで、入口に人の気配。
「!」
振り返ると双子の片割れが立っていた。腰まである髪を低い位置でゆるくお団子にまとめ、上下揃った薄手のパジャマ姿だ。左手には光を放つスマートフォンが握られている。
なんと呼ぶべきか迷った。
その隙に、彼女は音もなく近寄って――よく見ると靴下を履いている。だから足音がしないのか――俺のすぐそばに顔を寄せる。
「どっちだと思います?」
声をひそめて問うた。唇はほんのり弧を描き、大きな瞳が試すように俺を見ている。が、どれだけ間近に見ても双子の区別などできそうになかった。俺は首を横に振る。
「……わからない。君は、美代子さん? 綺代子さん?」
目の前に佇む片割れはからかうようにくすくす笑う。
「本当のところはどちらでもいいの。私たちは『同じ』だから」
ユニークな言い回しだ。双子ジョークだろうか。
彼女は俺のすぐ横を通り抜け、冷蔵庫に歩み寄る。
「お腹がすいてしまったの?」
「あ、いえ……」
言い淀む。無意識のうち、左手に薬を握り込む。
最近、睡眠薬を飲まなければうまく眠れないのだ、などと、この娘に説明する義理はない。
「……喉が渇いて」
「そう?」
彼女は小首をかしげると、今度は棚からガラスコップを取り出した。そのまま水道水を入れ、一口飲んでみせる。
「じゃあ、なんで冷蔵庫を開けたの?」
「……ミネラルウォーターがあるかな、と」
「?」
「いや、なんでもない。いただくよ」
俺も彼女に続いて水を汲む。一口飲むと、思ったより冷たくて美味しかった。
「夜は早く寝なきゃ駄目よ」
双子の片割れはそう言って、水入りのコップを持ったまま台所から出ようとした。
「君は」
やり込められたままなのが悔しくて引き止める。
「君はどうしてこんな時間に?」
彼女は足を止め、少し考えてから右手のコップを掲げた。
「喉が乾いたのよ」
そうして、廊下の奥に消えた。
俺はしばらく廊下を睨んでいたが、階段をのぼっていく小さな足音と気配とが消えると、息を吐いて左手を開いた。
薬でも飲んで、寝るか。
気付くと朝になっていた。
スマホの画面を確認すると、七月第三土曜日、午前七時だとわかる。
起き上がり、頭を押さえる。昨日、薬を飲んでからの記憶がない。夢も見ていない。文字通り、気付くと朝になっていたのだ。
夕食時に酒を飲んだからだろう、いつもより効きが強い。まだ、ぼーっとする。二度寝するか? いや、薬は切れかけだ。二度寝して夢を見ては元も子もない。
最近、夢を見る。あの女の……母親の夢だ。それが嫌だから、薬に頼って眠るのだ。
……そういえば昨日の夜、深夜零時頃だっただろうか。双子のどちらかと会った気がする。わからない。よく、覚えていない。気のせいだったのだろうか。
午前七時半、明崎さんの起きる気配がした。俺もようやく頭がハッキリしてきたところである。
「おはよう、明崎さん」
襖の向こうに声をかけると、もぞもぞ動いたあと襖が開かれる。
「おはようございます……」
目をこすりながら、裸眼の明崎さん。ほどかれた髪の毛は今まで見た中で一番ぼさぼさだ。
「今朝方さんは……?」
「まだ寝てるよ」
今朝方は昨日、十分とたたないうちに寝息を立てていた。うらやましい限りだ。
「顔を洗ってこよう。巴代さんたちもそろそろ起きてるんじゃないかな」
「はい……」
そして洗面台の前に立った明崎さんは、自分の髪の毛がぼさぼさであることに気付くと突然焦り始め、洗面所から俺を追い出し、扉を閉めた状態で支度を始めた。
十五分後、明崎さんはさらさら&つやつやストレートヘア姿で再登場した。
洗面所の使用権を交代してもらい、身支度を整える。
さて、今日も一日、探偵助手だ。
今日の明崎さんは髪を左右に下げて結んでいた。オーバーサイズの白い半袖Tシャツに、昨日と同じオリーブのカーゴパンツ、白い靴下。
俺も昨日と似たような格好だ。代わり映えせず目立たない服装である。……そのつもりである。
午前八時。明崎さんと台所を訪ねると、ちょうど巴代が全員分の朝食を用意しているところだった。
「これ! 運びましょ!」
巴代の指示のもと、明崎さんと俺とでリビングに全員分の朝食を運ぶ。白米、目玉焼き、ウインナー、野菜の和え物に、漬物、佃煮。
階段を降りてくる音がして、双子の片割れがリビングに顔を出した。上下揃った薄手のパジャマに、裸足。腰まである長い髪は起き抜けで少々乱れている。
「綺代子! 美代子は?」
「まだねておきる」
欠伸をする綺代子に、巴代は、美代子も起こしてくるよう指示を出した。
やがて綺代子と同じくパジャマ姿の美代子がリビングにやってきた。その頃には綺代子はすっかり目を醒ましていて、今朝方がまだ寝ていると悟ると「起こしてくるわ」と軽やかに廊下の奥へ消えた。
「はい、いただきます」
「「「いただきます」」」
巴代の号令に全員が朝食へと手を合わせる。
穏やかな朝の食卓には俺、明崎さん、巴代、美代子、綺代子、そして寝起きの今朝方と全員が揃って……
ん?
「あの、巴代さん。菰出さん……都史郎さんは?」
疑問に思い尋ねてみると、巴代は「けーってきてね!」と呆れるような口調で言った。
帰ってきてない? 昨日の夜から、一度も?
「あら、また飲み明かしているのかしら」
「もう、まだ公民館にいるのかしら」
双子も巴代も慣れた様子だが……。
明崎さんに目配せすると、彼女は軽く頷いた。
「綺代子さん、猪俣さんの家に伺う前に、菰出さんを迎えに行きませんか?」
「放っておけばいいのよ、お父さまなんて」
「明ちゃん、猪俣さのとこ行くだかい?」と巴代が横から言う。
明崎さんは巴代に「ええ、まあ」と頷いたあと「お願いします、綺代子さん」と改めて言った。
綺代子は明崎さんではなく、隣に座る片割れをちらと見た。
「私は嫌よ」
「んん……わかったわ」
今の一瞬で面倒を押し付け合う双子たち。
「ありがとうございます。食べ終わったらすぐ行きましょう」
「ええ……んん……わかったわ……」
巴代が「すももがあるじ! 父ちゃんはゆっくりでいいずら」と引き留めるようなことを言うが
「いいえ、すぐにでも様子を見に行きたいんです」
と明崎さん。
「嫌な予感が、するんです」
午前八時四十五分。
綺代子の運転には俺と明崎さんが同行することとなった。まだ寝ぼけている今朝方は美代子と留守番。巴代は家事で忙しい。そういえば、あの老婆……菰出の母親の姿を見ていないが、離れで過ごしているのだったか。リビングにはあまり顔を出さないのかもしれない。
駐車場には双子のコンパクトカーと菰出のセダン、そして今朝方のレンタカーが止まっていた。
「車はこれで全部ですか?」
明崎さんの質問に「そうよ」と綺代子。
「綺代子と美代子はいつも一緒。だから車は一台でいいの」
「みなさんが運転免許を持っているんですか?」
「ええ。じゃなきゃ生活できないわ」
綺代子が運転席に、俺と明崎さんとで後部座席に座る。
「公民館までは車で五分。歩いてなら二、三十分かしら」
綺代子が車を発進させながら説明する。
「たまにあるのよ。飲みすぎて公民館で寝ちゃうこと。布団もあるし、小さいけどお風呂だってあるわ。広々とした大広間を簡単に片づけて、端に布団を敷いて寝るのよ」
明崎さんが「なるほど」と相槌を打つ。
「お父さまを拾ったあと、猪俣さんの家に行けばいいのかしら?」
「どのくらいの距離ですか?」
「公民館からなら、うちよりも猪俣さんの家のほうが近いわ。車で四分、歩いて二十分ね」
「菰出さん以外にも公民館で寝てしまった人はいると思いますか?」
「さあ……どのみち、そろそろ起きてもいいと思うけれど」
などと話しているうちに駐車場に到着する。
霧庫公民館。改めて全体を見ると大きな建物だとわかる。綺代子の言ったとおり、大広間以外にもいくつか部屋がありそうだ。
「ほら、鍵が開いてるわ」
綺代子が公民館の扉を開け放つ。
「お父さま~! 起きてるかしら!?」
綺代子に続いて中に入る。靴入れを確認すると、俺たちのほかには男性物の靴が一足。菰出の履いていたブランド品だ。たしかに公民館に泊まっているらしい。
スリッパに履き替え、大広間に向かう。
「あら……?」
先を歩く綺代子が大広間の入口で立ち止まる。
後ろから中を覗くと、菰出はどこにもいなかった。中央にはテーブルふたつが置きっぱなしになっていて、料理の皿やコップは片づけられているものの、空になった酒瓶がテーブルにも床にも散乱している。が、どうひいき目に見ても布団が敷かれた形跡はない。
綺代子はそのまま大広間に入って、押入れを開けたり、座布団をめくったりした。
「いないわ」
「綺代子さんはここで待っていてください」
明崎さんは俺に向け言った。
「探しましょう。建物の中にいるはずです」
菰出はすぐに見つかった。
公民館内、簡素なシャワールーム。水を張った小さな浴槽に、菰出都史郎は裸で沈んでいた。




