5-8・宴
霧庫公民館には六人ほどの村人が集まっていた。そこに明崎さんと今朝方、そして菰出が準備に加わっており、追加で俺、巴代、美代子、綺代子が到着したことになる。
総勢十三人を抱え込んだ六十畳の大広間。ふたつ並んだ大きなテーブルに、座布団が片方七枚ずつ。テーブルの上にはすでに皿盛りや重箱が並んでいる。
「黒繰さん!」
菰出が俺を上座の一等席に案内する。
「さあさあ! 始めましょう! お酒はなにを?」
「実はあまり強くないんです」
「ははは! 大丈夫ですよ! 最初だからビールにしましょう!」
酒にあまり強くないというのは『酔うほど飲む気はない』という意味だ。適当にあしらいながら飲もう。
菰出が村人たちを座らせ、酒を注ぎ始める。明崎さんの姿を探すと、下座の端、巴代の隣に追いやられていた。対面には今朝方も座っている。
俺の隣には菰出が、対面には名も知らぬ有力者風の村人が座る。
「朔夜さん」
ビール瓶を持った双子の片割れがそばに寄ってきてひざまずく。「ありがとう」と答えてグラスを差し出すと、慣れた手つきでビールを注いだ。
「それじゃあ、霧庫の発展を願って! 乾杯!」
菰出の声に合わせ、皆が一斉に乾杯した。
宴会だった。最初の数杯だけ酒をもらい、あとはお茶を飲むことにした。解説がないためなにを食べているのかよくわからない料理の数々を肴に、霧庫の未来を語り合う。酒に酔ってぐでぐでの村人たちが管を巻き始めるのも愛想よく聞いた。内容は、訛りが強いためほとんどわからない。酔っているのか菰出すら方言で喋っている。
年齢層の若い村人ほど訛りが薄く、なにを言っているのか聞き取れた。美代子、綺代子に、双子たちと同世代か少し上くらいの青年が一人。
「宝頼です」
癖のある茶髪の青年だ。清潔感のあるシンプルな白シャツに、グレーのスラックス。服装の雰囲気がどことなく双子に似ている。彼も役場勤めなのだろうか。
宝頼は真面目な顔つきで俺の隣に座り「黒繰グループの人、なんですよね」と念押しした。
「そうだよ」
「今回のホテル建設、本当に感謝してるんです。これで霧庫はもっと発展します」
「君はこの村が好きなんだね」
「はい! それはもう!」
宝頼がグラスを飲み干す。すかさず、双子の片割れがやってきて酒を注いだ。
「僕は、僕は嬉しいんです。山に埋もれた霧庫は、このまま誰にも知られないまま、ひっそり消えていくんだと思ってました。僕はね、こう見えて霧庫から出ていた時期もあります。でも、戻ってきた。霧庫が好きなんです」
緊張しているのか、酔っ払っているのか、宝頼はまたグラスを傾けた。
「黒繰さん! 僕は本当に嬉しい! 霧庫の魅力に気付いてくれる、都会の人がいるなんて!」
勢い余ってハグしてきそうな熱量だったので、それよりも素早く、宝頼の右手を両手で握る。
「素晴らしい! 君の、霧庫への熱意が伝わってくる!」
宝頼はハッとして、俺からの熱烈な握手に応じた。
「はい、はい! 僕は、この村が好きだ!」
「一緒に霧庫を盛り上げていきましょう!」
「もちろんです! 今度ともよろしくお願いします!」
俺たちの会話を聞いていたのか、周囲の村人たちが沸き上がった。
彼らに真に必要なのは熱意ではなくクールダウンである。
隙を見て、盛り上がる村人の輪から「すみません、お手洗いは」などと尋ね抜け出した。
明崎さんのいる下座側を伺うと、巴代、今朝方、そして双子のもう片方と小規模ながら世間話で盛り上がっている様子だ。
今日の成果を話す余裕もないな。
大広間を出て廊下を進み、突き当りのお手洗いでしばし休憩する。
「……村の帳簿は明日以降、かな」
現在時刻、夜八時。
何時までどんちゃんやるつもりなんだろう。
大広間に戻ってみると、宴会はまだまだ盛り上がっていた。終わりそうな気配は微塵もない。
……もしかして『帰る』と言わなければ終わらないのだろうか。こういった社交の場で人当たり良く過ごすことはできる。が、限度がある。
俺が戻ったのに気付いて、菰出が上座に手招きする。
「黒繰さん! こちらへ!」
「あー……すみません、菰出さん。そろそろ……」
上座に近付こうとしたとき、公民館の入口から足音が響いた。
どやどやと、四人の新しい村人が大広間に入ってきた。おかわりもアリなのかとうんざりしそうになって、場の空気が一変していることに気が付いた。
宴会の楽しさは鳴りを潜め、ピリついた緊張感が大広間に漂う。楽しく歓談していたはずの村人たちは皆一様に表情を硬くし、一言も発しない。
菰出が場を代表するように立ち上がった。
「なんね、猪俣さん。なんか用かや」
「おめさま、黒繰さがおいでたずら」
菰出がちらりと俺を見た。釣られて、新しく入ってきた一団はすぐそばに立つ俺を認知する。
「ホテル建設、反対!」
猪俣なる男が宣言すると、後ろの三人が続いた。
「「「ホテル建設、反対!」」」
「ホテル建設、反対!」
「「「ホテル建設、反対!」」」
そのままシュプレヒコールを続けようとする一団へ、菰出が「おきましょや!」と両手を振って近付いていく。
「巴代、ミヨ、キヨ、先にけーっとくれ」
菰出の言葉に巴代が「お先です」と一同に礼をして、明崎さん、今朝方、それから双子を連れて大広間から退室していく。
「朔夜さんも」
双子の片割れに袖を引かれ、俺も一緒に外に出た。
「なんね! しょうしゃわりい……」
巴代が憤慨した様子で菰出のセダン、運転席に乗り込む。
「うちへいきましょ。父ちゃんはあいくずら」
すかさず双子が自分たちのコンパクトカーの扉を開ける。
「家へ帰りましょう」
「お父さまは歩いて帰ってくるわ」
来るとき乗った双子のコンパクトカーに戻ろうとして、慌てて、明崎さんの腕を引く。
「ちょっといい?」
同じように菰出のセダンへ乗り込もうとしていた明崎さんは、頷いて双子のコンパクトカーへ移った。
辺りはすっかり暗くなっていた。ぽつぽつと街灯の照らす細い道を、黒い山が威圧するように覆っている。
「出発します」
「ゆっくりね」
巴代を先に見送って、双子の車が動き出す。
後部座席隣の明崎さんに小声で「収穫はあった?」と聞いてみた。
「まだです」
短く答えた明崎さんは、今度は運転席と助手席の双子に向け「先程の人たちは?」と尋ねた。
「猪俣さんたちはホテル反対派なの」
「ホテルを建てると霧庫の自然が壊れるって」
「ホテルを建てなきゃ人がいなくなるのに」
「霧庫では過疎が問題」
「このままじゃ村が無くなってしまうわ」
「ホテルを建てれば人もお金も集まってくるのに」
明崎さんは頷いて「全員のフルネームはわかりますか?」と聞いた。
「白髪交じりで背の高い猪俣昌永おじさま」
「坊主頭に眼鏡の古賀康男おじさま」
「パーマにヒョウ柄のお洋服が素敵な武内瑠璃おばさま」
「最近ウエストを気にしている米里清志おじさま」
俺は先程ちらっと見ただけの反対派の顔を思い浮かべた。
「ありがとうございます。彼らと話がしたい場合、どうすればいいですか?」
明崎さんの言葉に、一瞬だけ間が開いた。
「どうして? 建設に反対している人たちよ?」
「どうして? グループの敵なんじゃないの?」
明崎さんは首を横に振る。
「私はただ、霧庫に住む人たちの話が聞きたいんです。敵とか、味方とか、区別するつもりはありません」
双子たちはしばらく考えている様子だったが、やがて片方が言った。
「明日、猪俣おじさまの家に連れていってあげるわ」
「綺代子!」
「いいじゃない。土曜日だもの」
「お父さまに許可をもらわなきゃ」
「必要ないわよ」
「でも」
でも、と言ったきり双子たちは押し黙る。
菰出邸の駐車場に入ったタイミングで、明崎さんが言った。
「明日はよろしくお願いします。綺代子さん」
車を運転していたほうの双子、綺代子が振り返って笑った。
「よろしくね、明崎さん」
菰出邸に戻ってきた。現在時刻、夜八時三十分。
「お風呂にいかずわ!」
巴代が腕まくりして言った。
「順番にお風呂に入りましょう」
「夜は早く寝ましょう」
双子が翻訳する。特に異論はない。
「お先にどうぞ。俺は最後で構いません」
「いやいやいやいや。オレが最後でいいとオレは思うんで。お兄さんは最後から二番目です」
「じゃ、明ちゃん! 先にあがっとくれや!」
「それではお風呂いただいてきます」
「では次に美代子が」
「では次に綺代子が」
ということで、ちょっとした自由時間ののち風呂に入って寝ることとなった。
……トライドへの報告書でも書くか。
部屋に戻って眼鏡をかけると、同じく自由時間中の今朝方が「ははあ!」と叫んだ。
「眼鏡も似合うんスか!」
「……今朝方くん、夜だから大声はやめよっか」
「おっと、失礼したです。ははあ……仕事中は眼鏡を……」
滅茶苦茶ガン見してくるなコイツ。仕事ができないだろうが。
「……今日はどんな感じだったの?」
タブレットを伏せ、今朝方に話題を振ってやる。
「はあ。今日は村でいろんな人に会って、お姉さんが自己紹介しまくってました。初めて来る村みたいスね。つまり、ご両親へのご挨拶ではない」
「続けて」
「村のほとんどを回ったとオレは思うんで。でも、さっきの……反対!って言ってた人たちとはあの場が初対面です。初めて見る顔なんで」
「昼間に挨拶した村人たちは、菰出さんが選んだ人だけだったんだね」
「はいです。みんな賛成!の人ですね」
あくまでもホテル計画はうまくいっていると思わせたいらしい。
気持ちはわからなくもない。
「お姉さん、すごいッスよね……たぶん、村中の人の名前を覚えたとオレは思うんで」
そういえば、車内でも反対派のフルネームを聞いていたな。
「オレはまだ誰の名前も覚えてないです……」
「……困らない?」
「不思議と今日は困ってないです」
村中の人間を覚えた明崎さんが隣にいれば困らないか。
なんだかんだ話し込んでいると「お風呂いただいてきました」と声がかかった。
白地のプリントTシャツに、あずき色のジャージ、裸足姿の明崎さんがまだ湿っている髪をタオルで拭きながら登場した。
「……」
「……」
互いの姿を認めた途端、硬直する俺と明崎さん。
「あ、布団敷いときます?」
なぜか一人だけ動ける今朝方。
「あ! そ、そうですね!」
「……そうだね。二間続きみたいだけど、襖を閉めれば別々に寝れるんじゃないかな」
かけっぱなしにしていた眼鏡を外してケースにしまう。明崎さんの視線を追うに、どうやら、俺の眼鏡姿が珍しかったらしい。
「えっと、襖、別にいいですよ? なんだか修学旅行みたいですし。それに、エアコンが奥の部屋にしかありません」
「いや、襖は閉めて寝よう。こっちの部屋には扇風機がある。今朝方くん、テーブルを動かすから手伝って」
奥の部屋、端にテーブルを移動させ、隣に明崎さんの布団を敷く。俺と今朝方は手前の部屋で寝ればいい。三人それぞれの布団を敷き、いつでも寝れる状態になったことを確認してから、俺は明崎さんを奥の部屋に押し込めた。
「それじゃ、おやすみ」
返事を聞かずに襖を閉める。
「ままま待ってください! まだ寝ません!」
すんでのところで指を差し込み、襖を食い止める明崎さん。
寝かしつけ、失敗。
「今日はお互い別行動だったので、その、状況報告を……」
両手で襖を開けようとする明崎さん。
「さっき今朝方くんから聞いたよ。お疲れ様。俺のほうの成果だけど、菰出さんはシロだと思う。それじゃ、おやすみ」
片手のまま襖を閉めようとする俺。
「ま、まだ寝ません!」
競り合いの結果、明崎さんによって襖はもとのように開け放たれた。
「どうして寝かせようとするんです!」
俺は詰め寄ってくる明崎さんから距離を取るため後ずさり、視線を外しながら、両手を宙に浮かせてなだめた。
「落ち着いて、明崎さん」
「な、なんでこっち見ないんですか!?」
「もっともな意見だね」
「黒繰さん!」
どうしよう。どうやって伝えよう。お風呂上がりの君は今までで一番無防備で、ほのかに上気する頬や赤く色付いた唇が視界に入るたび落ち着かない。Tシャツの襟回りが広いのも気にかかる。俺の目線は君より高いから、君の顔を見ようとするとTシャツの襟元を覗くかたちになってしまい、非常に、よくない。よろしくない。一刻も早く寝てほしい。襖を閉めてほしい。
「えーと、つまり、俺の視界から消えてほしくて」
「ど、どういう意味ですか!?」
叫んだ拍子に、明崎さんの足がもつれた。
「わっ!?」
無防備な明崎さんが俺めがけて飛び込んできた。
「うわっ!」
俺の足もまた、もつれた。倒れてくる明崎さんを支えきれず、押し倒されるかたちで背中から布団に倒れ込む。
「お、お兄さん! お姉さん!」
仰向けに倒れた俺の上、のしかかるようにしてうつ伏せになっている明崎さん。その身体はずっしり重く、あたたかい。というか熱い。お風呂上がりめ。石鹸のいい香りでくらくらしてくる。俺の顎のすぐ下に明崎さんの頭と、横を向いた硬い眼鏡のフレームと、そのさらに下には『ずっしり』と感じる原因であろう大きく柔らかい重量とが乗っており、Fか……と思ったが、なぜか不思議とそのアルファベットが浮かんだが、気にしないでほしい。彼女の身体は俺の両足の間に滑り込むようにして横たわっている。とても起き上がれそうにない。起きると彼女を床に落とす。
「あ、あわ、わ」
床には落ちていないが、処理落ちはしているらしい明崎さん。動く気配がまったくない。
かくいう俺も、心臓が張り裂けんばかりに内側から胸を叩いている。駄目だ、熱い、くらくらする。このままだと明崎さんに俺の鼓動まで伝わってしまう。
息を細く、長く吐いた。混乱も動揺も狼狽も、すべて無表情の仮面の下に抑え込む。感情を捨てろ。なにも考えるな!
明崎さんの頭に手を置き、髪を撫でた。あたたかく、ほのかに湿り気がある。頭の位置と髪の流れから彼女の肩を探り当て、とんとんと軽く叩いた。
「どいてくれる?」
「わあ! ご、ごめんなさい!」
明崎さんが慌てて上体を起こし、這うようにして襖まで下がる。
俺はようやく起き上がって、その場にあぐらをかいた。
……なんだ、今の。
いや、考えてはいけない。無表情が崩れる。クールにいこう。俺には今、なんの感情もない。明崎さんは小さいから抱きしめると腕の中にすっぽり収まってしまうんだろうなとか、体温が高いなとか、柔らかかったなとか、少しも、微塵も考えてない。これ以上はやめよう。彼女に触れたくなる。
待って、なんて? 彼女に触れたくなる?
今のナシ。撤回する。俺にはなんの感情もない。ないったらない。まして下心なんかあるはずもない。あったら駄目だろ。
いくらなんでも下心のある男を助手になんかできないだろ。
明崎さんは探偵である以前に一人の女性なのだ。
だからこそ俺にはなんの感情もない。そうでなければ、きっと隣に置いてもらえない。
「あの……お、おこ……怒ってます?」
ずっと虚空を睨んでいた俺は視線を上げた。襖に半分隠れるように、明崎さんがこちらの様子を伺っている。
俺は努めて無表情に、無感情に、無感動に冷たく言った。
「怒ってないよ」
明崎さんはお風呂上がりとは思えないほど顔を真っ青にして「ご、ごめんなさい! もう寝ます!」と襖を閉めた。
自分の布団に座って一部始終を見ていた今朝方が、これまた顔面蒼白に「お、怒ってる……」と呟いた。
「お風呂が空いたかどうか見てきてくれない?」
呟きを無視して指示を出すと、今朝方は「はいです……」と消え入りそうな声で応答し、のろのろと部屋を出て行った。
俺は襖の向こうへ事務的に、淡々と声をかける。
「ごめんね、明崎さん。怒ってないよ。でも、今日はもうその襖を開けないでくれるかな。顔も見たくない」
「はい……」
明崎さんは弱々しく返事をした。転んで倒れて俺を巻き込んだことを気に病んでいるのかもしれないが、しかし、気遣ってあげられるほどの余裕が今の俺にない。
顔も見たくない。
いま襖を開けて出てこられると、困る。
うっかり抱きしめてしまいそうになる。
「今日の状況報告、する?」
尋ねてみると、明崎さんは「い、いえ……もう寝ます……」と大人しく引き下がった。
「そう。おやすみ」
「お、おやすみなさい……」
きっと明崎さんは朝まで襖を開けないだろう。
助かった。
緊張の糸が切れて、俺は布団に倒れ込んだ。
現在時刻、夜九時三十分。




