5-7・古株との遭遇、双子からの先制
昼食後から夕方まで、俺と明崎さん(と今朝方)は別行動することになった。
俺は菰出邸で帳簿の確認を。明崎さんと今朝方は菰出の案内で村を見て回ることとなった。
菰出邸にはインターネット回線が引いてあるらしく(現代において当然の措置だ)その回線を間借りしながら帳簿を確認することにした。信頼できる部下数人に黒繰側の帳簿を確認させながら、菰出の帳簿にざっと目を通していく。たまに巴代がお茶の差し入れに来る以外、静かなものだ。
タブレット端末に映る数字を細かく見ているが、現状、不自然な点はない。そもそも本当に不正があるかも怪しいものだ。ホテル建設に反対する村の誰かが嫌がらせとして通報したのがオチだとしても、俺は驚かない。
……眠くなってきた。
ブルーライトカット用の眼鏡を外してケースにしまい、目頭を押さえる。いかんせん、単調だ。時計を確認すると夕方四時。少なくとも三時間は帳簿とにらめっこしている。
コーヒーが飲みたいな。お茶じゃなくて。
タブレットをスリープさせて、空のコップを手に立ち上がる。廊下を進んで見知らぬ台所を目指した。
ぎし。と。背後で床が鳴った。
振り返ると、庭に面した大きな窓から一人の老人が足を踏み入れている。手入れのされていない真っ白な髪。落ち窪んだ目。深いしわの刻まれた浅黒い顔。枯れ木のような手足。上下ともに紺色の甚平を着た、男とも女ともつかない老人が家に入ろうとしている。
驚きのまま固まっていると、老人が口を開いた。
「おめえ、よそか」
しわがれた声はかろうじて女性のものだとわかった。
「よーさまぁ、いょから出ちゃいけねぇ。山から声がしても、かまっちゃあいけねどぉ。よーさまぁ、ちやっとねましょ」
「……」
どうしよう、なにを言っているのか欠片もわからない。
俺が固まっている間にも老婆は構わず廊下に上がり、こちらへ向かって歩いてくる。思わず一歩後ずさり、降参するように両手を上げた。が、老婆はそのまま横を通り抜け、真っ直ぐに台所へと入っていった。
「あらま! お義母さん!」
台所から巴代の声が響いた。中を覗くと、老婆と巴代がなにやら話している。訛りが強いため内容を聞き取ることはできなかったが、どうやら菰出の母親らしい。
俺を見つけた巴代が手招きする。
「こちら、黒繰さん。お客さまだじ」
「そいで」
「父ちゃんの仕事の。忙しぃて、てきなぁね」
「ほうかい」
老婆の顔がくしゃりと笑んだ。
「しょうつけや」
「……息子さんには、お世話になっています」
会釈してみると老婆は頷き、また庭に向け廊下を出て行った。
「お義母さんはいつも庭の離れで過ごすんです。黒繰さん、お茶?」
「いえ、コーヒーをいただきたくて」
何を言われているのか全然わからなかった。巴代より上がいたのか。
湯が沸く間、先程の老婆について聞いてみる。
「あの……お母さんがなんて言われたのか、よくわからなくて」
「ああ! お義母さん、訛りつもいもんねぇ」
「……実は、巴代さんの言葉もたまにわからなくて」
「あらま!」
巴代はけらけらと笑って「それじゃ、気を付けて喋るじ」と茶目っ気たっぷり言った。
「お義母さんはしょうつけ……えー……気合いを入れて頑張ってって言ったんね」
「なるほど」
「ほかにもなにか言ってた?」
俺は、なにか言われたがまったく聞き取れなかったことを伝えた。
「ほーかい……たぶん、夜は家から出るな、山から声が聞こえても相手をするな、夜は早く寝ろ、かやぁ……」
巴代はふくよかな顎に片手を添えた。
「おらとこは昔からよくそう言い聞かせられてね。まあ、夜は気をつけましょ、ってことかね」
「……山から声が聞こえてくることがあるんですか?」
「あるんね! 野生の動物ずら。人でね」
夜、山の方角から声が聞こえてきても、それは人ではなく野生動物だから放っておけ、ということか。
読み取れなかっただけでほとんど親切心からの忠告だ。本当に歓迎されているらしい。
「そいで、黒繰さん、虫、いいだかいや?」
「虫ですか? はい、ぜひ食べてみたいです」
「いくらか今どうね?」
弾んだ声をひそませた巴代は冷蔵庫から佃煮?の入った陶器の器を取り出すと、こちらに中を見せた。
「は、ち、の、こ」
くすくす笑って、そのまま、ひとつつまんで食べてしまう。
俺は興味深く器を覗き、笑顔で応じた。
「いただきます」
夕方五時半頃、玄関の開く音がした。
俺はタブレット端末から顔を上げ、眼鏡を外す。
明崎さんたちが帰ってきたのだろうか。
頭の中に成果報告を組み立てながら、周囲に広げていた紙の資料を簡単に片づける。調査した体感として、菰出はシロだ。帳簿に不明な点はなく、土地の売却で十分な報酬を得ていることがわかる。そもそも一千万追加で欲しくなったのなら黒繰相手に値上げ交渉すればいい。出し渋る金額ではない。
二人分のかすかな足音が部屋に近付く。
開いた襖におかえり用の笑顔を向けてから、明崎さんたちではないと理解した。
美しい黒髪を腰まで伸ばした女性が立っていた。レースをあしらった白の半袖トップスに、黒のタイトスカート、レースの白靴下。紅を引いた唇、ほんのり赤い頬、上品なアイメイクの大きな瞳。
菰出の言っていた、役場勤めの娘の一人だろう。帰ってきたのだ。
挨拶しようと立ち上がって、気付いた。
娘の後ろに、まったく同じ顔、まったく同じ服の娘がもう一人立っている。
唖然としていると、娘たちはするする部屋に入ってきて横に並んだ。
「菰出美代子です」
「菰出綺代子です」
ほぼ同時に言ったので、どちらがどちらかわからなかった。
「……黒繰朔夜です」
一拍遅れて名乗ると、双子の娘たちはくすくす笑った。
「黒繰さん」
「朔夜さん」
「「黒繰朔夜さん」」
「名字だと堅苦しいわ」
「下のお名前がいいわ」
「朔夜さん」
「朔夜さんとお呼びしても?」
双子の声がハーモニーを奏でる。どれがどちらの発言か区別できない。俺は「ああ、はい。えっと」と相手の名を呼ぼうとして、言い淀む。
「美代子です」
「綺代子です」
双子の娘――美代子と綺代子は再度名乗ると近寄って、物珍しそうに俺を左右から眺めた。
「素敵な人ね」
「都会の人ってみんなこうなのかしら?」
「わからないわ。私たち、ここから出たことないもの」
「素敵ね。都会に出てみたいわ」
「私たちだけじゃ無理よ」
「朔夜さん、都会を案内してくださる?」
「お父さまが霧庫を案内しているのよね?」
「私たちが霧庫を出たら、朔夜さん、きっと案内してくださる?」
双子同士の会話からシームレスに俺向けの話題を振ってくる。新しい攻撃パターンだ。早く見切らないと双子のペースに乱される。
「……東京観光か。いいですね。菰出さんにはお世話になっていますし、もしご家族で旅行する際は連絡してください。いい案内人を紹介できると……」
「あら、違うわ」
「駄目よ、朔夜さん」
遮るように双子が言う。
「家族じゃなくて、私たちよ」
「案内が欲しいわけじゃないの」
「私たち、霧庫から出たことないのよ」
「霧庫で見る朔夜さんと、都会で見る朔夜さん」
「見比べたいのよ」
「どっちが素敵か、どっちも素敵か」
あ、明崎さーん、早く帰ってきてー。
曖昧に笑って誤魔化そうとする俺。を、通り過ぎ、双子はテーブルに置かれた紙の資料やタブレット端末をつつき始めた。
「お仕事かしら?」
「なんのお仕事?」
「ちょっ……!」
慌ててタブレットを取り上げる。俺でないと認証は突破できないはずだが、それでも機密情報を扱うデバイスだ。他人に触らせて気分のいいものではない。
「綺代子、こっちにおいで」
「なにか見つけたの、美代子?」
綺代子と呼ばれたほうの娘は先程まで触っていたタブレットから興味を失くし、もう一人――美代子の触る紙の資料へと駆け寄っていく。
「まあ! お金の情報よ……」
「まあ! 多額な報酬よ……」
双子たちは声をひそめ、くすくす笑うと言った。
「朔夜さん、グループから調査に来たのね?」
「朔夜さん、グループからの刺客なのね?」
タブレットを鞄にしまいながら「……そちら、機密書類になるんですけど」とたしなめる。
「大丈夫よ、お父さまには秘密にしてあげる」
「大丈夫よ、お父さまには内緒にしてあげる」
俺に向けて言いながら、双子たちは肩を寄せる。
「面白いわ」
「格好良いわ」
「ドキドキするわ」
「ワクワクするわ」
「スパイよ、スパイ」
「都会から来たスパイの男」
「村から出たことのない田舎娘」
「禁断の恋が始まってしまうわ!」
始まるか。恋愛ドラマの見過ぎだ。
あるいは、からかわれているのか。
「あなたたちのお父さまに許可を得て閲覧している資料です」
二人の手元から書類を回収し、まとめて鞄にしまう。
双子は顔を見合わせて、くすくす笑った。
「冗談よ、朔夜さん」
「そう、冗談よ」
「怒らないで」
「怒っても素敵かも」
「駄目よ、綺代子。お父さまの大事なお客さまなのに」
「大丈夫よ、美代子。朔夜さんには使命があるから、怒ったとしても帰らないわ」
観察するに、先に喋りがちなのが美代子、後に続くのが綺代子らしい。
「そのお父さまだけど、俺以外のメンバーと村を回っているはずだよ」
補足のつもりだったが、美代子と綺代子は「「知ってるわ」」と同時に言って、それぞれの手を差し出した。爪先の白いフレンチネイルまでお揃いだ。
「霧庫にお客さまが来てるって、村中で噂になってるわ」
「お客さまを歓迎しようって、村中で準備をしているわ」
「私たちはお迎えなのよ」
「私たちは運転手なの」
「行きましょう、朔夜さん。公民館よ」
「行きましょう、朔夜さん。みんなが待ってる」
どちらの手を取るべきか悩んだ。が、それも一瞬のことで、俺は外向きの笑顔を浮かべると、どちらの手もスルーした。
「歓迎会? 嬉しいな。ぜひ参加させてもらうよ」
社交辞令を口にしながら大雑把に荷物を片付ける。スマホだけ持っていこう。タブレットや手帳は必要ない。
双子は手を差し出した格好のまま顔を見合わせたあと、頬を膨らませる。
「朔夜さん、冷たいのね」
「朔夜さん、いじわるなのね」
そうして踵を返し部屋を出ていった。
玄関まで出ると、双子と、着飾った巴代がすでに靴を履いて待っていた。
「ささ! いかずわ!」
双子のものだろう水色のコンパクトカー、後部座席に巴代と並んで座る。外でじゃんけんをしてから車に乗り込んだ双子たちは「「出発!」」とユニゾンしてアクセルを踏んだ。




