5-6・駆け引き
「ついたです」
今朝方の声にハッとして目を開けた。
車は前面を木に囲まれた、かろうじてアスファルトが敷いてあるだけの駐車場に止まっていた。広さはおよそ車三台分。そばには菰出家なのだろう日本家屋が建っている。
「お疲れ様です、黒繰さん! さあさ、上がってください!」
菰出は手招き、家に向け「おいでた! 黒繰さんね!」と声をかける。やがて玄関にエプロン姿の中年女性が出迎えた。
「ようおいでて! 菰出巴代です」
アイボリーの半袖トップスに、ネイビーのガウチョパンツ。上から白のエプロンをつけて、ウェーブのかかった肩までの黒髪を後ろにまとめている。丸みのある柔和な笑顔が印象的だ。
「黒繰朔夜です。このたびはお招きありがとうございます。お世話になります」
「あらま! えらいええ男じゃねえ……」
「これ!」
俺の顔を覗き込む巴代をたしなめ、菰出が今朝方と明崎さんを紹介する。
巴代は「まあまあ! てきなあでしょ! ゆっくりしておくりゃ」と言った。歓迎されてはいるのだろう。菰出がほぼ標準語で喋るのに対して、巴代はそうでもなさそうだ。
菰出が明崎さんの荷物を、俺と今朝方はそれぞれ自分の荷物を家に運び入れる。
菰出邸。二階建ての和風建築で、庭には離れと思しき小さな建物が見える。周囲には山の木々と、開けた道と、その向こうに隣家の連なりとが見える。どうやら霧庫村(奥霧庫だったか)の端に建つ家のようだ。相変わらず空は広く、どの方角にも山が見えた。
なにもない場所だなと感じた。空、山、畑。緑の森に広い道。うるさいほどの虫の声。自然はあるが、俺たちよそ者はその恩恵にあずかれるほど親しんでいない。緑の区別がつかないどころか、遠く古ぼけたレトロな家々まで、全部同じに見えた。
スマホを確認すると、電波はギリギリ一本、たまに二本。ずいぶんな辺境である。
スライド式の玄関扉をくぐれば、木彫りの熊や活けられた花が出迎えた。広い土間に靴を揃えて廊下を曲がり、客間へ辿りつく。
二間続きの和室だ。一部屋六畳、合わせて十二畳の広さがある。必要なら襖で仕切ることもできるだろう。部屋には大きなテーブルがひとつと、多めに積み上げられた座布団の山。ハンガーラックに、戸の閉められた大きな棚が並んでふたつ。端にはこれまた多めに布団が畳まれている。綺麗に整頓された部屋だ。奥の間ではクーラーが稼働しており、扇風機の働きも相まって客間全体がちょうどよく冷えている。
荷物を運び終えると、巴代がテーブルに人数分のお茶を持ってきた。
ちょうどいいので手土産を渡すことにする。
「このたびはお世話になります。お口に合うといいのですが」
紙袋から黒い化粧箱を取り出し、菰出へ受け渡す。横から巴代が「あらま! ハイカラなこと!」と声を上げた。
「なにが入っとるね」
俺は微笑んで、巴代に向け声をひそめた。
「黄金色のお菓子ですよ」
「あらま!」
箱の中には黄金色の焼き目がついたスポンジが詰まっており、包丁で切って皿に寝かせると断面に大粒の黒豆が沈んでいる手筈だ。某有名店、一日二十本の限定黒豆ケーキ。購入担当外島白兎。
菰出が大きく笑って「ご飯のあといただきます! さ、お昼にしましょう!」と場を仕切った。
準備のため席を立つ巴代に、明崎さんが「私もお手伝いします」と続く。今朝方も「料理はできないスけど、運んだりするのはお手伝いできるです」とついていった。
「ごちそうになります。楽しみだなあ」
ニコニコと社交辞令を口にしていると、菰出が、そわそわした様子で咳払いした。
「あのー、黒繰さん。今回のご旅行、お手伝いできることがあればなんなりとおっしゃってくださいね?」
そう言って、腹の底を探るように俺を見た。
菰出は今回の旅行に『隠された真の目的』があると考えているのだろう。だから部外者である明崎さんと今朝方のいない瞬間を狙って探りを入れてきたのだ。
菰出の見立ては正しい。が、間違っている。今回の旅行、隠された真の目的自体は存在するが、黒繰グループとはなんの関係もない。
そして菰出相手にすべてを話すつもりは到底なかった。
適当に受け流そう。俺はジャケットの襟を正す。
「今回の訪問はあくまでプライベートですよ」
「そういうことになっているんですね? なにか、ホテルの建設計画に問題があるんじゃ?」
笑みを崩さないまま聞き返す。
「心当たりがあるんですか?」
「ま、まさか! とんでもない!」
菰出は慌てて手を振り、額を拭った。
「問題なんてありませんよ! みんな、ホテル建設に賛成してくれてます! 霧庫は小さな村ですが、今後はもっと大きく! 明るく! 開けた村になるはずです! えっと、ほら、近くにトレッキングコースなんか整備してもいいんじゃないかって話もあって!」
「ほほう、山歩きですか」
「ええ! ええ! 今度、ご提案をと思って、資料を用意している最中で……」
菰出の話を笑顔で聞きつつ、たぶん霧庫村ではホテル建設に反対する気運でも高まっているのだろうなと思った。
ホテル建設に伴って、御帯根高原全体がリゾートとして大きく姿を変えることになる。霧庫村もそのひとつだ。具体的には、山を切り開き畑を潰して商業施設を建てる。映画館だか、ショッピングモールだか。とにかく人が集まればなんでもいい。この村には今なにもないのだ。新しい商品価値を造らなくてはならない。
トレッキングコースの整備? そんな計画は黒繰にはない。菰出の考えた、反対派を抑え込むための方便なのだ。ご苦労なことだ。
この村に真に必要なのは整備された道路、途切れないインターネット回線、顧客を満足させるための娯楽施設。要するに文明である。
豊かな自然、それも素晴らしい。しかし『豊かな自然』はこちらで設計した場所に用意する。霧庫村には必要ない。
「それで、村役場とも協議中でして……ああ、うちの娘は二人とも役場に勤めているんですよ。美代子と綺代子といいます。夕方には帰ってきますので、ご挨拶はそのときに……」
菰出の話を聞き流しながら、役場勤めだという娘にはぜひ話を聞いておこうと思った。旅行の真の目的とは、ホテル建設に伴って甘い汁を吸う害虫の特定と確保なのだ。村側の帳簿はぜひ見ておきたい。あとで明崎さんにも相談しよう。
「では菰出さん。ひとつ、手伝っていただきたいことが」
まだ話している菰出を黙らせるように指を一本立てる。
「今回の黒繰との取引に関係する帳簿を、できる限り全部、確認させてもらえませんか?」
「は……はい? 帳簿、ですか?」
「ええ。夜までに確認できると嬉しいのですが」
「はあ、えっと……なんでまた」
俺はニコニコしながら指を口元に持ってくる。
「悪いようにはしませんから」
行動方針としてはこうだ。
①黒繰グループの帳簿を確認する。
②菰出の帳簿を確認する。
③村役場にあるだろう帳簿を確認する。
④すべての帳簿を照らし合わせながら確認する。
⑤一千万のズレを見つけたら、その後は犯人探し。
犯人が蜘蛛からトリックを買っていればトライド案件。そうでなければ黒繰で処理する。悪いようにはしない。俺の都合の悪いようには。
①~⑤を無事遂行できればトライドの勝ち。
①~⑤の間に事件が起これば、トライドの負け。
もちろん全力、全速力で明崎さんの助けになる所存だ。
しかし今回、俺個人への負担があまりに大きい気がする。明崎さんに確認しておかなければならないだろう。つまり、助手報酬の手作りお菓子をどの程度豪華にしてもらえるのかについて。




