5-10・通報、連絡、相談
明崎さんは一度深呼吸してから言った。
「黒繰さん、警察に通報をお願いします。通報が終わったら、綺代子さんに状況を知らせに行ってあげてください。余裕があれば巴代さんにも連絡を」
「わかった」
「私は現場の写真を撮ります。終わったら大広間で合流しましょう」
シャワールームから一度廊下に出る。周囲に綺代子がいないことを確認し、声が響かないよう適当な空き部屋で通報することにした。
霧庫公民館で人が死んでいる、と。
窓口の警察官からは、霧庫の駐在所員が向かうまで現場に立ち入らないようにと指示があった。ご遺体を動かすな、とも。長野県警が霧庫に到着するまで少なくとも三十分はかかるということだった。
電話を切る直前、ふと思い出したことがあり、付け加える。
「長野県警に逆茶木さんという方はいらっしゃいますか?」
「え? ええ……」
「東京都の士道改警部補から、なにかあれば頼るようにと言われています」
「わかりました。逆茶木もそちらに向かわせます」
よし。士道からの紹介がうまく機能すれば、明崎さんはトライドの一員として動くことができる。調査の難易度が段違いだ。
大広間に向かうと、綺代子は一人で片付けを始めていた。大量の酒瓶を、どこからか持ってきた酒瓶用のケースに収めていく。
「お父さま、どこで寝てました?」
「綺代子さん、落ち着いて聞いてほしいんだけど」
瓶を片手に綺代子が振り返る。
「都史郎さんはシャワールームの浴槽に沈んでいる状態で見つかった。たぶん、もう亡くなってる」
綺代子が手の中の瓶を落とした。ぽかんと口を開けて、目を見開いている。
「うそ」
「嘘じゃない。じきに警察がやってくる。それまで誰も現場に入らないよう」
「見るまで信じない!」
綺代子が駆け出すのを、咄嗟に、抱きかかえるようにして止める。
「離して!」
暴れる綺代子の手首を掴む。もう片手が俺の胸を叩いた。その片手も捕まえて、上に持ち上げる。俺のほうが力が強い。両腕を封じられて悔しそうな綺代子を正面から見下ろす。
「駄目だよ。現場には入らないで。素人に荒らされると困る」
「でも!」
「大丈夫」
俺は、周囲をちらと確認してから声をひそめた。
「明崎さんは探偵なんだ」
「たん、てい……?」
「都史郎さんになにがあったのか、きっと突き止めてくれる」
綺代子の両腕から力が抜ける。掴んでいた手首を離すと、ずるずるとその場に座り込んだ。
「巴代さんと美代子さんへの連絡は俺がするよ。いいね?」
「……お父さま、お風呂で寝ちゃったのかしら」
綺代子は呆然自失で呟いた。
「私たち、昨日、なんでお父さまを置いて帰っちゃったのかしら。ちゃんと連れて帰るか、迎えに行けばよかったのに。そうしたら……」
綺代子の瞳から大粒の涙が流れて落ちる。
「そうしたら……っ! お父さまがお風呂で寝てしまっても、家にいれば……っ! 助けられた! きっとお父さまは死ななくて済んだのよ!」
俺は涙を拭う綺代子のそばに膝をついて、頭を撫でた。
「起こったことは仕方ないよ。過去を変えられるわけじゃない。でも、どうしてそれが起こったのかはこれから調べることができる。明崎さんが、調べてくれる。どうして都史郎さんが亡くならなければならなかったのか。あるいは……」
事故なのか、偽装された殺人なのか。
事故にしてはタイミングが良すぎる。そもそも俺と明崎さんは蜘蛛のトリックを買った人間を訪ねてこの村にやってきたのだ。そのタイミングで菰出が死んだ。綺代子は事故だと思っているようだが、調査するなら、殺人も視野に入れなければならない。
が、今は黙っていよう。いたずらに追い詰めたいわけではない。
綺代子が落ち着いた頃、俺は菰出邸へ電話をかけた。応答した巴代に事情を話し、家で待機するよう頼む。現場に来られては邪魔だ。明崎さんのため万難を排すのが俺の助手としての在り方なのだ。巴代は動揺していたが、指示には従うと約束してくれた。
「……お母さま、なんて?」
通話を終えると綺代子が聞いた。すっかり元気をなくして座り込んでいる。
「家にいて、葬儀の手配をするそうだよ。訃報の連絡もしなきゃって言ってた」
「そうよね……もしかして、落ち込んでる暇、ないのかも」
綺代子は立ち上がり、最後にもう一度だけ目をこすった。泣きはらした目は赤く、頬にも涙の跡が残っている。
「顔を洗ってくるわ」
そう言って綺代子は大広間の奥に消えた。どうやら台所のようなスペースが併設されているらしい。
大広間の前で待つため、廊下に出る。
と、ちょうどこちらへ向かってくる明崎さんと遭遇する。
「撮影が終わったんだね」
「はい。そちらも連絡が終わったんですね」
「綺代子さんはいま顔を洗ってる。じきに来るよ」
明崎さんは頷いたあと、周囲に綺代子がいないことを再度確認した。
「実は、現場の状況なんですけど」
「なにかあったの?」
「その……遺体のそばでおちょこが割れていて」
明崎さんは先程撮影したのだろう写真をスマホ画面に表示させた。
シャワールーム、青いタイル敷きの床の上、白い陶器の小さな欠片が散らばっている。欠片にはところどころ床とは違う濃い青が塗られており、元の模様まではわからないが、そんなに細かいデザインではない。
「昨晩の宴会の席でこのおちょこを見ました。たぶん、公民館の備品なんだと思います」
昨晩見たはずの白い陶器のおちょこを思い出す。二勺、三十六ミリリットルの片手サイズ。外は真っ白だが、内側、底の部分にだけ青い塗料で二十丸が描かれている。蛇の目と呼ばれる模様だ。利き酒に使う。
「……昨晩、菰出さんはお酒を飲みながらお風呂に入ったってこと?」
明崎さんは首を横に振った。
「シャワールームには酒瓶がありませんでした。考えられる可能性は三つ」
明崎さんは一つずつ順に、指を立てながら説明する。
「一、菰出さんはおちょこ一杯分のお酒あるいは水を持ってお風呂に入り、その後、溺れてしまった。その際なんらかの衝撃が加わりおちょこが割れた」
あまりなさそうな可能性だ。
容量三十六ミリリットルだ。酒だろうが水だろうが飲めば一瞬。入浴中、その一瞬のためだけに満杯のおちょこを大広間からシャワールームまで運ぶか? 酔っ払って足元のおぼつかない中で?
答えは否。酒が飲みたいのならおちょことセットで酒瓶を持っていくし、注いだ状態の酒が飲みたいのなら、おちょこではなくもっと容量の大きなガラスコップを使えばいい。
「二、菰出さんは昨晩、おちょこと酒瓶を持ってお風呂に入った。その後、誰かが酒瓶だけを片付けた」
二のほうがありそうな展開だ。
この誰かを仮にX氏としよう。X氏は菰出が入浴してから俺たちに発見されるまでのどこかの時間にやってきて、酒瓶だけを片付けた。
問題は、どうして酒瓶だけを片付けたのか。
そしてなぜ、菰出の死を通報しなかったのか。あるいは、できなかったのか。
「三、菰出さんは昨晩、おちょこも酒瓶も持たずに入浴した。その後、誰かがそばでおちょこを割った」
三は、そもそもおちょこを割ったのが菰出ではないとする仮説だった。
X氏は菰出が溺れて死んでいる横で、誰にも通報せず、誰にも発見されていない状況で、わざとおちょこを割ったのだ。あるいは、間違えておちょこを割ってしまったが、片付けなかった、もしくは、片付けられなかった。
どちらにせよシャワールームにおちょこを持ち込む動機は不明だ。
明崎さんは続けてなにか言おうとして、綺代子が戻ってくる途中だということに気付いて、咄嗟に話題を終わらせた。
「黒繰さん、このことはどうか内密に」
「わかった」
綺代子が「内緒話かしら?」と微笑んだ。涙の跡はさっぱり洗い流されて、どうやらいつもの調子らしい。
「公民館の前で待ちましょう。誰か村の人が来るかも……」
明崎さんは発言を途中で取りやめて、公民館の入口を見た。がやがやとした複数人の気配が近付いてくる。
急いで表に出ると、昨晩の宴会に出席していたホテル建設賛成派の村人が五人、ちょうど入ろうとしていたところだった。
「綺代子ちゃん、片付けかや? 先越されたなぁ」
「ええっと」
綺代子は俺を見た。俺は明崎さんを見た。明崎さんは俺に目配せして頷く。
まあ、俺が言うか。
「みなさん、落ち着いて聞いてください」
俺は一歩前に出て、村人一人一人の目を順に見た。
「公民館に泊まった菰出さんを迎えにきたつもりだったのですが、菰出さんは、亡くなっている状態で見つかりました」
場がざわめく。俺は即座に片手を挙げ、群衆に黙るよう合図した。
「事故か事件かはまだわかりません。警察の到着を待っている状況です。誰も、公民館には入らないようにしてください。また、昨晩以降に公民館に出入りした人がいれば教えてください」
『事故か事件かわからない』を曲解した一人が「殺人かもしれねえのか!?」と聞いた。
「まだわかりません」
俺は毅然として言った。が、場を落ち着けるため一言付け加えた。
「パッと見ただけだと、事故かなと思いました」
一応、嘘ではない。第一印象だと事故にも見える。
「なんで死んだかいや!?」
「どうなっとる!?」
詳細を聞こうと詰め寄ってくる村人たち。その間に割って入って綺代子が言う。
「お風呂で溺れてたみたい。昨晩、結構飲んでいたし……」
村人たちは肩を落とし、ため息をついた。仕方のない事故が起きたのだと、受け入れようとする雰囲気だ。みんなが綺代子に次々お悔やみの言葉を述べた。綺代子はまた目が潤み始めていたが、気丈に振る舞っている。
「昨晩、どんなふうに解散したのか聞いてもいいですか?」
全員のお悔やみが落ち着いてから聞いた。綺代子も「そうね。お父さまは昨晩、どんな様子だった?」とアシストする。
以下、菰出の最後の様子について感傷的なコメントを除いた要約である。
夜八時、猪俣一行の乱入。主に菰出と猪俣が中心となってずっと言い争っていたらしい。ホテル建設について、あるいは霧庫村の再開発について、互いに食い違う理想をずっと戦わせていたということだ。
夜十時、猪俣一行が公民館から出ていく。俺がいないのに言い争っても平行線だと気付いたのかもしれない。
その後、残った賛成派たちは飲み直す気分にもなれず、みんなで村の未来について会議していたそうだ。
夜十一時か、遅くとも十一時半。集まりは解散となった。
「解散前、菰出さんになにか変わったところはありましたか?」
俺の質問に、村人の一人が答えた。
「猪俣さんがけえるとき、菰出さんに、なんぞだぼこいとったが……」
「猪俣さんがお父さまに? なにを言っていたの?」
いつの間にか翻訳担当になってくれている綺代子が尋ねる。
「しらすけ……みみっこすりずら」
綺代子は「んん……」と唸って言った。
「猪俣おじさまが、帰り際にお父さまになにか言ったみたい。内容までは聞こえなかったけど、いい加減な陰口じゃないか? って。一体、なにを言ったのかしら?」
今日はもともと猪俣に話を聞くことが目的のひとつだ。警察が到着したら引継ぎをして……今日中に話を聞きにいけるだろうか?
「十一時半には、みなさん家に帰ったんですね?」
ずっと聞き役に徹していた明崎さんが念を押す。すると一人が「そういや……」と呟いた。
「菰出さんと、宝頼くんも残っとったじゃないか?」
「ああ! そうだんね!」
「話があるーいって、菰出さんが」
明崎さんは「なるほど」と頷き、場を総括する。
「昨晩、遅くとも十一時半には解散になった。その後、菰出さんは宝頼さんを呼び止めた。公民館に最後まで残っていたのは、菰出さんと、宝頼さんだった」
「その宝頼くんはどこ?」
綺代子が聞くと、村人は「連絡あらすけ。まぁだねておきるづら。ずくなし」と肩をすくめた。
「連絡がない。まーだ寝てるんでしょ。根性がないなあ」
翻訳しながら綺代子も肩をすくめる。
俺は明崎さんにアイコンタクトした。明崎さんも頷き返す。
X氏が実在するなら、その椅子に一番近いのは宝頼だ。




