5-4・運転手
呼びかけると士道はすぐに目を覚ました。腕時計を一瞥し「できたか?」と聞いてくる。
「書類を全部読んで頭に入れてサインもしました」
「報告書、上げておきました。この間、黒繰さんが書類を撮影することはなかったと断言します」
「ご苦労」
夕方四時にしてようやく条件は整った。
「さて、本題だ。嬢ちゃんと黒繰さんに調査を依頼したい」
居住まいを正した明崎さんが「お伺いします」と頷く。
「ン、と言っても拒否権がないわけじゃない。この依頼を受けるかどうかは二人で相談して決めてくれ」
士道は一度言葉を区切って、盗み聞く輩がいないか、周囲をぐるりと検分した。
「長野県警に匿名で通報があった。現地ではリゾートホテルの開発計画が持ち上がってる。その関係者が着服してるンだと。額にしておよそ一千万」
いまいち意図がわかりかね微妙な表情をしている俺に明崎さんが注釈する。
「蜘蛛の商品は最低三百万円程度から販売されています。三百万以上の不透明なお金の流れを追い、事件の発生を未然に防ぐことがトライドの目標のひとつなんです」
「なるほど」
蜘蛛の店はフォローが薄い。下限三百万の金は顧客が用意するしかないし、買ったあとのサポートもない。事件を起こす前の購入者を確保できれば、被害を未然に防いだうえ、情報提供者も手に入るというわけだ。
が、恐ろしく地道だ。
そもそも三百万以上の不透明な金の流れをどうやって見つけるんだ? それって警察の仕事なのか? 日本にいくつ営利団体があると思っている? 人員も時間も無限ではない。砂漠の中に落としたダイヤモンドを探すようなものだ。
着服の情報を入手したとして、額が一千万として、その金が本当に蜘蛛に流れたかどうかもわからない。否、それを俺たちが調べるのか。
気が遠くなる。
「嬢ちゃんたちには現地調査を頼みたい。いま大学は夏休みなンだろ? それでお鉢が回ってきたンだ。へへ、デカいヤマだからな。俺からも口添えしといたぜ」
なぜか得意げな士道。お前がこの面倒な調査を回してきたのか。明崎さんと俺に。
「そうですね、一千万円、ですか……! 気合いが入ります……!」
なぜか明崎さんも気合十分だ。
一千万。果たして、気合いが入るデカいヤマだろうか。
俺の金銭感覚が麻痺しているのか?
「確認ですけど、リゾートホテルの開発計画が持ち上がっている中での着服事件なんですよね」
「そうだ。……アンタ、まさか一千万をはした金だとか言うンじゃねェだろうな」
俺は士道の言葉に片眉を上げた。
「リゾートホテル開発にいくらかかるか知っていれば、一千万ははした金だと思いますが……」
士道と明崎さんが勢いよく顔を見合わせた。二人とも首をぶんぶん横に振る。やがて代表するように、士道が咳払いして声をひそめた。
「い、いくらぐらいかかるンだ……? その……リゾートホテルってェのはよ……」
「少なく見積もっても何十億単位だと思いますけど」
「ヒエ~~~ッ」
リゾートホテルに泊まったことないのかな、この人。
士道だけでなく明崎さんも動揺しているのか、何度も指折り桁数を数えている。二十歳になったばかりなのだ、ホテルの最高峰を知らなくて当然である。今度、黒繰系列のホテルに招待してあげよう。地上から数えても値段から数えても一番高い部屋だ。何事も経験である。
「にしても、長野か。考えることはどこも同じですね」
俺の独り言に明崎さんが「というと?」と合いの手を入れた。
「うちのグループでも長野にホテルを建てる計画があってね。どこだったかな。たしか御帯根高原のあたりで……」
「え?」
士道の顔がさっと顔を青くなった。
「ちょ、ちょッと待て!」
慌てた様子でスマホを取り出し、画面をスクロールする。
「ここじゃなくて、ここでもなくて、あった! ホテルの建設は……うわッ」
士道は顔を覆った。
「通報、アンタのとこのホテルだぞ」
な、なんだってー。
どさくさにまぎれて明崎さんと士道のスマホを覗き見る。トライドの捜査資料とおぼしき画面には『開発事業者:黒繰グループ』の文字が刻まれている。
着服犯がグループの身内かもしれなくなった。着服などせず真面目に働いたほうがいい程度の給料が出ていると思うのだが、急に入り用だったのだろうか。あるいは誰にも言えない使い道――人を殺すため必要になったのだろうか。
「通報されたホテルがうちの系列なら、むしろ調査しやすいのでは?」
「い、隠蔽するなよ!?」
「しませんよ」
隠蔽するメリットが俺個人にないだろ。グループに魂を捧げてるわけでもなし。
「それじゃあグループ内の調査については黒繰さんに一任してもいいですか?」
「うん。任せて明崎さん。黒繰直系の権力を乱用すれば帳簿を見ることなんて朝飯前だよ」
明崎さんは「ふふ」と小さく笑った。
「黒繰さんが味方でよかった」
どきりと心臓が鳴った。
「もちろん、いつでも君の味方だよ」
本心だ。本心からの、嘘だ。俺は明崎さんの味方で、同時に敵だ。心臓がちくちくする。もしかしてこれが良心の呵責というやつだろうか。そんなものが欠片でも存在するのか、甚だ疑問だ。
あるいは、また明崎さんの笑顔に動揺しているのだろうか。あまりに魅力的だから?
じっと見つめていると、徐々に、明崎さんは慌て始めた。視線が泳ぎ、頬が上気する。しかし彼女の席は窓側で、どこにも逃げ場がない。
「あ、あの……?」
明崎さんは俯きがちに俺を見上げた。
俺は黙ったまま見つめ続ける。やがて明崎さんは真っ赤になった顔を俺から背けてしまった。こちらを向かせるため手を伸ばそうとして
「ストップ! 兄ちゃん、そこまでだ!」
士道に止められた。
「仕事の話をしてるンだ、仕事中だ」
「ええ、もちろん」
「じゃあその手を引っ込めろ」
俺は両手を膝に置き直した。
士道はまだ警戒している目つきで「いいか、続けるぞ」と念押しする。
「黒繰グループ調査の目処は立ったが、トライドとしては現地長野で調査する方針だ。まず通報した人間を探さなきゃいけねェ。必要なら保護も。電話番号からおおまかな位置を割り出してある」
「どこです?」
士道の太い指が端末画面をスライドする。
「御帯根高原、霧庫村だ」
その後、具体的な段取りの話になった。
件の村にはホテル開発のため土地を売った地主の一人が住んでいる。コネクションのある俺から地主に電話をかけ、村の案内を頼んでみてはどうかという話になった。
問題はホテルだ。霧庫村内には宿泊施設がないのか、検索しても一向に見つからない。一番近いホテルがどこになるのかも併せて調整が必要だろう。
三日ほど村の様子を見て、今後事件が起こりそうか、あるいは蜘蛛とは無関係なのかを明崎さんが判断する。トライドから追加で指示があれば従うが、そうでない限り現場判断だ。
「問題は運転手ですね」
俺の言葉に士道が「アンタ免許持ってねェのか?」と聞いた。
「ペーパーです。長野まで車で三時間ですからね。自信がありません」
それに運転って疲れるし。
「なるほど、嬢ちゃんは?」
「も、持ってないです……」
今回の調査、士道の同行はない。管轄が違うからだ。代わりに長野県警の知り合いだという名前を教えてもらったが、現地で合流できるかは怪しい。
「タクシーってェのも現実的じゃねェしな……」
言って、アイスコーヒーを飲み干す士道。
普段、運転手といえば我らが外島白兎の出番なのだが、奴はあくまで黒繰の人間だ。トライドの活動に勘付かれるとマズい。ので、俺判断で強制不参加。
煮詰まった士道が片手を上げると、奥から今朝方がのろのろ歩いてくる。
右手首の時計を確認する。夕方五時三十分。
「ご注文です?」
「あー、アイスコーヒーひとつ」
今朝方は注文を紙に書きとめたあと、俺と明崎さんの前に置かれた空のグラスを見た。話の区切りがつかなかったため、追加注文せず水を飲んでいたのだ。
「すみません、私も紅茶のおかわりを」
「はいです。お兄さんは?」
テーブル脇に立つ今朝方を上から下まで眺める。
「アイスコーヒー、おかわり」
「はいです。紅茶ひとつ、アイスコーヒーふたつです。空いたグラスお下げするんで」
「それからもうひとつ」
盆にグラスを載せていく今朝方に言う。
「車の運転はできる?」
「一応はいです。バイクのほうが得意スけど」
「問題なさそうだね。それじゃ、君をテイクアウトだ」
今朝方だけでなく、士道、そして明崎さんまでもが俺を見た。全員きょとんとして、俺の言葉の意図がわかっていないようだった。
「今朝方くん、君を二、三日買い取りたい。運転手を探してるんだ。でも詳細は聞かないでほしい」
「ちょちょちょちょ!」
今にも席を立ちそうな士道が割り込んでくるより速く、鞄から電卓を取り出し、片手で数字を打ち込んで、もう片手で今朝方に向け見せた。
「日給、このくらいでどうかな?」
今朝方は何度もまばたきして、電卓の数字を、桁を、指で数え始めた。
「二、三日でこの額スか?」
「いや、一日でこの額。三倍にして見る?」
やっと席を立った士道が俺と今朝方の間に割り込み、電卓を取り上げる。
「オイ! アンタ……」電卓の画面を見て「オイ! オイオイオイ!」
「士道さん、声が大きいですよ」
「これ、こン、経費じゃ落ちねェぞ!?」
「経費で落とせるだけ落として差額を補填すればいいってことですか?」
「そうじゃねェよ!」
隣の明崎さんに袖を引かれる。
「無関係の人を巻き込むのは、どうかと……!」
今朝方に聞こえないよう声をひそめている。人選が気に入らないのだろうか。
「タクシーを使うのとどう違うの?」
「今朝方さんとは顔見知りじゃないですか……! 危険を伴うんですよ……!」
「じゃあ外島に頼む? 無給かつ自己責任でやってくれるとは思うけど、黒繰の家側にトライドのことバレちゃうかも」
「そ、それも困ります……!」
俺を止めようと躍起になる士道と明崎さん。しかし二人とも問題ではない。俺が交渉しているのはあくまで今朝方陽太郎なのだ。
「決めるのは君だよ」
水を向けると、ずっと黙っていた今朝方はハッとしたように勢いよく頭を下げた。
「テイクアウト、オッケーです! よろしくお願いします! です!」
「うん。よろしくね」
「お、オイ! アンタなァ……!」
「く、黒繰さん……!」
二人をまったく意に介さず、笑顔の今朝方が頭を上げた。
「このお金があれば、ばーちゃんを温泉に連れてくことができるとオレは思うんで!」
士道と明崎さんが黙った。
この隙に「おばあちゃん孝行なんだね」とアシストする。
「はいです! ばーちゃん、最近元気なくて。でも昔から旅行が好きな人なんで、温泉行こうって誘ったら絶対喜ぶとオレは思うんで!」
「いやでも、ウーン」
固まる士道。その手からそっと電卓を抜き取り鞄へしまう。もう必要ない。
「お土産買って帰るんで! お兄さんと、お姉さんと、刑事さんの分も! 写真も送るです!」
「写真はいいかな」
「運転手スよね! どこ行くんスか? どこでも行くです!」
明崎さんが「ええと、長野に……」と渋々説明する。
「……ハッ! もしかして、ご両親へのご挨拶!? いえ! いえいえ! 詳細は聞かないほうがいいんスよね! だいじょぶです! なんも聞かないんで!」
勝手に誤解してくれて都合がいいな。
「集合時間と場所は追って連絡するね」
「はいです! 泊まる準備もしてくんで! 野宿までならオッケーです!」
「頼もしいなあ」
「野宿なんて駄目ですよ、黒繰さん! きちんと三人分の部屋を予約してくださいね!?」
「もちろんだよ。でも、今朝方くんは一番安い部屋だよ」
「はいです!」
「自分だけ高い部屋に泊まろうとすンな!?」
長野探偵旅行編の開幕である。




