5-3・triD
「……アンタが乗ってくるとは、まァ、俺としては意外かな」
到着早々、士道は言った。
明崎さんが連絡してから一時間といったところだろうか。
そばで「刑事さん、まさか……お姉さんのご親族……!?」と口を押さえている今朝方に「違うよ」とフォローを入れつつ、鞄を片手に明崎さんの隣へ座り直す。
空いた側にどっかりと腰を下ろした士道は、机上の花を怪訝そうに一瞥しつつ「コーヒー、アイスな」と今朝方に指示した。
そしてアイスコーヒーの到着を待たず、鞄から資料のまとめられたファイルを取り出す。
「ちゃんと読んでからサインもらえるか? でも、持ち帰ったり撮影したりすンのは駄目だ。頭に入れて覚えて以後厳守してくれ」
俺はちらと士道の鞄の中を見やった。
「休日だったんですか、お父さん」
「おッお前に『お父さん』と呼ばれる筋合いはねェ!」
「機密書類ですもんね、部下には任せられないか。よっ名刑事!」
「黙って読め! そンでとっととサインしろ!」
士道からファイルを受け取り、適当にめくってまず全体像を把握する。言われずともこの手の契約書は隅から隅まで全部読むタイプだ。すべてを頭に入れなければ、のちのち裏をかくこともできない。
「あ……。ふふ、士道さん。鞄の中にキッズサイズの靴下が。お子さん、おいくつですか?」
「あァ!? ほ、ホントだ……クソ……上が十四で下が十だ」
「この大きさだと下の子の靴下ですね。すみません、せっかくの休日だったのに急いで来てもらっちゃって」
「あー、構わねェよ。全然構わねェンだが、茶化さねェで欲しかったなァ」
大雑把に目を通したところ、探偵は最前線での調査官かつ指揮官だ。調査情報の報告が義務であると同時に、警察の捜査情報を閲覧する権利が認められる。が、いちいち申請が必要だ。これは士道に鎌をかけてうっかり言わせたほうが足がつかないな。
探偵は臨時公務員として扱われるが、そばに事情を知る正規職員がいない場合その限りでない場合もある。士道同伴で行動しろということだ。手帳やバッジがあるわけではない。
試験運用期間、なのだろう。ルールの骨組みはしっかりしている。が、裏をかく余地、余白がある。なによりプロジェクトに対するスパイ行為への記述がない。お上は都市伝説を『組織』だと思っているのだろう? 組織からの潜入スパイくらいは想定しておかなければ。
もちろん都市伝説の主を招いた時点で今更なのだが。
書類の最初に戻って、改めて、本プロジェクトの仮名称に目を通す。
――Detect,Demonstrate,and Defense project(検出・論証・防衛プロジェクト)
――通称triD
Dが三つでトリプル(triple)D、それでトライドか。敵ながらスタイリッシュでうらやましい。
っていうか、俺の呼び名が極端に不名誉だろ。なにがキラプロだ。もっと格好良い呼び名をトライド側から提案しろ。仮にも警察組織の末端だろうが。隠語を使え隠語を。
分厚いファイルを読み進めながら「敵のことはなんて?」と聞いてみる。
「敵? キラプロのことか?」
おお、鳥肌が立ちそうだ。俺はファイルを一度横に置き、真面目な顔で言った。
「トライドは敵組織をなんと呼称するんです? 世間一般に知られた名前でのやり取りは危険かと愚考しますが」
「とは言えなァ……俺あんま英語わかンねェし」
「これが日本警察の英語教育の実態か」
「組織ごと貶めないでもらっていいかァ!?」
隣で紅茶を飲んでいた明崎さんが士道をなだめるかたちで議論に参加する。
「えっと、キラーを縮めてキラとか、そういうことですか?」
「キラープロデューサーという名称に縛られる必要はないと思うけどね」
どちらかというと離れていってほしい。
士道が唸る。
「え、えねみー……」
「もう一声」
「い、いんびじぶる……」
Invisible Enemy(見えない敵)……今度はアノニマスに引っ張られすぎだ。
「頑張って士道さん! お父さんのちょっといいとこ見てみたい!」
「黙ってろ! っていうか、なんでアンタだけ評価する側なんだよ! 案出せ! 数が勝負なんだよこういうのは!」
「出てきた意見をまとめる人員も必要です。ささ、明崎さんはどうです?」
これまでになく険しい顔の明崎さんは「んん……」と唸って言う。
「死を広げる商人……だから……」
「だから……?」
「デス・トレーダー……」
一周回って戻ってきちゃった。キラー・プロデューサーとどっこいどっこいのセンス。これじゃ士道のほうがいくらかマシである。
その士道が指を鳴らした。
「わかった! 死の商人~デス・ディーラー~ 略してDDだ!」
ダッッッサ!
ダサ……え? ダサい!
悲鳴を上げても許されそう!
triDの名付け親について、情報開示を求めます!
「なるほど! じゃあ今後はDDと呼ぶことに……」
「しない! しないよ! 俺がまだ納得してない、明崎さん! その名前じゃ駄目!」
俺からの熱い反論に明崎さんと士道が戸惑っていると、店の奥から今朝方が歩み寄ってきた。
「あのー……あんまし騒ぐとほかのお客さんのご迷惑なんで……ッス……落ち着いて……」
「え? ああ、ごめんね。声が大きくなってたかな」
「よくわかんないスけど、あだ名?付けるやつオレできるッスよ。人の名前覚えるの苦手なんでいつもあだ名で呼ぶんス。あ、ちゃんと心の中だけです」
ほう。
自分のあだ名がなんなのか猛烈に気になったが、我慢して「じゃあ、なにかあだ名をつけてみて」と話題を振る。
もう藁にも今朝方にも縋りたい気分だ。
「相手は巨大な悪の組織で、対立は命の危険を伴うんだけど」
士道が慌てて制止しようとしたが、片手で宥める。わかっている。口外厳禁なのはわかっている。だが、呼び名新生のまたとない機会だ。これを逃せば三度目はない!
今朝方はうーんと唸って腕を組み、目をきつく閉じながら、体をちょっと前に傾けた。
「……見えた! とオレは思うんで!」
カッと目を見開いた今朝方は腕を解き、両手の指を曲げ伸ばししながら顔の前に持ってきた。両手首を接着させ、その指を昆虫の足のようにもぞもぞ蠢かせる。
「……それは?」
「蜘蛛です」
今朝方は言った。
「相手は巨大な悪の組織で、対立は命の危険を伴う。こういう敵は罠を張ってるものッス。で、その巣の中心で獲物がかかるのを待つ。だから、蜘蛛です」
意外なことに、それはこれまでで一番悪くない名前だった。
蜘蛛。spider。転じてSpy D er――Dをスパイする者。
triD内部へ潜入する俺にこれ以上の名前はない。
「今朝方くん!」
俺は立ち上がり今朝方の両肩を掴んだ。今朝方は「へへ……」と鼻の下を指でこする。
「お兄さんの力になれて嬉しいッス。くろ……く……クルクルのお兄さん」
「黒繰ね」
「クロクロのお兄さん」
「よし、今度名前を覚える練習をしよう。講師付きカリキュラムを三ヶ月でどう?」
士道が「うわッ金で解決しようとしてる!」と引いているのをよそに、俺は改めて今朝方に礼を言い、握手を求め、店の奥へリリースした。さて、誰に講師を頼もうか。俺に恩を売りたい人間なんか五万といる。一度、人間関係を図示して上から眺めてみるか。
と、脱線してしまった。
俺は咳払いののち着席し、重々しく告げた。
「今後、敵組織の呼び名は蜘蛛でいきましょう」
明崎さんと士道は終始ポカンと俺を見ていたが、やがて「そ、そうですね!」「お、おう! そうだな!」と同意を始め、最後にはまばらな拍手もした。そう、これは再誕。キラプロの殻を破り、蜘蛛として俺への認識は改まったのだ。
「さて、規則によると探偵はトライドへ情報を報告する義務があるんですよね。今の議題もほかのメンバーにも共有しましょう」
「「えっ」」
「統一してこその名前です。ほら、明崎さん。俺はまだグループとやらには入っていないから、君から報告しておいてね」
「あっ、ええと、はい! もちろん!」
これで偽の身内からキラプロ呼ばわりされる心配はなくなった。
よし。
満足の結果だ。
「とりあえず、ちゃっちゃと読ンじまってくれ。アンタがサインしねェと次の話ができねェ」
士道が指先でファイルを叩く。
「次の話とは?」
「サインしてもらわねェと言えねェンだって」
ふむ。なにか次の展開があると見た。
俺はファイルを再度手に取り、ゆっくりと、今度は熟読するつもりで読み始める。
「私は呼び名についての報告書を作っちゃいますね」
「おう、頼むわ」
明崎さんもまた作業に取りかかる。スマホ一台で報告書が作れる、いい時代だ。
一人やることのない士道は椅子の背にもたれて腕を組み、口を大きく開けて欠伸した。
「俺ァ、ちょっと、目を閉じる……」
穏やかな午後だった。店内にはジャズとコーヒーの香りが満ちて、ほかの客の気配は遠く、指先がページ繰る音さえ聞こえてくる。
頑張ってね、明崎さん。
心のうち一人呟く。
早く蜘蛛を捕まえないと、破滅するのは俺じゃなくて君たちだからね。




